第38話 本音
数時間に渡るセレモニーが終わり、僕は一人、自室に戻っていた。何百人という招待客と交わした杯と祝辞。記憶とアルコールが体の中でぐるぐる廻っているようで少し気分が悪い。やや熱めの温度でシャワーを浴び、ガウンを羽織るとアクアをグラスに注ぎ口にする。火照った身体に冷たい水が浸透していくのが気持ち良い。インドネシアで一般的に売られているこの固いミネラルウォーターにももう慣れた。
「…充分に一人でやっていってるじゃないか。デイヴィッド、君にはもう僕の助けは必要ない」
来客を迎える際のわずかな時間にジョナサンから告げられた言葉が思い出される。もちろん世界を相手にしている彼のことだ。軌道に乗ったビジネスの最前線から手を引くのは本来当たり前のことであり、責めるつもりは毛頭ない。だが、ケンブリッジ時代から長きに渡って付き合ってきた唯一友人といって良い相手が離れていく今回の経験は、僕の胸中に空虚な感覚を生み出した。
「そうだな。君は完璧過ぎるんだ。それでは周囲にいる人間は誰も君を助けようとは思わない。時には間違ったり、失敗したり、弱音を吐いたりした方が良い。そういう人間こそ、皆に愛され、見守られ、手を差し伸べられるものなんだよ。まあこれは親父からの受け売りだけどね」
何が悪かったのか欠点があるのなら教えてくれという僕に対して、ジョナサンは笑いながらそう言い、踵を返して去っていった。
失敗?間違い?ここでそんなことが起きたら、全て即、誰かの死に繋がってしまうじゃないか。そんなことできない、できるわけがない。僕は1リットル入りのペットボトルを手にすると直接口を付けて残りのアクアを喉に流し込み、そのまま、ベッドに腰掛けて目を瞑って考えた。
そうして少し落ち着くと、部屋に取り付けた通信システムのスイッチを入れた。何も介することなく宇宙エレベータのアッパー・ミドル・ロアー各施設と話せる専用通信回線だった。ヨーコが宇宙に行った際に持って行かせたのだ。業務ボイコット事件以来、宇宙エレベータ乗務員との関係を良好に保つ必要があるとして出した答えがこれだ。業務外で本音を語れる場が欲しいと宇宙にいる皆は熱望した。これはそもそも休む時間がないとしてボイコットに入った乗務員達にとって、限られた自由な時間を他人とのやり取りに奪われるという矛盾且つ非合理的欲求だ。最初に提案を聞いた時には理解に苦しんだが、ジョナサンと疎遠になった今となっては、彼らの気持ちがわかるような気がする。
「アローン、アシュケナージ、そして、アキラ。少し話せるかな?」
しばし空虚な時間が流れた後、三人の顔がモニターに現れた。
「へいデイヴィッド、飲み過ぎたって顔をしているが有名人達との懇談会は終わったのかい?」
にやにやしながらアローンが言う。
「ああ無事にな。少し話がしたいんだが、三人共、今大丈夫かい?」
「ああ、セレモニーに合わせて君が臨時休暇をくれたからね。のんびりできて良かったよ。そう、この酒も中々いける」
アローンがワインで満たされたグラスを掲げて言う。
「それはナパバレーにあるNEW FRONTERという会社がつくったWAY POINT(中継点)というワインなんだ。宇宙エレベータと僕たちの今を表すにふさわしい銘柄だと思ってね。今回のイベントに合わせて取り寄せた。気に入ってくれたなら良かった」
口元に自然と笑みがこぼれるのが自分でもわかる。
「なんと京都から新天地という名のクラフトビールまで取り寄せてくれたんだな。しかも無重力用ジョッキまで用意してくれて。宇宙でビールはさすがに無理かと思っていたからな。何よりこれが嬉しいね」
言うと共にアキラが喉にビールを流し込む。楽し気な様子にこちらも気分が上向きになる。この感じが大事なのだと改めて認識する自分がいる。
「昨日届いたOUTER SPACEとAIR Co.どちらも文句なしに美味いウオッカだ。特にOUTER SPACEの宇宙人顔ボトルは一人で飲む時も孤独を感じなくて良いぜ」
