第34話 懺悔
「何度でも言うわよ。デイヴィッド、あなたは私を宇宙にやる義務がある」
ある日、ヨーコは僕にそう言った。
元医官としての経歴を持つ彼女には、宇宙酔い止め薬と称して他の効果を持つ注射液を乗務員に接種させたのを含めて、他にも種々の工作をやらせていた。乗務員のボイコットに対して一時的に生命維持装置を止めさせたあの日、後から追いかけてきて僕の頬を平手打ちしたヨーコの存在がなければ、果たしてプロジェクトはどうなっていた事やら。あの頃の自分はいささかいかれていたのだと、今思えばわかる。どう非難されても言い逃れ出来ない卑劣な男、それが僕だった。
上司の暴行から身を護ろうとして誤って相手を殺めるという日本にいた時の経験。罪にならなかったとは言え、結果として彼女が祖国を出ざるを得なくなったその事件を僕は度々利用したのだった。そんな僕にヨーコが発する希求の言葉を拒否する権利など有る訳がない。スケジュールその他を検討した結果、宇宙に浮かぶロアー・ミドル・アッパー各施設を訪ねる視察業務を僕は彼女に託した。
地上のシステム全てを掌握している彼女が、行く先々で乗務員達との結び付きを深めるのは会社にとってリスクでもあった。中でも同じ日本人であり、且つ、乗務員中トップクラスの能力と人望を持つアキラと彼女が、陰で結託する危険は大いにあり得た。彼らの考え方次第では、宇宙エレベータ施設そのものを乗取る事だって出来なくはない。往復14万2千キロにおよぶヨーコのこの大旅行は、プロジェクト・バベルの今後を考えれば大いなる賭けだったのだ。
宇宙エレベータ乗務員という猛者逹の中に一人飛び込むのは、女性としては恐怖であろう。とすれば、いざとなると彼女は宇宙行きを躊躇うのではないか、いや、そうあってほしいという僕の望みはあっさりと裏切られた。彼女は意気揚々としてカーゴに乗り込み、無重力の彼方へ旅立った。
全ての日程を順調に終えた彼女は、カーゴから担架で運ばれる中、指で合図をして僕を呼びつけた。
「デイヴィッド、あなた意外に評判良いわよ」
口元に耳を寄せた僕に対して開口一番こう言うと、ヨーコは軽くウインクをした。呆然と立ち尽くす僕を残して、彼女を載せた担架は検査用医務室に消えていった。
ヨーコに対する後ろめたい気持ちは、その日を境に僕の中で徐々に薄らいでいった。
さて、世の中には不思議な思想に捉われる人間がしばしば現れる。宇宙は放射線で満ち溢れているのにも関わらず、我が社の核廃棄物発電に対して宇宙を汚す最低な行為であるとのレッテルを貼り、クレームをつけてくる活動家達は正にその最たる例だった。また、彼らの論旨に安々と乗るマスコミや一般社会人の存在も、しばしば僕の頭を悩ませた。そこで、軽量基板にも印刷できるフレキシブル且つ高効率な発電設備、すなわちフィルム型ペロブスカイト太陽電池を宇宙に浮かぶエレベータ施設全体に貼る事を取締役会で提案し承認を得た。例え製作や設置自体が大量の二酸化炭素を排出することになったとしても、太陽光発電でさえあればクリーンであると思い込んでくれる。環境活動家とはそう者達だということは、過去の歴史が証明していたからだ。
多少の費用は掛かろうとも、これにて誰からも批判される事の無い完璧な会社に向けて舵を切ることができるとの手ごたえを感じた僕は、世界各国の要人や主要投資家、マスコミを集めて行う一大セレモニーを計画した。名目上は二基目のエレベータ運用・宇宙太陽光発電開始、そして、米国における株式上場により世界トップクラスの時価総額を持つ会社として躍り出たことであったが、真の目的は二つあった。一つはもちろん宇宙エレベータ株式会社の存在を改めて全世界に印象付けること。そして僕にとって最も重要なもう一つの目的、それはジョナサンの妹であるニカとの婚約を公式の場で発表することだった。所詮一介の経営者でしかない男が誰に向けてそのような手間を掛けるのかといぶかる人もいるだろう。そんなことは言うまでもない。彼女の父親であるソール・レッドシールド男爵その人に対して、それ以外に何があるだろうか。
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