第20話 不和

 赤道上空、高度35,786kmの静止軌道を中心として、地上と外宇宙の双方向に等しい距離、合計71,572kmのテザーを張る。それが宇宙エレベータの原理である。地球の中心方向から真直ぐ伸びたそれは、遠心力と重力のバランスが取れることで、地上に落ちることも宇宙に飛び去ることもなく安定した施設となる。

 デイヴィッドは、専門家ばかりが集う宇宙物理学会の聴衆ではなく、全世界の人々に向けて話していたのだろう。簡易図を多用した説明は平易で、知識の有無に関わらず誰もが理解できる講演内容だった。一緒に見ている父ソール・レッドシールドは、身じろぎ一つせずに映像の中のデイヴィッドを注視している。

「約72,000kmの長さに拠って生ずる自重に耐えられるだけのテザーは、これまで存在しておりませんでした。我がフォセマカナは、カーボンナノチューブが持つ強度に加えて、微弱電流で発生する磁力により強固に接合し続けることで、この問題を解決しました」

聴衆のどよめきが画面を通して伝わってくる。宇宙エレベータのテザーに求められるこの強度は、半世紀以上に渡って解決し得ない課題だったのだ。

 宇宙エレベータ施設の展開方法についての話をデイヴィッドが終えると、会場が割れんばかりの拍手が起きた。とその時、一人の老物理学者が挙手をした。長年に渡り宇宙物理学の第一人者として学会を牽引してきたアヴィアン・ローブナー博士、父ソール・レッドシールドがデイヴィッドを引き合わせたその人であった。デイヴィッドが首肯すると、博士はごく短い質問をした。

「もしテザーが切れたらどうなるのかな?地上に重大な被害を及ぼすように思えるが」

「あなたもご存じのように、そもそも切れないので心配は無用です。万が一のことがあったとしても、切れるということは電気が流れなくなることを意味し、当然ながら電磁力は消滅します。接合力は失われ塵となってゆっくりと舞い散るので、地上の建造物を破壊することはありません。フォセマカナは言わば炭と鉄錆の集合体ですから物質的に安定しており、健康被害を及ぼすようなこともないのです」

デイヴィッドはにこやかに答えた。苦虫を嚙み潰したような顔をして、博士は質問を続けた。

「ヴァン・アレン放射帯を通過し、且つ、それを越える場所に長期に渡って人が滞在するのは健康上望ましくないが、対策は取るのかな?」

「もちろん各施設、物資運搬用カーゴ共に炭素繊維強化プラスチック複合材料を使い、宇宙線対策を徹底します。太陽方向には発電装置を兼ねた同材料の防護壁を設け、巨大太陽フレア発生にも備えます」

デイヴィッドの口からは、質問以上の完璧な返答が発せられた。

「では高度約72,000kmという恐ろしく遠い場所で勤務する乗務員とやらは、どのようにして地球に帰って来るというのかな?エレベータでとなれば、時速100kmで移動したとしても30日ほどかかってしまう。この長い時間の健康状態は保証されるのか?ロケットによる輸送と言うのならば、結局のところ、これまでの宇宙開発と何ら変わらないではないか?」

アヴィアン・ローブナーの怒気を含んだ声が場内に響き渡る。この問いに対して壇上の若き男がどのように答えるのか、聴衆が固唾を飲んで見守るのが画面を通して伝わってくる。

「失礼ながら、宇宙エレベータの昇降にはリニアモーターシステムが使われ、理論上、時速500kmも可能です。それに戻る?何故そのような無駄なことをせねばならないのですか?暮らし続ければ良い。そこが彼らのフロンティアとなるのだから」

デイヴィッドの口元から笑みが消えることはなく、会議場は静まり返った。フロンティアの意味として最も相応しい訳語は、この場合「墓場」となる。あまりの衝撃に、この場にいる宇宙物理学者の誰一人として言葉を発せられずにいたのだった。

「この計画の名称はプロジェクト・バベル。人類は少しだけ神の領域に近づいたのです」

軽く会釈をしたデイヴィッドは、堂々とした顔でゆっくりと降壇した。呆然とする老学者の顔がアップになったところで映像が止まった。父がビデオを一時停止したのだ。

「ジョナサン、どういうことなんだ?本来、この計画を発表するのはアヴィアン・ローブナーであり、デイヴィッドは共同研究者として名前を並べるだけの立場だったはずなのだ。ところが、これを見る限り博士は計画から取り残され、むしろ反対の立場をとっている」

父はこちらに振り返り、問い掛けてきた。僕は一度深呼吸してから口を開いた。

「これまでの物理学者のやり方では、国際協力の範疇をいつまで経っても出ることはできず、地球を大きくすることなど夢のまた夢だ。これが博士研究員として数年を過ごしたデイヴィッドの意見です」

背中が汗をかくのを感じながら僕は用意していた言葉を発した。

「デイヴィッドは何を急いているのだ?素晴らしい音楽も演奏が早すぎれば不快でしかない。この演奏会の指揮者は観客を置き去りにしている。ジョナサン、お前は何故、彼を抑えるべくタクトを振らないのだ?」

父の目は怒りに燃えていた。その視線に内心震えながらも、僕はビデオコントローラーを手に取ると映像を進めた。そこには一人、二人のわずかな取り巻きのみを引き連れて退場するアヴィアン・ローブナー博士の姿が捕えられていた。僕は映像を更に進めた。多くの聴衆とマスコミ関係者に囲まれ、笑顔で取材を受けるデイヴィッドが映し出された。

 僕は人生で初めて父を見つめ返して言った。

「世界はデイヴィッドを支持しているようです」


※ヴァン・アレン放射帯:地球の磁場に捕えられた陽子・電子からなる放射線帯

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