第十話 タイムカプセルから出てきた闇・Ⅲ


 ぼくは靴を脱ぎ捨てると、靴下のまま、南校舎内の廊下にあがった。


 五年生の靴箱は、東校舎にあるのだ。

 この状況で、忘れた上履きを取りに、東校舎にまで行くこともできない。


 「タケル、待って!」

 その声に振り返ると、舞原が来客用のスリッパにはきかえている。


 「何してんだよ!」

 追いかけてきた男が、今にも現れるんじゃないかと、ハラハラしながら舞原を待つ。


 「靴下が汚れちゃうじゃない!」

 スリッパをはいて廊下にあがった舞原が、文句を言う。


 ぼくたちは、一階の奥にある職員室へと急いだ。

 舞原のスリッパのパタパタという音が、男にぼくたちの居場所を教えているようで、気が気じゃない。


 「失礼します!」

 ぼくたちは、一階にある職員室の引き戸を開けた。

 夏休みでも、誰か先生はいるはずだ。


 「誰ですか?」

 奥の方からのんびりとした声がし、椅子に座っていた新田先生が、伸びあがるようにしてこっちを見た。

 

 五年二組を担当している女の先生だ。

 他には、誰もいない。


 「先生!」

 ぼくたちは、先生に走り寄った。


 「あら、三組の国見くんに舞原さんね。

 もう六時前よ。家に帰らなくっちゃダメじゃない」


 「違うんです。忘れ物をしちゃって」

 ぼくは、入ってきた戸口を気にしながら言う。

 今にもあの男が入って来るかも知れない。


 「何を忘れたの?」


 「いや、そうじゃなくて、あの、これを読んでください」

 どう説明していいのか分からず、ぼくは新田先生に手紙を差し出した。


 「あらまあ、ラブレターかしら?」

 先生は「ほほほ」と笑いながら手紙を読み始めた。

 読み始めると、先生の顔から笑みが消えた。


 「それ、花壇のところで拾ったんです」

 と舞原が言う。


 「それでぼくたち、『墓場』……じゃなかった、『タイムカプセルの森』に行ったら、怪しい男の人がいて、それで逃げてきたんです」

 早口で説明した時、新田先生の後ろの窓を人影が横切った。


 「そ、そこにいる!」

 ぼくが叫ぶと、新田先生は振り返った。

 しかし、もう人影は消えていた。


 「……なんてことかしら」

 先生が窓の方を向いたままつぶやく。

 「……五時には、帰宅するように決められているのに」


 「先生?」

 ぼくは、先生に声を掛けた。

 何か様子がおかしい。


 「……それに不審者がいるだなんて、嘘までついて」


 「嘘じゃないです。

 さっきにそこに……」

 そう説明しながら、ぼくは背筋に冷たいものが降りてくるのを感じた。


 先生がゆっくりと、ぼくたちの方に顔を戻した。


 「……ひ!」

 舞原が小さく悲鳴をあげる。

 新田先生の目尻がクイッと吊り上がり、不気味な四白眼になっていた。

 その吊り上がった目の中で、焦点が微妙にあっていない黒目が小刻みに動いている。

 まるで何かに取り憑かれたようだった。


 「許しマせん。まずは嘘をついタ舌を切っちゃいマしショウね」

 声が跳ね上がり、イントネーションまでもがおかしくなっている。


 新田先生は机の引き出しを開けると、中からハサミを取り出した。

 ぼくたちが使っている、先が丸くなったハサミではない。

 もっと大きな、先が尖ったハサミである。


 「せ、先生!?」

 ぼくが後退ると、舞原は何も言わずにクルリと背を向けて逃げ出した。


 「わわわわわわわ!」

 ぼくも、舞原の後を追って職員室を飛び出した。

 入ってきた出入り口ではなく、すぐ後ろの出入り口を開けて廊下に飛び出す。


 「待ちなさイ!」

 甲高くなった先生の声が追いかけてくる。


 ぼくたちは職員室を出て、すぐ横にある階段を反射的に駆け上がって行った。

 舞原のスリッパが目の前でパタパタと鳴る。


 「脱げ、脱げ! 

 舞原、スリッパを脱げって!」

 ぼくは前を行く舞原に叫んだ。


 スリッパをはいているせいで、階段をあがる速度が遅いのだ。

 舞原は文句を言わず、走りながらスリッパを脱ぎ捨てた。


 そのまま四階まで、一気に階段を駆け上がり切った。

 すぐ横に、鉄のドアがある。

 東校舎へ繋がる渡り廊下に出るドアだ。


 開かないだろうと思いつつも、ぼくはドアの取っ手を回してみた。

 やっぱり動かない。

 鍵がかかっている。


 渡り廊下へ通じるドアは、誰かが開けっ放しにした場合、突風で急に閉まる危険があるからと、いつも鍵がかかっているのだ。

 南校舎から東校舎への移動は、玄関から出て外を回るしかない。


 「こっちだ!」

 ぼくはドアを開けることをあきらめ、廊下を駆けだした。


 登ってきた階段と反対側にも階段はある。

 南校舎も東校舎も、建物の両端に四階から一階まで繋がる階段がある。

 廊下を端から端まで走り、一気に下まで降りれば、入って来た玄関はすぐそこにあるのだ。


 階段のある反対側の場所まで廊下を走ったぼくと舞原は、今度は階段を駆け下りた。

 三段飛ばしで、踊り場に着地する。

 三階を通り過ぎ、そして二階へ続く階段の踊り場に回り込んだ。


 「うわあ!」

 回り込んだ瞬間、ぼくは悲鳴をあげた。


 二階には、ハサミを握った新田先生が、立ちふさがっていたのだ。


        

         つづく

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