外伝一 真夜中のキッチン・Ⅳ
料理の引き算……。
A子は、何と言っていたっけ……。
ぼくは、A子の言葉を思い出した。
『雑味や臭み、エグ味を取って、素材の良いところ、美味しいところだけを残すの。
これが料理の引き算……』
こう言っていたんだ。
……いや、それだけじゃない。
……まだある。
ぼくは、A子の言葉に違和感を覚えたはずだ。
……どこでだ?
……そうだ。ケーキをご馳走になって、慎吾が『すごく旨い』と言った後だ。
『お母さん、料理が得意なの。
たぶん、どんなものでも調理できるんじゃないかな』
A子は、そう言った。
「どんな料理でもできる」じゃなくて、「どんなものでも調理できる」と言ったのだ。
どんなものでも……。
「分かってるんでしょ、タケルくん」
A子が、薄っすらと笑みを浮かべて言った。
ぼくを見る目が怖い。
「……え、え、あの」
「あたしはね、あの夜、あばあちゃんは、調理されたと思うんだ」
A子は、はっきりとそう言った。
「お母さんは、おばあちゃんを調理したのよ。
意地の悪さ、攻撃的な性格、厚かましさ、卑しさ、妬み、嘘、それらを丁寧に丁寧に、一晩かけて取り除いたの。
どうやって調理したのかは分からない。
でも、包丁で、何か大きなものを断ち切るような音は聞こえたわ。
大きな鍋を出しているような音も聞こえた……。
あれは、おばあちゃんを……」
「はははははははは」
唐突に、慎吾が大きな声で笑った。
あまりに突然だったため、ぼくは心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
「し、慎吾?」
「……何がおかしいのよ、慎吾くん」
A子も驚いたのか、呆気にとられたような顔になっていた。
「なんだか物騒な話をしているけど、そんなこと無いよ。
無いね。無い無い。
大人はね、きちんと話し合って、仲直りすることが出来るんだよ」
慎吾が、いつもより大きな声で続ける。
不自然なしゃべり方であった。
「お母さんとおばあさんは、一晩中話し合ったんじゃないのかな。
腹を割って調理したんじゃなくて、腹を割って話し合ったんだよ」
ヘタクソな言い回しをし、自分で「はははは」と笑う。
しかし、慎吾の笑顔は引きつっていた。
目が泳ぎ、視点がさまよっている。
「おれ、そろそろ。帰るね。
ケーキとジュース、あとケガの手当てもありがとう」
慎吾はそう言って立ち上がった。
呆気に取られていたぼくを見下ろし、視線を合わせてきた。
慎吾とは、つき合いも長く、気が合う。
その表情で、話を合わせろと訴えていることが分かった。
「うん。慎吾の言う通りだよ。
お母さんとおばあさん、仲良くなって良かったじゃない。
ぼくも、もう帰るね」
有無を言わさない調子で、ぼくも立ち上がった。
「……う、うん」
すっかり毒気を抜かれた顔になり、A子は小さく頷いた。
「おじゃましましたーー」
A子と共に階段を降りたぼくたちは、ダイニングのテーブルの椅子に座っている、おばあさんに挨拶をした。
おばあさんは、最初に見たときと同じ姿勢で、ニコニコと笑っている。
「あらあら、もう帰っちゃうの?」
そして、これも来た時と同じように、A子の母親がキッチンの奥から顔を出した。
夕食の準備をしていたのか、エプロンをつけ、手に包丁を持っている。
「ケーキ、美味しかったです。
ごちそうさまでした」
ペコリと頭を下げた慎吾は、どんどんと玄関へ向かって歩く。
「ごちそうさまでした」
ぼくもA子の母親に頭を下げ、急いで慎吾の後を追う。
「ちょっと待ってよ。
玄関まで送るよ」
そして、ぼくの後をA子が追ってきた。
玄関から出た場所で、慎吾は、改めてA子にお礼を言った。
「ケガの手当て、ありがとうな。
助かったよ」
「また、学校でね」
ぼくも、そう言い、自転車にまたがった。
「……気を付けてね」
A子は笑顔になり、最後にそう言った。
今日、初めて会ったときの、明るく押しの強い笑顔じゃない。
さっきまで、部屋で見せていた、タガが外れたような怖い笑みでもない。
どこか芯を抜き取られたような、頼りない笑い顔だった。
A子の顔の作りは、母親に似ていた。
今の表情は、おばあさんに似ていた。
……ぼくは恐ろしかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
自転車を走らせ、ぼくたちは図書館横の公園に着いた。
ちょうど、ぼくと慎吾の家との中間辺りにある公園である。
ぼくたちは自転車を止めたが、しばらく口を利かなかった。
自分の考えていることを、上手くまとめるのに少し時間が必要だったのだ。
「ねえ、慎吾」
「なあ、タケル」
しばらくして、ぼくたちは、同時に口開いた。
「……いいよ。
タケルから話せよ」
慎吾が言う。
ぼくは、どう説明しようかと考えながら口を開いた。
「ぼくは、A子の家に遊びにいきたくなかったんだ。
慎吾を責めているんじゃないよ。
A子が嫌いだったんだよ」
「どうして?」
「A子はね、性格が悪くて乱暴者で、4年生の時、クラスのみんなから嫌われていたんだ。
陰湿ないじめをするし、他人のものをわざと壊したり、盗んだりもしていたんだ。
女の子を突き飛ばしてケガをさせ、お母さんが呼び出されたって話も聞いたことがあるよ。
だから、関わりたくなかったんだ」
「マジか?
