外伝二 人柱の娘・Ⅰ


 ……出た。

 ……ついに、出ることができた。


 あたしは、堤の上に立ち尽くしていた。

 ゆらり、ゆらりと、体がゆれる。

 背骨が抜けてしまったかのように、まるで力が入らない。


 すぐ近くには、深い穴がぽっかりと開いている。

 あの穴の底深くに、埋められていたのだ。

 何十年、いや百年を超える昔に、あたしは埋められたのだ。


 人柱である。


 あたしの住む村は、度々、ニヒト川の氾濫によって、大きな被害を受けていた。

 田畑が水没し、家が流される。

 食べるものが無くなり、餓死者が出る。


 それで治水のために、堤を築くことになったのだ。

 ところが、これがうまくいかない。

 積んだ石は崩れ、打ち込んだ杭は流される。


 村の代表である名主の父は、困り果てていた。

 そんなときに、拝み屋だか、山伏だかと言う男が、村を通りかかったのだ。

 どこか胡散臭い男であった。

 

 男はニヒト川を観ると、地相が悪いと言った。

 「しかし、良い方法がある」


 「ぜひ、お教えください」

 父は、男の言葉にすがった。


 そして、散々に飲み食いをした後で、男はこう言ったのだ。

 「人柱を立てなされ。

 贄を出すことで、水神を鎮め、地と堤を強固に繋げなされ」


 その言葉を残し、男は去っていった。


 そこで、人柱を立てることとなったのだ。

 それで、あたしが選ばれることとなったのだ。


 名主の父に頭を下げられ、村の人々から拝まれ、あたしは人柱になることを承諾した。


 ……断れば良かった。

 ……逃げ出せばよかった。


 だけど、断ることも、逃げ出すことも出来なかった。

 信じられないような役割を頼まれ、感情が固まっていたのかも知れない。

 どこか他人事のようだった。

 

 結局、生きたまま、穴の底深くに降ろされ、土を掛けられたのだ。

 そこで初めて恐怖が襲い掛かってきた。


 いやだ。

 いやだ。

 死にたくない。

 死にたくない。


 だけど、土は降り注ぎ、苦しくて、暗くて、重くて……。

 あたしは、すぐに息絶えた。


 それから、ずっと穴の中にいた。

 黒い岩のような闇。

 四方から大量の湿った土に押し込まれ、動けない。

 体が圧迫される。

 締めつけられる。


 屍となって、すすり泣いた。

 こんなことになった、自分の身が恨めしかった。


 恨めしい、恨めしいと泣き続けていると、お経が降りてきた。

 聞こえてきたのではない。

 土と土の微細な隙間から、雨水が浸透してくるように、お経が降りてきたのだ。

 お経に触れると、苦しみが増すようであった。


 父と村人どもは、拝んで人柱としたあたしを、今度は穢れとして、祓おうとしているのだ。

 憎しや……。

 憎しや……。


 すすり泣くことを止め、あたしは、ゆっくりと上を目指した。

 外に出るのだ。


 十年をかけて、土の中で右手を上に伸ばした。

 次の十年をかけて、伸ばした手の分だけ、体を引きあげる。

 そして、次の十年で、今度は、左手を上に伸ばす。


 すでに体は、深い土砂の中で朽ち果てている。


 あたしは、魂魄となって、土蟲のように、上へ上へと這いあがった。


 そして、ある日、伸ばした指先に空間を感じた。

 圧迫するものが無い。


 さらに指をじりじりと伸ばす。

 風を感じた。

 陽の温かさを感じた。

 

 ……外だ。

 ……外に出られる。


 そこから、数年をかけて手首までが出た。

 手の平や甲に、風にそよぐ草が触れる。

 少しチクチクとし、それが心地よい。

 ……あと少しである。


 しかし、ある日、外に出ていたあたしの手を、何者かが叩き始めた。


 トントン、トントンと叩く。

 出るな、出るなと叩く。

 堤が崩れる、堤が崩れると叩く。


 トントン、トントン。

 トントン、トントン、トントン。

 トントン、トントン、トントン、トントン。


 痛くは無い。

 だけど、何度も叩かれるうちに、ゆっくりと手を引っ込めてしまう。


 手を外に出しては叩かれる。

 あたしは片手だけではなく、右手と左手、両手を共に出すようになった。

 それでも叩かれる。


 トントン、トントン。

 出るな、出るなと叩かれる。


 そんなことの繰り返しが何年も続いた。


 でも、あたしはあきらめない。

 ここに来るまで、百年以上の月日をかけたのだ。

 

 ある日、外に伸ばした手が濡れた。

 雨が降っていたのだ。

 外に出た手が雨に濡れることは、これまでも何度かあった。


 雨は激しかった。

 湿った土ではなく、心地よい雨の感触が伝わる。


 その感触を楽しんでいると、トントンと叩かれた。


 出るな、出るな。

 堤が崩れる、堤が崩れる。

 トントン、トントン。

 トントン、トントン、トントン。


 だけど、あたしはあきらめない。

 翌日もまた、手を伸ばす。


 ……と、なぜか、あたしの手を叩く衝撃は来なかった。


 右手の指、手の平、手首、肘を出す。

 誰も叩かない。


 左手の指、手の平、手首、肘を出す。

 誰も叩かない。


 あたしは、両の二の腕とともに頭を出した。

 髪に土がこびりつき、粘土のように固まった頭だ。


 頭を何度も振り、肩を前後に動かし、上半身を揺り動かし、あたしは徐々に外へと出た。

 ……出られる。

 ……出られる。

 両肘を地面につき、まだ埋まっている腰を動かす。

 ……あと少しで、出ることができる。

 

 ついに腰が抜け、両足への圧迫感もゆるんだ。

 右足を抜く。

 左足を抜く。

 

 あたしは、外に這い出した。


 陽がまぶしい。

 まともに、目を開けることができない。

 あたしは、ゆっくりと立ち上がり、一歩、二歩と、よろめきながら歩く。

 

 そのとき、背後で、土砂が崩れる音と振動がした。


 振り返ると、深い穴がぽっかりと開いていた。


 ……あの穴だ。

 あの穴の底深くに埋められていたのだ。

 何年何十年、いや百年を超える昔に埋められたのだ。

 

 ……出た。

 ……ついに、出ることができた。


 と、子供たちの声が聞こえてきた。


 見ると、妙な服を着た子供たちが駆けてき来るところだった。

 四人いる。

 みんな男の子だ。

 

 先頭の子が、こっちに向かって一直線に駆けてくる。

 残りの三人は、その子を追うように駆けてくる。


 あたしは、ゆらり、ゆらりと、体をゆらしながら立っていた。


        つづく




 桐生文香様から、頂いたコメント

 『地上に出てきた人柱の娘。これからどこへ行ったのか気になります』から、思いついた外伝です。

 後、二、三話で終了の予定です。

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