外伝二 人柱の娘・Ⅱ
先頭を走ってきた男の子が、「あ!」と声をあげ、穴の手前で立ち止った。
三人の男の子も追いついて来た。
みんな奇妙な服を着ていた。
筒袖と野袴に似ているが、ぴったりと体に密着している。
あんなに体に密着すれば、動きにくいのではないだろうか。
「なんだ、この穴?」
追いついて来た子の一人が声をあげると、子供たちは、穴の周囲に立って、深い底をのぞき込んだ。
子供たちに、あたしは見えていないようであった。
あたしの肉体は、今、子供たちが、のぞき込んでいる穴の底深くで、朽ち果てている。
今のあたしは、肉を持たない、ただの魂魄であった。
死霊である。
怨霊である。
あたしは、ゆっくりと子供たちに近寄り、一緒になって穴を見下ろした。
暗く深い穴だ。
底は見えない。
人柱のあたしが抜け出たのだから、やはり、この堤は崩れるのだろうか。
あたしは、穴から顔をあげた。
子供たちは、やっぱり誰も、あたしに気づいていない。
……いや、一人だけ、挙動のおかしな子がいた。
最初に走ってきた子だ。
他の三人は、穴をのぞき込んだり、周囲を見回したり、互いに目を合わせたりしているが、その子だけは、石のように固まり、顔を伏せたまま、じっと穴の底を見ている。
不自然であった。
あたしが立つ方向に、わざと視線を向けない様にしている。
あたしは、ゆっくりと移動した。
穴の縁を回り込むようにして、ゆっくりと、その子に近づく。
あたしが近寄ってくることが、分かったようだった。
その子は、体を強張らせ、懸命に下だけを見ている。
すぐ横に立つと、震えをこらえていることまで分かった。
かわいい……。
身を屈め、下から顔をのぞき込んであげたら、どうなるだろうか?
ふふふふふ。
かわいい悲鳴をあげるかも知れない。
さらに半歩、その子に擦り寄った。
下から顔をのぞき込んであげようとした瞬間、大きな声がした。
「危ないって、タケル!
穴に近寄り過ぎだよ!」
別の子が、その子を後ろに引っ張ったのだ。
あたしも驚き、体勢を崩した。
足をもつれさせ、二歩、三歩と後退ってしまう。
そのとき、今まで、その子とあたしが立っていた場所が、ゴソッと大きく崩れた。
崩れた部分が穴へ落ちていく。
あたしは身震いした。
ひとつ間違えていれば、崩れた土と共に、穴に落ちていたのかも知れなかったのだ。
それは嫌だ。
二度と、暗く苦しい場所には、戻りたくなかった。
「おい、ヤバイんじゃないか!」
「土手が崩れるかも知れないぞ!」
残る二人の子供が、慌てた顔で言う。
「大人に報せに行こうぜ!」
子供たちは、そう言って走り出した。
堤の上を来た方向に駆け戻り、車輪が二つ前後に並んだ、妙なモノにまたがると、馬を駆るよう去っていった。
あれは、何なんだろうか……。
残されたあたしは、改めて周囲を見た
ニヒト川は、濁った色の水が、激しく流れていた。
堤を挟んだ反対側には、四角い小屋のようなものが、びっしりと建っていた。
あれは、人が住む小屋なのだろうか?
そんなに多くの人が、あのあたりに住んでいるのだろうか?
田畑は、驚くほど少ない。
人々は、何を食べて生きているのだろうか?
あたしは、斜面をゆっくりと降り、小屋の建ち並ぶ方向へ降りていった。
土手を降りると、なぜか土が無くなっていた。
地面を踏むと、石とも固まった砂ともつかない感触が、足の裏から伝わってくる。
おかしな地面の上を歩く。
行く当ては、無かった。
ただ、おかしな形をした小屋や、奇妙な服を着て歩く人たち、人を飲み込んだまま、大きな道を行き来する怪物を眺めるのは楽しかった。
あたしが、穴の底に閉じ込められていた百年もの間に、人々の暮らしが、大きく様変わりしたことはなんとなく分かった。
と、あたしの前に男が現れた。
五十代後半であろうか、頭をきれいに剃りあげている。
そして法衣の上に袈裟を掛けている。
坊主であった。
「なにか奇妙なものが現れたと思い来てみれば、死霊であったか」
坊主はそう言った。
この坊主には、あたしの姿が見えている。
坊主は、あたしに向かって手を合わせた。
手には数珠が掛かっている。
「成仏されよ」
そう言った、坊主は、お経をあげ始めた。
穴の底に冷たく沁み込んできた、お経ではない。
脱力感が増したが、苦しみは無い。
調伏ではなく、あたしを成仏させようとするお経なのであろう。
坊主の口から流れるお経を聞いていると、意識の輪郭が、ほろほろと崩れていくようであった。
疲れ切って、眠りに落ちる寸前のようになってくる……。
段々と、何もかもが、どうでも良くなってきた。
こうして成仏するのも、悪くないような気さえしてくる。
でも……、それでも、哀しい。
百数十年も穴の底で苦しみ、ようやく外に出たばかりなのに、あたしは消えていく。
哀しく、空しかった……。
「待った」
張りのある声が聞こえ、お経がやんだ。
見ると、坊主の横に、若い男が立っていた。
「おやじ、おれに供養させてくれないか」
若い男は、坊主にそう言った。
顔立ちが似ている。
若い男は、坊主の息子のようであった。
「……分かった。
お前のやりかたで鎮めるなり、成仏させるなりしてみるがよい」
そう言った坊主は、背を向けた。
そのまま去っていく。
残った若い男は、あたしに笑いかけた。
この男も、あたしが見えている。
「おれは、真野。
真野順正と言うんだ。
この町の龍因寺と言う寺の息子で、仏教系の大学……、えーーっと、つまり、坊さんの見習いだよ」
温かい笑みで、あたしに話しかけてきた。
崩れかけていた意識の輪郭が、もどってくるような温かい笑みである。
少し、嬉しくなった……。
つづく
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