全然、そんな子に見えなかったよ」
ぼくの話を聞いた慎吾は、驚いた顔になった。
「分かるよ。
今日、ひさしぶりに会った時、あまりの変わり様に、ぼくも驚いたもん。
あんなに、気さくで明るい子だったら、友達になりたくなるだろうしね。
だから、家にあがろうとした慎吾を責めているわけじゃないんだ。
それに、ぼくだって、どうしてA子が、あんなに性格が変わったのか、興味があったしね」
ぼくの言いたいことに気付いたのか、慎吾の表情が硬くなった。
「乱暴な部分、陰湿な部分、悪い性格を引き算された……」
「それは……、分からないよ」
ぼくは、小さく首を振った。
決めつけたくなかったし、決めつけることは出来ない。
「それより、慎吾は、どうしたの?
帰るって言い始めたあたりから、様子がおかしかったけど?」
ぼくの言葉に、何かを思い出したのか、慎吾は小さく身震いし、それから口を開いた。
「おれたち、三角形になるような位置で座っていただろ」
「うん」
「タケルとA子の位置からは、見えなかったんだろうけど、おれが座った場所からは、斜めからドアが見えたんだ」
たしかに、そういう位置関係で座っていたような気がする。
「A子が話している途中で気が付いたんだけど、ちょっとドアが開いていたんだよ」
「……開いていた?」
嫌な予感がした。
「ちょっとだけ開いたドアの隙間から、誰かがずっと覗いていたんだ。
あれは、たぶん……、A子のお母さんだよ」
ぼくは、背筋が凍った。
A子が、祖母を調理したのが、自分の母親だと話していたとき、すぐそばで、その母親が聞いていたのだ
ぼくは、最後に見た、A子の母親の姿を思い出した
キッチンから出てきた母親は、エプロンをし、手に包丁を握っていた。
あれは、本当に夕食の準備をしていたのだろうか……。
もし、慎吾が、母親が覗いていることに気づかず、強引に帰る形にもっていかなかったとしたら……、ぼくたちは、A子の話に同調していたかも知れない。
その先に待っているのは、引き算だ……。
どういう方法か想像したくもないが、まず最初に「おしゃべり」という雑味を引き算されていたのかも知れない。
ぼくたちは、公園で別れた。
まだ明るいうちに、家に帰りたかったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜、ぼくは地図を引っ張り出した。
だけど、A子の家の場所に『怪』の印はつけなかった。
この話は『怪』と記して、残すような話じゃないと思ったんだ。
料理の上手なお母さん。
心を入れ替えたおばあさん。
そして、同じく真面目になったA子。
A子は、ぼくたちをからかっただけなんだ。
……そういう可能性もある。
だとしたら『怪』と印をつけるべきじゃないし、A子の本名を書くべきでもない。
でも、その可能性は……、低いと思うんだ。
ぼくは、そっと地図を閉じた。
リクドウ池の氾濫に遭遇したのは、それから五日目のことだった……。
外伝・了
長らくお付き合いしていただき、ありがとうございました。
これで外伝も終了です。
……と、するつもりでしたが、桐生文香様から、
『地上に出てきた人柱の娘。これからどこへ行ったのか気になります』とのコメントを頂きました。
このコメントで、短い話『人柱の娘』が出来上がりました。
後日、外伝二・人柱の娘を書くと思います。
また、読んで頂けると嬉しいです。
では、
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