アシュケナージが赤ら顔をしてボトルを持ち上げて見せる。
「お前に似てるからじゃないのか?」
アローンがアシュケナージをからかう。
「どちらもアメリカ製なんだ。本当は東欧のウオッカを届けたかったんだが、気の利いた銘柄が見つからなくてね」
「気にするな。スピリッツさえあればアメリカだろうと日本だろうと、どこ産でも良いんだ。ところでAIR Co.のアイデアはわが社でも使ってしかるべきだと思うぞ」
「今度製造装置を送るからぜひ試してみてくれ。しかし、実際に作るのはもう少しそちらに人が増えてからかな。君達だけでは排出される二酸化炭素も限られるからな」
蒸留酒と魂を掛けたアシュケナージらしからぬジョークに雰囲気が更に和む。こちらの気持ちを受け止めてくれて、尚且つ前向きな発想を返してくれる彼らとの会話のおかげで、僕自身の時間外労働も有意義なものになりつつある。こういうのを仲間というのだろうか。そんなことを考えながら僕は本題に入った。
「ところで、アローン、アシュケナージ、そして、アキラ。君たち三人に頼みがあるんだ」
「なんだ、どうした?今より忙しくなるならごめん被るぞ」
アキラが右の口角を上げる。
「いや、そんなんじゃないんだ。かねて知らせたようにケンブリッジ時代から長く世話になったジョナサンが取締役を降りたんだ。それで、出来たら三人に後任をお願いしたいと考えている」
「なんだって!ジョナサンって言えば、例の世界一の金持ちぼっちゃんだろう?俺達にはそんな資本なんてないぞ」
アローンが驚きの声を上げる。
「資本を出してくれって話じゃないんだ。実際今のところではあるが、ジョナサンはわが社の株式を手放すとは言っていない。君達について言えば、最低限一株分の資本金を出してくれれば、取締役として何の問題もない」
「一株分と言ったって、わが社の株価も結構値上がりしてるんじゃないのか?」
「まあそうなんだが、会社で積み立てている君達の預金で充分に買える額だ。何なら僕が立て替えても良いよ」
「アーサーがいるじゃないか。彼だって世界有数の資産家一族だ。金はあるし能力だって申し分ないだろう?」
アシュケナージが順当な意見を言う。
「もちろんさ。人間としても信用できる。だが、彼はやはりジョナサンと同じ側の人間なんだ。株式を持つと言っても彼にとっては何てことない端金だ。社に万が一の事が起きた時にどう出るかは、正直言ってわからない。僕としては、いざという時に社を支えたいと考える一般的な感覚が取締役会に欲しいのさ」
僕は必至で説得に掛かった。
「会社に命を懸けるというような保険が欲しいってことか。しかし、どう考えても一般人とは程遠いデイヴィッドがそれを言うんだな。面白い」
アローンが笑う。
「アシュケナージ、アローン、どうする?いずれにせよ、今の俺たちは社と運命を共にするしかない。そう俺は思うんだが」
アキラが二人に問う。彼の気持ちは決まったようだが、それでも他と歩みを同じくしようとするのは日本人らしい特質だ。
「そうだな他に道もなし、やるしかなさそうだ。なあ、アシュケナージ?」
アローンが最後の一人に同意を求める。
「だな。ダメならダメでその時また考えれば良い」
万事慎重なアシュケナージもスピリッツが入ったからか、気が大きくなったようだ。
「良し。デイヴィッド。君のその話、乗った」
モニターの中で三人が力強く頷いた。
「ありがとう!」
僕は右こぶしを強く握りしめて礼を言った。
「ところで、君がヨーコに届けさせたあの試験体、元気に育ってるぜ」
アキラが話題を変えかけたその時だった。コンコン、…、三人の結論にほっと胸を撫で下ろしていた僕の耳に扉を強くノックする音が届いた。
「デイヴィッド起きてる?緊急事態よ」
ヨーコの切羽詰まった声が聞こえてきた。僕とモニター内の三人は、ぎょっとして表情を硬くした。
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