外伝二 人柱の娘・Ⅲ


 真野順正と名乗る男に連れられ、あたしは龍因寺の境内に入った。


 真野順正は、不思議な男だった。

 あたしを成仏させようとした、彼の父親のように、生真面目で頑なな雰囲気は無い。

 口元に、ずっと穏やかな笑みを含んでいる。

 と言って、軽薄さや、不真面目さは感じられない。


 どこか、春先の陽だまりを感じさせる男である。

 陽だまりに、真面目も不真面目もない。

 ただただ、温もりに、心が安らぐ。

 

 順正に案内されたのは、本堂ではなく、その裏に建てられた庫裡であった。

 庫裡は、寺院に住む僧侶たちの食事を作る建物である。


 ときに、寝起きする場所や書庫も併設され、住職が住むことがある。

 順正の家族は、父親が住職であり、ここを住居としているようであった。


 「この部屋で、ちょっと待っていてくれるかな」

 あたしを奥の間に招き入れた真野は、そう言い残すと部屋を出て行った。


 あたしは、部屋を見回した。

 ……すごい。

 板間でもムシロを敷いた部屋でもない。

 綺麗な畳が敷かれている。


 天井は、梁がむき出しになっておらず、整えられた板で蓋がされていた。

 囲炉裏の煙はどうするのかと思ったが、そもそも、この部屋に囲炉裏はなかった。


 部屋を区切る引き戸は、おそらく襖であろう。

 襖など、話でしか聞いたことが無い。

 殿様が住まわれる、お城の中の御殿は、このような感じなのだろうか……。


 あたしは畳の上に座ってみたが、どうにも落ち着かず、また立ち上がった。

 実体が無いから、立っても座っても、あまり変わらない。


 「お待たせ」

 しばらくすると、順正が戻ってきた。


 「こっちだよ」

 庫裡の中を先導しながら、順正は、あたしに話しかける。


 「内風呂は、あったのかな?

 銭湯なんてものは、やっぱり、城下町ぐらいの規模にならないとないんだろうか。

 体を洗うのは、行水が多かったの?」

 この男は、何を言っているんだろうと思っていたら、湯殿に案内された。


 この庫裡は、内風呂があるのだ。

 妙につるつるとした湯船には、たっぷりと湯が張られ、湯気が上がっている。

 

 「ちょっと待ってよ……」

 順正が壁に掛かっている、不思議な形をしたモノを触ると、壁に沿って伸びた管の先から、細い水流が束になって溢れ出た。

 まるで小さな滝である。

 この小滝から出る水流は、温かかった。


 「これで、体の汚れを流せばいい」

 順正がそう言った。


 順正が去ると、あたしは、一度、湯殿の手前の小部屋に戻り、そこで白装束を脱いだ。

 泥がこびりついて変色し、ぼろ布のようになった白装束である。


 脱ごうと思い、肩を抜くと、するりと足元に落ちた。

 あたしと同じで、実体があるわけでは無いのだ。

 そもそも、魂魄すらあるまい。

 あたしが、百年も埋まっていれば、こうなっているであろうと想像する白装束の形が、あたしの身を包み、今、足元に落ちていると言ったところであろう。


 裸になったあたしは、湯殿に戻った。

 温かい小滝に打たれる。

 気持ちがいい。

 

 小滝に濡れる手を見る。

 骨に皮を張り付けたような手だ。

 土色となり、泥がこびりついている。

 その泥が、温かい水に溶け、落ちていく。


 この泥も白装束と同じだ。

 あたしの魂魄に張り付いた、実体の無い土くれである。

 それでも、それが流れ落ち、消えていくのは嬉しかった。


 「……入るよ。

 いいかい?」

 手の届く範囲の泥を洗い流したころ、戸の向こうから、順正の声が聞こえた。

 白装束を脱いだ小部屋に入ってきたらしい。


 「よこしまな気持ちは無いからね。

 怒らないでくれよ。

 祟らないでくれよ」

 あまり笑えないことを言いながら、順正は、前に開く戸を開け、ゆっくりと入ってきた。

 

 上半身は、ぴっちりとした貫頭衣のようなものを着ている。

 下は、細い筒袴を膝までめくりあげていた。

 脛がむき出しになっている。

 足は裸足だ。


 あたしは、恥ずかしさで、順正に背を向けた。

 順正には、あたしが見えているのだ。

 裸を見られる恥ずかしさと言うより、みすぼらしく汚れた体を見られることが恥ずかしかった……。


 「それに座って」

 順正は、低い床几のようなモノを手前に引いて言う。


 あたしがそれに腰を下ろすと、順正は小滝を壁から外した。

 小滝に繋がる管を伸ばし、後ろからあたしに小滝の湯をかけ始める。


 気持ちがいい。

 小滝から噴き出す湯は、実際は、あたしをすり抜け、湯殿の床に落ちては流れていく。

 だけど、髪やうなじに、湯が当たる感触がある。

 粘土のように固まった土が徐々に溶け、髪がほぐれていく感触があるのだ。


 順正はあたしの肩越しに手を伸ばすと、奇妙な形をした容器から、トロリとした液体を手の平に取った。

 

 「これはね、シャンプーと言うんだ」

 

 ……そう言われたが、意味が分からず、返答のしようがない。


 「なんと言えばいいのかな。

 髪を洗う薬湯みたいなものだよ」

 順正が説明をはじめた。


 「これを髪の毛につけて洗うと、ものすごく泡が出て、この泡が髪の汚れを落としていくんだ。

 髪の毛だけじゃなく、頭の皮膚についている汚れも、きれいに取れる。

 固まった泥も、細かい土も、全部、流れていくよ。

 それに、香りもいい。

 花の香りがするんだ。

 ほら、いい匂いがするだろ」

 順正は細かく説明をする。

 

 順正が細かく説明をし、あたしがそのことを理解すればするほど、その効果があたしの魂魄に現れるのだろう。

 

 実際そうなった。


 後ろにしゃがみ込んだ順正が、薬湯しゃんぷうを使い、あたしの髪を洗い流してくれたのだ。

 ゆっくりと洗い、たっぷりの湯で流す。

 

 髪にこびりついていた泥が流れ落ち、ごわごわとしていた感触が消えた。

 髪の根に張り付いていた、細かい土の感触も消えた。


 頭全体が軽くなり、ふわりと良いにおいが鼻をくすぐる。

 夢心地になるほどにすっきりとした。


 「次はこれ、リンス」

 順正が、二つ目の薬湯の説明をはじめた。


 薬湯りんすの効果も素晴らしかった。

 



       つづく

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