第9話 謁見

 ベルサイユ宮殿かと錯覚するような広間に贅を尽くした料理の数々。そして、少人数とはいえ、オーケストラも配置されている。たかだか個人の宴と侮っていたが、とんでもない。ロンドンがザ・シーズンに浮かれている間、この規模のパーティを毎日開催するこの一家の財力は、いかほどのものなのか。デイヴィッドはため息をついた。爵位は男爵。公爵夫人である娘の嫁ぎ先よりも位はかなり低い。しかし、世界中の国債を掌握し、あまたの王家に金を貸している、言わば「王の中の王」。そのソール・レッドシールド男爵が目の前にいた。

「趣味で音楽をやっているそうだね。今日は一曲披露してくれるということだが、早速聴かせてもらっても良いだろうか?」

急な要望に驚きつつも、僕は予め用意していた竪琴を取り出し、簡単に調律を確かめるとすぐさま弾き始めた。アンダーソン・ギルマン作曲『ウォータールーの戦い』、元々4、5分と短い演奏時間を更に短く、竪琴用にアレンジして演奏する。レッドシールド家に莫大な利益をもたらした戦いをモチーフにしたこの曲を果たして男爵は気に入ってくれるだろうか。そんなことを考えながら弦をつま弾いたが、そもそも練習曲のようなものなので、情感たっぷりに弾くことも無くあっさりと演奏を終えた。男爵がすぐさま拍手をしてくれて、他のお客たちもそれに続いた。やはり彼はこの曲をご存じのようだ。

「良かったよ。ただ、普段耳にするのとは微妙に響きが違うように思えるのだが」

「普通に演奏しても面白みに欠けると思ったので、ピタゴラス音律にしてみたのです。良く気が付かれましたね」

遠慮がちに批評を付け加える男爵に、僕はにっこり笑って言った。

「ふっ、平均律でも純正律でもなく、ピタゴラス音律とは、物理学者らしい洒落たいたずらだ。君は面白い男だな。ジョナサンが一目置くだけのことはある」

がっしりとした右腕がゆっくり伸びてきて、僕の肩を軽く二度叩いた。「デイヴィッド・ライフィールド君。これからもジョナサンと仲良くしてくれたまえ。この面倒な性質をもつ男の父親としてお願いするよ」

仰々しさの無い、完璧な笑顔を湛えた口はそう言った。

「ジョナサンは僕にはない視点の持ち主なので、刺激的な存在です。こちらこそ、長くお付き合いさせていただければ光栄です」

僕は頭を下げた。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。ところで、君の研究のテーマについて、簡単に教えてくれるだろうか。と言っても、私は他のお客様の相手もせねばならないので、ごく手短にお願いしたのでだが」

「私の最終目標は地球を大きくすることです。手始めは地上と宇宙を結ぶエレベータの設置。これで現行のロケットによる宇宙開発に比較してコストを百分の一にすることができます。静止衛星軌道の地球と宇宙両側に渡る約7万2千キロの長さに耐えられるだけの強度を持ったテザー、つまりワイヤーの開発が最重要課題として挙げられますが、こちらの芝生の寝心地が意外な程良くて、脳内実験が捗りました。遠くない将来に宇宙への架け橋をご覧に入れられると思います」

「わっはっは!長くお客を迎えているが、芝生の寝心地を褒められたのは初めてだよ。なるほど。我が家としてもそれは喜ばしい話だね。一つだけ質問させておくれ。君はその計画にどのような立場で関わるつもりなのかな?研究者か、あるいは…」

「け、研究者としてだと思います」

意外な問いに僕は動揺した。単なる疑似宇宙旅行会社ならともかく、世界を牽引する宇宙開発に研究者以外の道などあるのか。そんなことは考えたことも無かった。

「そうか。それなら良い。さて、ニカ!こちらに来なさい」

ソール・レッドシールド男爵は後ろを振り返ると一人の女性に声を掛けた。年若いその娘が近寄って来ると、彼はその背中に手を置いて言った。

「甘えん坊の末っ子を紹介しよう。ニカ、こちらはジョナサンの友人でデイヴィッド・ライフィールド君だ。一曲踊ってあげなさい。では私は失礼するよ」

男爵はオーケストラに合図をするとその場を離れていった。

「初めましてデイヴィッドさん。ニカ・レッドシールドと申します。お噂はお聞きしておりますわ」

首をわずかに傾げて挨拶すると、大きな瞳をしたニカは微笑みを湛えてデイヴィッドに右手を差し出した。デイヴィッドがその手を取ると同時にワルツは始まった。

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