第十八話 奇妙な夏祭り・Ⅱ
「死んでから標本にするんじゃなくて、殺しちゃうのか……」
ぼくは迷ったままだった。
飼っていた、カブトムシや金魚が死んでしまったことはある。
でも、自分から殺すということはしたことがない。
「死んじゃった昆虫は腐ったり、形を整えるときに脚が取れたりするから、消毒用のアルコールに浸けて殺すんだよ」
慎吾も、ちょっと気まずそうな顔になって説明する。
「それから背中のちょっと右側を虫ピンで刺して台に留めるんだ。
後は脚をきれいに伸ばして、マチ針を使って固定し、乾燥させるんだよ」
「……」
ぼくは、まだためらっていた。
「どうする? やめるか?」
慎吾が言う。
ぼくは悩んだけれど、結局、自分の手で標本を作るという誘惑には勝てなかった。
「……遊びじゃなくて宿題だし、仕方ないよね」
「そう、仕方ないよ」
慎吾がうなずく。
そして、ぼくたちは、最後の罠がある場所に、暗い森の底を移動した。
でも、四つ目の罠には何も掛かっていなかった。
カナブンやゴミムシすらいない。
腐りかけたバナナが甘い匂いを漂わせているだけだった。
「ここは空振りだね」
「でも、これだけ集まったら、すごい標本が作れるぞ」
ぼくたちは互いに虫カゴを見せ合った。狭い虫カゴの中でギシギシとカブトムシやクワガタムシが暴れている。
「じゃあ、帰るか、タケル」
「だね」
そう返した時、何かいい匂いがフワリと漂ってきた。
ビニール袋に入れたバナナの匂いではない。
「慎吾、何かいい匂いがしない?」
「そういえば……」
ぼくたちは周囲を見回した。
もう少し、森の斜面を登った方向から匂いは漂ってきていた。
ぼくたちは匂いに引かれるように斜面を登った。
登りきると下りになり、その先に競技公園の広場が広がっているのが見渡せる。
「うわ!」
「何だ、あれ?」
ぼくと慎吾は目を丸くした。
見下ろした公園の広場では、祭りが開かれていたのだ。
浦座競技公園は、ちょっとした競技大会やスポーツができるようなグラウンドがメインで、公園らしい遊具は、片隅にシーソーや滑り台があるていどである。
そのグラウンドに幾つもの露店が向かい合う形で並び、そこに大勢の人々が集まっていた。
露店の照明で、その祭りの一角だけが、ボワッとした黄色に浮かび上がっている。
「こんな時間から、祭りをやってたんだ……」
慎吾が驚いた顔でつぶやいた。
親子連れや浴衣姿のアベックが楽しそうに露店を見て回っていた。
どこかにスピーカーが設置されているのか、トントトントンと小太鼓の軽妙なリズムが流れ、そのリズムに混じって子供の笑い声や集まった人たちのざわめきが届いてくる。
トウモロコシを焼く香ばしい匂いや、ベビーカステラを焼く甘ったるい匂いも漂ってくる。
さっき森の中でした匂いは、これだったのだ。
「行ってみようぜ、タケル」
慎吾がそう言うと森の斜面を降りはじめた。
斜面を降りきると、外周と同じく低い石垣となり、そのままグラウンドに入れるのだ。
「でも、お金なんか持ってきてないよ」
「そういや、オレも持ってきてないや。
じゃあ、今から家に帰って、すぐに戻って来ようか」
立ち止まった慎吾がそう言うと、広場から露店商のおじさんの声が聞こえてきた。
「さあ、金魚すくいのサービスタイムだよ。
小学生は無料だよ!」
「トウモロコシも子供は一本サービスだ!」
「よーーし、リンゴ飴だって無料だぞ!」
グラウンドのざわめきが「わッ」と大きくなる。
「ラッキー! タダだってよ。
行こうぜ、タケル!」
慎吾が再び斜面を下りて行こうとする。
「……ちょっと待って。
おかしくないか、これ」
「行こう」と同意しかけて、ぼくは立ち止まった。
こんな時間から祭りをするなんて聞いたことが無い。
それに、これだけにぎやかにしていたのなら、もっと前からざわめきが聞こえていたはずだ。
そう思って耳を澄ませてみれば、露天商のおじさんたちの言葉もおかしかった。
さっきまでは「さあ、金魚すくいのサービスタイムだよ。小学生は無料だよ!」と聞こえていた言葉も、「さあ、キヌギョるすいのサービル、サービル。ショルヌがせいな無リウだろ」と聞こえる。
まるで言葉になっていない。
「トリルロモリ、子モロなイ本サービルな!」
「よるるるる、リルロナうるるナーダららら!」
意味の分からない声に、ぞわぞわと鳥肌が立ってきた。
「し、慎吾、帰ろう」
「……う、うん」
慎吾もおかし過ぎることに気づいたのか、強張った声で答えた。
その途端、音が消えた。
小太鼓の音が止まり、シンと静まり返ったのだ。
さっきまでにぎやかだった人々の話し声もピタリと止んだ。
それどころか、みんな動くことすら止めていた。
異様な光景だった。
「おい、なんだよ、これ……」
慎吾がつぶやく。
「なんかヤバいんじゃないか……」
ぼくも震える声でつぶやいた。
その瞬間、露天商のおじさんたちや、祭りを楽しんでいた人々、大人も子供も、アベックも老人も、グラウンドにいた全員が一斉にぼくたちを見上げた。
ぼくも慎吾も「ひッ!」と、短い悲鳴をあげた。
ぼくたちを見上げる人たちの目は、一人残らず真っ黒でツヤツヤと光っていたのだ。
それは昆虫の目玉にそっくりだった。
つづく
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