第32話 密室
「ジョナサン、くつろいでいるところ申し訳ないが、少し相談に乗ってくれないか?」
ロケットの打ち上げ、テザー地上接続とアッパー・ミドル各施設切り離しに伴うその後の牽引。全て順調との連絡が入った。それを聞いた僕は、何とはなしに西部開拓時代の気分を味わいたくなり、バーボンの老舗蒸留所バッファロー・トレースの逸品、イーグル・レア17年の封を開けた。駅馬車が活躍していた時代のサルーンを真似たマホガニー製カウンターに肘をつき、ケンタッキー州から取り寄せた水で半分に割る。口に含んだ酒から醸し出されるチョコレート、チェリー、タバコ等を思わせる香りをゆっくり噛み締める。デイヴィッドからの電話が入ったのは、そんな至極の時だった。
「ああ、どうした?」
「問題が二つあるんだ」
「二つ?無事に各衛星軌道に乗ったとニュースにもなっているじゃないか?何が問題なんだい?」
「一つ目は、少しずつなんだが宇宙エレベータが地上側に降りてきてしまう点なんだ」
「ああ、静止衛星軌道を中心として地球から遠くにある施設と地球に近い設備のバランスが大事という話だったよな」
「そうそれだ。重量配分についての計算はほぼ完璧だったんだけど、どうも大気による張引力が思った以上に大きい様なんだ」
「とすると最遠地点に重い物を置いて、アンカーとしての役割を持たせるという対策を実行しなければならないわけだな」
「その通り。想定された事象でもあるから、既に日本やフランスから核廃棄物を運び入れている。単位体積当たりの重さでこれ以上のものはそうはないからね。廃棄物受け入れの商売にもなるし、一石二鳥とはこのことだけど、時間は掛かる。さて、第二の問題はその運搬に関わる事なんだ」
「どんな?放射能対策は万全なんだろう?」
「もちろん。問題とは人員についての事なんだ」
「人員?」
「そう。これからどんどん宇宙に物を運ぶことを考えても、最初に上がったAチームの三人だけでは物量的に処理しきれないから増員が必要なんだけど、その人員候補が曲者なんだ」
「もしかして、これからエレベータで揚げる奴の中に問題人物が混じってるのか?」
僕は以前アーサーから聞いた話を思い出した。
「そうなんだ。とりあえずBチーム三人の内、二人はやばい」
「やばいって…、どう?」
「表面上は隠しているんだけど、破壊衝動の塊みたいな奴らなんだ」
「破壊衝動…」
「ああ、世の中には理由なく物や環境を壊したくなる人間がそれなりの割合でいるんだって思い知ったよ」
「G7各国からの推薦なんだろう?何故、そういう人間が紛れ込んで来るんだ?」
「たぶん、国内に居てほしくなかったんだろう。法律上死刑にできない国もあるからな。あるいは、計画そのものを邪魔したいのかもしれないし」
「なるほど…」
「地上ならまだ何とかなるんだ。壊せるものを与えておけば良いからな。でも宇宙は違う」
「ああ、命取りだな。本人はもちろん、他の乗務員や施設そのものも危険にさらされるわけだ」
「とはいえ、どんな人間であっても受け入れると言った以上、その国への建前として宇宙にやらないわけにはいかないのさ」
「それで困っていると?」
「そうなんだよ」
「何故?」
「は?」
「どうして困っているんだ?」
「いや、だってさ…。ジョナサン、僕の話を聞いているの?」
「もちろん」
「なら愚問だろう?」
「そんな役立たずどころか人類の邪魔にしかならない人間には、消えてもらうだけの話だろう。困る必要なんか無いじゃないか」
「え?」
「宇宙エレベータではカーゴで物を運ぶんだよな?」
「そうだよ」
「重量からすると、核廃棄物を載せたら、残りは人一人しか無理なはず」
「その通りだ」
「つまり、カーゴに警察官が同乗することは無いわけだろう?」
「いや、そもそも地上港に警官などいないからな。…あ!」
「絶対的な密室じゃないか。あとはこちらの自由自在だ」
「なるほど。しかし…」
「いや何。デイヴィッド、君に殺人犯になれと言ってるんじゃあないんだ」
「…」
「ただ、ちょっとした細工で、一時的に仮死状態にしたり錯乱させたりすることは無理なくできるんじゃないか?」
「…」
「これまで人が経験したことのない環境を通過したことによる精神異常か死亡。それなら送り込んだ国も納得せざるを得ない。いや、むしろそうなってほしくて送り込んだのかもしれない。だから原因を追及される可能性は低いのではないかな?」
「もしかしたらだけど…」
「宇宙酔い対策の予防薬と称して事前接種なんて手もあるしね。注射液、あれはある種のブラックボックスだから誰にもわからない。仮に検査する人間が来たとしても到着までに時間が掛かるから、成分は分解されて発見出来ないだろう。実際にワクチン接種後の死者大量発生が隠蔽された例も枚挙に暇がない。いずれにせよ、そういう術に詳しい人間を送るよ。君は心配しなくて良い」
「助かるよ。相談したのがジョナサンで良かった。いや、君にしかできないアドヴァイスというべきか」
「謀略に長けた一族の跡取りだからって言いたいのか?デイヴィッド、誉め言葉として受け取っておくことにするよ」
苦笑しながら僕は通話を終えた。
数週間後、アーサーから連絡が入った。
「ボビーは仮死状態、バースは精神錯乱。二人共そのまま戻って来たよ。健康な状態で大気圏外に辿り着いたのはバタオネだけさ。ジョニー、もしかして君の計らいなのか?」
「ジョニーって呼ぶな。さあな。いずれにせよ、現代の開拓者になれるのはピルグリムのみ。無法者はいらないということなんじゃあないのかな」
「巡礼者…正に…だな。変な事を言って悪かった。また連絡するよ」
切れた電話の音だけが僕の耳にしつこく残った。
「チェイサー無しで」
誰にともなくつい呟いてしまう自分を心の中で揶揄しながら酒を注ぐ。こんな気分の時は旨味など無い安い酒に限る。その晩、今度は名も知らないバーボンでウイスキーグラスを満たすと、僕は一気に飲み干した。流れる液体と共に生まれる喉焼けの痛みで、僅かながらも眉間にしわが寄る。とは言え、何故か今の心境にしっくりはまるのを感じる。
「皮肉なものだな。無法者なんて僕の事そのものじゃないか」
以前のイーグル・レアに比べて格段に香りの乏しい酒をもう一杯グラスに注ぎながら、また独り言ちる。
「でも、宇宙がそこで暮らす人間を選ぶのは間違いない。僕は事故が起きないように手伝っている、ただそれだけなんだ。誰に恥じ入ることも無い」
数人が並べる長いバーカウンターだけがその言葉を聞き流してくれているような気がして、僕はほっと息をついた。
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