第18話 書簡

 律儀というか何というか、デイヴィッドはメールという一昔前の通信媒体を通して、時々ではあるものの僕に連絡をしてきた。悩み多き初学者からの手紙はある意味エッセイのようで、実務に疲れた時の読み物として最適だった。


 ねえジョナサン、人生を長いレースに例える人がいるよね。僕も似ていなくはないとは思う。ただ、細かい点において少し違うと感じ始めている。

 僕が博士研究員として下に着いたアヴィアン・ローブナー教授は天文物理学という分野の中でトップを走っている。言わば宇宙開発のチャンピオンだ。彼がその地位を守り続けられるように支えるのが現在の僕の仕事だ。指示された観察をこなして結果を集計、考察して文章にまとめる。一旦目を通してもらい、いくつかの修正指示を反映した論文を完成させると、速やかに彼の名で発表の運びとなる。もしモータースポーツと同じであるならば、辛うじて最後尾を走らせてもらっている選手が、トップの選手をアシストするということになるかな。サーキットレースであるならば、僕のような立場の人間は後ろから突き上げてくるチャンピオンの走行ラインを潰しながら、周回遅れにならないように走るものだろう。でもさ、そんなことをしたら王者の逆鱗に触れてこの世界からの退場を余儀なくされるはずなんだ。それだけは勘弁してほしい。つまり、宇宙物理学会におけるモータースポーツの真似事は、今の自分には不可能なんだよ。

 ところで、マーセイディス AMG ONEは、そんなフラストレーションの解消に役立っているよ。感謝している。

デイヴィッドより


 親愛なるデイヴィッド、

最後尾とは言え、既に選手としてレースに出場できているのならば、首尾は上々と考えて良いように僕は感じている。順位を少しでも上げられるように努力してくれたまえ。

 車を気に入ってもらえて良かったよ。

ジョナサン


 ねえジョナサン、最近は、世界で最初に僕が気付いた事を彼との共著として発表するなんてことも増えてきたよ。能力を認知されつつあるとは思う。

 とは言え、僕が参加しているこのレースは、肩を並べるその日までチャンピオンを抜き去ろうとしていることをほんの少しでも気取られたらお終いなんだ。隷属の意のみを感じ取ってもらうべく、今後益々、細心の注意をもって事を運ばなければならないね。

 ところで、君からもらったマーセイディス AMG ONEなんだけれど、ランニングコストが半端ではないと感じる今日この頃だよ。どこか安く整備してくれる知人を紹介してもらえたら助かるね。いや本当、安月給には堪えるんだ。ただ、アメリカの道交法に合わせて改造がなされているおかげで、早く走り過ぎない点には満足しているよ。自重にもなるしね。

デイヴィッドより


 親愛なるデイヴィッド、

なんの打診もなくプレゼントしたものだから、少し配慮が足りなかったかもしれないね。あやまるよ。整備代は僕が持つから心配しなくて良い。あの車に乗っていて良かったという日が来るのは間違いない。それだけ信じて、希望の実現に向けて邁進してくれたまえ。

ジョナサン


 ねえジョナサン、学内派閥の力関係のためにチャンピオン自身が弟子の地位を上げる必要があるという、大学ならではの事情が僕の追い風となっている。少なくともモータースポーツでは有り得ない気がするのだが、どうなんだろう。こういうのを政治って言うのかい?世界経済のど真ん中にいる君に教えてもらえたら助かるよ。チャンピオンの左斜め後ろ、ミラーに映らない位置をキープし、並ぶその時まで決して気取られてはならない。今はそこに全ての神経を注いでいるんだ。

 マーセイディス AMG ONEで出場する週末の草レースだけが、ストレス解消の手段だよ。ありがとう。ただ、ハイオクガソリンは思いの外費用が嵩むよね。

デイヴィッドより


親愛なるデイヴィッド、

レースの好結果に期待しているが、飛ばし過ぎは事故の元だ。くれぐれも安全第一で行動してくれよ。燃料代の節約にもなるはずだ。

ジョナサン


 「天文物理学の研究をしている友人の話なんですが…」


 深刻なようでどこか軽いその文章を顧客と相対する際の話題として僕は利用させてもらっていた。D氏と名付けた彼の行状は不思議なことに興味と共感を持たれ、好意的に受け止められた。プライベートバンカーとしての僕の仕事に少なからず良い影響を与えてくれたのは疑いようがない。デイヴィッドは、確かに何らかの魅力を内包しているのだろう。実に面白い存在だと今更ながら僕は感じていた。


 ねえジョナサン、ついに教授になれたんだよ。おめでとうと言ってくれるかい?

 ここからが本当のスタートだ。マーセイディス AMG ONEのアクセルを全開にする様に宇宙開発の世界をすっ飛ばすぞ。応援をよろしく頼む。

唯一の友人へ

デイヴィッドより


 親愛なるデイヴィッド、

おめでとう!いくつかのマスコミから、晴れて教授になった君への取材の希望が入ると思う。くだらない質問もあるとは思うが、皮肉無しでお願いしたい。イメージが何より大事なんだ、君にはね。

 世界トップクラスの天体物理学者という立場やアメリカ大統領科学技術諮問委員という肩書が君の師にあるとしても、世界中でどの程度の人間が彼のことを知っているだろうか?いや、ほとんどの人はそんなことに興味すらない。君にはこれから、世界中の誰もが知っている学者になってもらう。そのことが、我々の目標実現に対して極めて有効な材料となるはずだ。言わば、すっ飛ばすためのロケット燃料を積み込むのだと思ってもらえば良い。幸運を祈る。

 そうそう、お祝いと言ってはなんだけれど、マーセイディス AMG ONEに使う1年分のハイオクガソリンを贈るよ。そちらも楽しんでくれたまえ。

ジョナサン


格好良すぎる教授 デイヴィッド・ライフィールド

彼の写真とそれに添えられたタイトルは、多くのメディアに伝播した。細く長い脚は数多くの女性達を虜にして、世界一愛される学者としての地位は彼の手にすんなり収まった。

「そういえば、この脚に躓いたのが最初だったんだよな」

マーセイディス AMG ONEのボンネットに両手をついて腰かけたデイヴィッドの写真を見て、僕はほくそ笑んだ。

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