外伝三 存在しない猫の歌・Ⅶ


 ……。

 男の人は立ち止ったが、それ以上の反応をみせようとはしなかった。

 ぼくたちに背中を向けたまま、マネキンのように静止している。

 もう一度、声を掛けようかと迷ったとき、男の人は、ゆっくりと振り返った。


 線の細い感じがする男の人だった。

 どこか存在が希薄な感じがする。

 すれ違った時は二十代後半に見えたが、もう少し若いのかも知れない。

 ぼくたちを見る目は、優しそうでもあり、どこか哀しそうでもあった。

 「どうしたの?」

 男の人は穏やかな声で、ぼくと舞原に問い掛けた。


 「あの、その歌……」

 呼び掛けた理由を話そうとした舞原だが、言葉を途切らせてしまった。

 どう聞いていいのか、分からなくなったのであろう。

 『今、お兄さんの歌っていた歌を聴いたら、岸本ユキという女の子を思い出しました。

 同級生だったはずだけど、ユキちゃんは、いつの間にかいなくなっていたんです。

 先生に聞いても、そんな子はいないと言われました』

 こんなことを話されても、この男の人も困惑するだけというのは想像できる。

 かといって、声をかけたこっちが、黙りこくっていても、やはり男の人は困るであろう。


 「……歌?」

 男の人は、穏やかな口調でうながした。

 黙ってしまった舞原に、苛立っている様子はない。

 むしろ、気遣っている様子であった。


 しかし、舞原は次の言葉を探しあぐねている。

 仕方なく、ぼくが替わり、全部すっ飛ばして聞いてみた。

 「岸本ユキちゃんを知っていますか?」


 ぼくの言葉を聞いた途端、男の人の表情が変わった。

 いや、表情は変わっていない。

 雰囲気が変化したのだ。

 夢から覚め、スッと意識の焦点が合ったよう感じがした。


 「……どうして、その名前を?」

 逆に、男の人が質問をしてきた。


 「……ぼくたち、ユキちゃんと同学年なんです。

 一年生の時に同じクラスだったのに、気がついたらユキちゃんがいなくなってて……。

 たぶん子供過ぎて、記憶が曖昧になっているんだろうけど……。

 さっきお兄さんとすれ違ったとき、歌を歌っていましたよね?

 ……猫の歌」

 歌のタイトルが分からず、ぼくは「猫の歌」と言った。

 それで通じたらしく、男の人は小さく頷いた。


 「その歌、ユキちゃんも歌っていたことを思い出したんです。

 それで、もしかしてお兄さんは、ユキちゃんを知っているのかなって……」

 ぼくはウソを織り交ぜて説明した。


 男の人はしばらく黙り込んだ。

 もしかしたら、怪しんだかも知れない。

 でも、結局、ぼくの話を信じたのだろうか、男の人は答えてくれた。

 「ユキはね……、ぼくの妹なんだ」


 「……え」

 ぼくは中途半端な声を出した。

 いきなりユキちゃんのお兄さんと出会った驚きもある。

 でも、もうひとつ、違和感があった。

 ユキちゃんは、ぼくたちと同学年だったはずだ。

 ならば、今は十歳か十一歳。

 不自然と言うほどでは無いが、目の前の男の人と、少し歳の差があり過ぎるような気がしたのだ。


 「少し歳が離れているだろう」

 ぼくの疑問を見透かしたように、男の人がそう言った。

 「母親が違うんだよ。

 ぼくの実母は、ずいぶん昔に亡くなっている。

 実父が再婚し、新しい母親との間に生まれたのがユキなんだ。

 継母は若かったからね」

 男の人の説明に、そう言うことかと、ぼくは納得した。


 「……あの、今、ユキちゃんは?」

 舞原が遠慮がちに話を戻した。


 男の人は、また少し黙り込んだ。

 「……こう言うことを子供に話すのは、どうかと思うんだけど」

 そう言った後、男の人は、ぼくと舞原の目を見て話しを続けた。


 「ユキは……、行方が分からないんだよ」

 ……。

 ぼくと舞原は、何と言っていいのか分からなかった。

 「五年前、その頃、ぼくは一人暮らしをしていたんだけど、父に呼ばれて実家へと行ったんだ。

 実家には、ユキと継母の姿が無かった。

 父に聞くと、数日の間、継母との口論が絶えなかったそうだ。

 そして、昨日、仕事から戻って来ると、ユキと継母がいなくなっていたって……。

 父は何度か、継母の実家に連絡を取ったけど、戻っていないと言われたそうだよ」


 「……そうだったんですか」

 何とかぼくは、差しさわりの無い言葉を絞り出した。

 「今もまだ、どこにいるか分からないんだ……。

 こんな話を聞いて、ショックを受けただろうね。

 ごめんね」

 男の人は申し訳なさそうに謝罪をした。

 それから、寂しげな笑みを浮かべた。

 「……ぼくはね、今でもたまに、この町に来るんだよ。

 もしかして、どこかで偶然、ユキに会えるんじゃないかと思ってね。

 ……父と継母のことは気にしていない。

 どちらも大人なんだから。

 だけど、ユキは、たった一人の可愛い妹だからね」


 話を聞いたぼくは、とても不安定な気持ちになった。

 岸本ユキちゃんはいた……。

 でも、いなくなっていたのだ……。


 「ぼくは、岸本清伸」

 男の人が自己紹介をし、ぼくと舞原も名乗った。

 「国見タケルです」

 「舞原久美です」


 「国見くん。舞原さん。

 もし、ユキを見つけたら、連絡をくれないかな」

 「はい」

 「もちろんです」

 岸本さんの言葉に、ぼくと舞原は頷いた。


 岸本さんの携帯電話の番号を聞き、それをノートの切れ端に書いてもらった。

 さっき『おりがみ』と書いたノートの切れ端である。

 ぼくが言うのもなんだけど、岸本さんの字は、けっこうヘタクソであった。

 

 「じゃあ、これ」

 岸本さんから、携帯電話の番号を書いたノートの切れ端を返してもらったとき、動物が威嚇するような声が聞こえた。

 見ると近くのブロック塀の上に猫がいた。

 歌にあった「黒い子猫」ではなく、白い成体の猫である。

 地域猫なのか、首輪はついていない。


 白猫は、ふううぅぅぅぅぅぅぅと牙を剥きだして唸り、尻尾と全身の毛を逆立てて、岸本さんを睨んでいた。

 「どうした?」

 白猫に微笑みかけた岸本さんは、「ちちちちちち」と小さく舌を鳴らし、右手人差し指を伸ばして、触ろうとする。

 シャッと短く鳴いた白猫は、身をひるがえすと逃げて行った。


 ……今、思い出すと、あの白猫は、『お百』の子孫だったのかも知れない。


 そして、ぼくたちは、ユキちゃんが見つかることを願って、岸本さんと別れた。

 ぼくの手には、岸本さんの携帯電話の番号が書かれた紙が残っていた……。

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