第31話 予覚

「デイヴィッドさん、宇宙エレベータの乗務員配置決定期限です。速やかにお願いします」

 ヨーコがデスクの向こうからこちらに乗り出す様にしてそう言った。グレーを基調とした制服が贅肉の無い身体にフィットして司令室にぴったりな緊張感を与えてくれる。そんな控えめ美女と言えば理解してもらえるだろうか。数少ない女性乗務員候補として日本から送られてきたヨーコ・タカトウが、感情の伴わない話し方で最重要課題についての返答を迫ってきた。ストレートのショートボブ。その前髪を少しだけかき揚げて、長めの睫毛から覗く黒い瞳を真直ぐこちらに向けている。

 判断が正確で機転がきく事から既に秘書の様に利用させてもらっている彼女だが、愛想という意味で言えば今一つだ。素晴らしい人材ではあるものの万事容赦がなく、そもそも大きめの黒い瞳で見つめられると、吸い込まれるような感覚を覚えてちょっと怖い。視線の対象となった時、全てを見透かされたように背筋にぞくっと電気が走しる。ああ、わかったよ。ケンブリッジでもお目にかかった事が無いほどの女性として並外れた対応力を備えた、そして、宇宙に行きたいがため日本の軍隊?からの転属として国から推薦を受けた君を地上職にしたのは私だよ。だって仕方がないだろう?最優秀の4人はイニシャルがたまたまA揃い。無駄にプライドが高い他の候補者を納得させるには、ABC順で宇宙に行ってもらうと発表せざるを得なかったんだよ。もちろん次点として誰もが納得するほどの君の名が、例えばBから始まっているとかならば、いずれ何とかできたんだよ。宇宙エレベータを3人で動かし続けることは無理だから、増員メンバーに加える事は雑作もない話だからね。でも、あいにく君のイニシャルはYじゃないか。うっかりファミリーネームを使ってしまったと嘘をついたとしても、Tだって後ろ過ぎる。どれ程待ってもそこまで増員が必要になる事は当分無いんだよな。また、君に順番が来るほど失敗が重なれば、今度は我が宇宙エレベータ株式会社の存続自体が危うくなる。

「私、宇宙に行けるなら何だってしますから」

アシュケナージ、アローン、アキラを飛行士とすると内定した後、いきなり私の部屋に飛び込んで来て君は言ったよね。はいはい、何とかしようと返事をしたさ。私だって欲を抑えられない事はあるからね。でも初代(次が無い事を願うが)飛行士はアヴィアン・ローブナー博士やジョナサンとの合議とすると予め決まっていて、僕だけではどうにもならなかったんだ。

「いつか必ず宇宙に行けるようにするから、気を落とさないでほしい」

そう伝えた時に君の目から溢れた涙を忘れたりはしないよ。そう言えば、ヨーコが宇宙に行きたい理由は名前にあったんだっけ?タカトウとは日本語で高く遠いと書く。そしてヨーコは陽子、つまり、高く遠い太陽の子。宇宙に行くのが当然と小さな頃から考えていた。なんて子供っぽい、笑わずにいられないような理由なんだ。寝物語に聴いた話をふと思い出して、椅子に腰掛けて彼女の顔を見上げながらも笑いが込み上げて来る。


「デイヴィッド、聞いてるの?」

 ヨーコの怒気を含んた声と赤く染まった顔にはっとする。自分を見て思い出し笑いをされた。彼女はそう受け取ったんだ。まあ、事実そうなんだけれど。

「ああ、アッパーはアシュケナージ、ミドルはアキラ、ロワーはアローンに決定だ。テザー接続はアキラにやってもらおう」

「3人にはどうやって伝えるの?」

ヨーコは仏頂面で頷きながら、次なる質問を発した。

「そうだな、あまり深刻になられても困るから、君から軽く伝えておいてくれたまえ」

「軽く…ね。わかったわ」

返事の後、ヨーコは踵を返して歩き出した。

「ちょっと待ったヨーコ。この配置、君ならどうした?」

「さあ?順当な人選だと思うわ」

一旦立ち止まると、彼女は振り返り樣そう言った。そして思い出したように軍隊式の敬礼をした後、部屋を出ていった。

 宇宙エレベータ施設用ロケット打ち上げ後何らかのアクシデントが起きる可能性を想定して、助けを求められる国第1候補として協定を結んだロシア。アシュケナージはそこからやってきた。彼の国としては今まで宇宙開発を引張って来たという自負があるから、自らも参加する事になった宇宙エレベータ計画をぶち壊そうとは考えないだろう。自国内なら失敗を隠し通せたとしても、世界中が注目する宇宙エレベータ計画ではそうもいかないからな。アメリカ合衆国もまたしかり。宇宙先進国としてのプライドを維持すべくアローンを送り込んだ以上、まさか邪魔するような事はすまい。アキラの日本については言うまでもない。狭い国土で無限に増えていく核廃棄物を処分するには宇宙エレベータが最適だ。何としても成功させようと考えている事は疑いようが無い。アーサーを地上に留める事にしたのも理由ははっきりしている。未だ植民地の残像を抱える英国にとって、宇宙エレベータは必ずしも必要なものではないかもしれない。失敗しても国として困る理由は、同じ国土の狭い日本と比べて若干ではあるが少ないかも知れない。飛行士選定の基準は、実にそこなのだった。

「結局、裏切る裏切らないという判断の根拠は、今のところ国としての事情でしか無いんだな」

 デイヴィッドは、自分の頬が自嘲に歪んでいる事に気が付いた。

「なんとしても必要なのは、人として信頼できるのかどうか。それだけの関係を築く事だ。計画成功の鍵はそこにある」

世界一金持ちな家族の跡継ぎであるジョナサンの言葉が頭に浮かぶ。坊っちゃんなりに苦労しているのかも知れない。

「何でも丸っとお見通しの君には難しいかもしれないが、一度喧嘩をしてみるのも手かもしれないよ」

彼はそうも言っていた。

「僕はそのどちらも経験していない。ジョナサン、君に対してすらもね」

唯一無二とも言える親友を信じ切ることが出来ないという絶望感に満たされそうになった時、たった今、ヨーコが自分を呼び捨てにした事にふと気が付いた。理由が怒りであれ、少なくとも精神的な意味での距離は近づいたらしい。

 きっかけは何でも良いのかも知れない。歩む道のりの先に微かな光が見えてきたような気がして、いつもより肩が軽いと感じた僕だった。

 地球最後になるであろうロケット打ち上げまで、あと3日だ。

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