第33話 整備
高層ビルを階段で最上階まで辿り着こうとする人はほとんどいないし、そもそも宇宙まで繋がる階段は存在しない。大気圏脱出速度である秒速11.2kmに達する為に、基礎疾患のある人なら命の危険があり健康体でも失神しかねない10分間に渡る3〜4Gという高負荷下の苦痛を誰もが好んで受けたい訳もない。故にバベルと名付けたプロジェクトによって設置されたこの宇宙エレベータは、疑いなく最も手軽且つ低コストで人や物を宇宙に運ぶことができる便利この上ない移動手段であると僕は考えていた。だが、それ自体がどれほど素晴らしいものだとしても手段は手段、プロジェクト・バベルはあくまでも目的への通過点でしかない。
「地球を大きくする」
子供の頃に描いた思いを少しでも早く達成したいと、僕は焦っていた。そして、大いなる未来の為であれば、全ての人間が喜んで身を捧げてくれるという幻想に囚われていたのだ。
未だ少ない乗務員数であったにも関わらず、輸送力増強と故障時の保険的役割りの為に二基目のエレベータ設置を決めた時、僕にとってまさかの反発運動が起きた。宇宙にいる乗務員全員が業務ボイコット宣言をした。この時、自分としてもそれは駄目だろうとため息をつくような実に稚拙な対策を僕はしてしまった。乗務員の生命維持装置をごく短時間とは言え、ヨーコに停めさせるという愚行を犯したのだ。いくら死に至る心配は無い程度であったとしても、対象となった乗務員はもちろん、ヨーコ本人が相当な精神的苦痛を感じたのは間違いない。
その時の反省を元にして、僕は乗務員を含む全従業員の待遇を少しずつ改めていった。業務練度による昇給、適切な休憩時間や休日の確保、危険度・難易度を設定してのボーナス支給。また、家族のいる乗務員には、度々面会の機会を設けるようにした。地上に戻る選択をする者、家族を宇宙に呼び寄せる者、どちらについても希望に沿うように配慮を怠らなかった。そして、独身乗務員の密かな楽しみに融通を利かせもしたのだった。
人間の欲望は大きく分けて性と金銭に向けられるものであり、当然のごとく投資やギャンブルをしたいと言い出す者も出てきた。そちらについても給与の一定割合の範囲内という条件を設定して許可を出した。いつの日か引退した時に困窮しないよう、ETFや投資信託積立などについての教育にも力を注いだ。
従業員に対する福利厚生に力を入れられたのも、確固とした収益あっての事だと僕は理解している。民間の株式会社という立場である以上、儲けについては無視できない環境にあったものの、当初からサービスの根幹として目論んでいた核廃棄物の受け入れが思った以上の利益を生み出した。世界中の国が地下埋設場所を決められないでいたため、驚くほど多くの国から宇宙保管について打診があった。
中でも日本政府は他国の追随を許さないほどの素早い動きを見せた。
「核廃棄物内に含まれるウランやプルトニウムの分離再利用すら兵器生産に繋がると大騒ぎをし、核というものに極端な拒否反応を示す国民性のおかげ」
ヨーコやアキラはそう言っていた。高レベル放射性廃棄物の恒久的処分場選定が非常に難しく、ガラス固体化した廃棄物の一時保管場所にすら日本政府はほとほと困っていたのだ。遠回りにしろ、核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」という日本の非核三原則の存在が、我が宇宙エレベータ株式会社にとって極めて有利に働いたと言ってもある意味過言ではないであろう。
核廃棄物の受け入れは、それだけで社の大きな収入源であったが、べつの用途に使えるという利点があった。ガラス固体化核廃棄物の表面温度は長期に渡り200度を超えているため、宇宙においても容易に水を沸騰させる事ができる。この温度差によるマランゴニ対流を利用して発電タービンを回す事で安定した発電が可能となり、地上港のあるインドネシア共和国への売電が社の収益に厚みをもたらしたのだ。ウランの核分裂エネルギーを利用して発電する原子力発電所と違い、一般的な知識のエンジニアでも危険なく充分な発電量を確保できるシステムとしての簡便さは、乗務員補充を容易にした。低コスト高利潤の会社体質はこうして確立され、本社機能をアメリカに置くことで株式上場も僅かな期間で達成できたのだった。
その後、次々に起こる細かな問題に足をすくわれるような思いに囚われながらも、僕はプロジェクト・バベルを遂行し、さらなる高みに歩みを進めて行った。
「デイヴィッド、あなたには私を宇宙に送り出す責務がある」
ヨーコからそう告げられたのは、ようやく事業が軌道に乗ったと感じ始めていた、そんな時だった。
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