第十七話 奇妙な夏祭り・Ⅰ
その日の四時、ぼくは『浦座競技公園前』の交差点にあるコンビニの駐車場に自転車を停め、慎吾が来るのを待っていた。
夕方ではなく、朝の四時である。
三時半に起きた時には真っ暗だった空は、少し明るさを増した藍色に変わっていた。
それでも町は、まだ暗い。
目の前を走る四車線の国道、その向こうにある競技公園の外周を囲む森は、真っ黒なシルエットになっている。
昨日の夕方、この競技公園を囲む森の中に、昆虫採集の罠を仕掛けたのだ。
昆虫をおびき寄せるエサは、バナナを焼酎に漬け込んで発酵させたものである。
発酵した甘ったるい匂いが、昆虫をおびき寄せると本に書いてあったのだ。
お母さんからもらった古いストッキングに、そのバナナを入れて、森の中の四ヶ所に吊るしておいたのだ。
今頃、匂いにつられたカブトムシやクワガタが、何匹も集まっているはずである。
横断歩道の前に立つ僕が、信号を無視して飛び出すとでも思ったのだろうか、プアアアーーンと大きなクラクションを鳴らし、トラックが猛スピードで通り過ぎて行った。
「うるさーーい」
耳を押えて文句を言うと、自転車に乗った慎吾がやっと現れた。
「お待たせ! タケル」
「五分遅刻」
ぼくが指摘すると、慎吾は「悪い、悪い」と片手で拝むように謝った。
その時、信号が青に変わった。
「じゃあ、行こうか」
「よし!」
ぼくたちは、自転車に乗って信号を渡った。
信号を渡ると歩道に沿う形で、高さが一メートルほどの低い石垣が延々と続いている。
その石垣をのぼると一段高くなった森となり、それを越えると競技公園が見下ろせるのだ。
森は、競技公園をいびつな馬蹄形に盛り上がった形で囲んでいる。
歩道を左に進むと競技公園の出入り口があるが、ぼくたちは信号を渡った歩道の隅に自転車を停めると、そのまま石垣を登り、森の中に入り込んだ。
ぼくと慎吾は持ってきた懐中電灯のスイッチを入れた。
森の中に二つの光の筋が生まれる。
「おお、なんだか雰囲気が出るなあ」
「別世界を探検している感じだね」
ぼくたちはクルクルと懐中電灯の光を揺らし、樹々のあちこちを照らしながら進んだ。
ゆるやかな斜面となっている地面は腐葉土に覆われていて、斜面を登る足が軽く沈む。
「これだけ早起きして、一匹も掛かってなかったら、オレ、泣いちゃうよ」
「ぼくだって泣くよ。
仕掛けのバナナは、自分の小遣いで買ったんだよ」
慎吾とそんなことを話すうちに、一つ目の罠を仕掛けた場所にたどり着いた。
「この木だよね」
ぼくたちは見覚えのある木の後ろに回り込んだ。
「おお! すっごい!」
「いっぱい集まってるぞ!」
ぼくと慎吾は声をあげた。
木の根っこに置いたバナナ入りのストッキングに、何匹もの昆虫が群がっていたのだ。
立派な角のオスのカブトムシが三匹もいる。
その横にはメスのカブトムシ。
そして、水牛の角のように湾曲したアゴを持つノコギリクワガタ。
スマートな体に長い触角を揺らすカミキリムシは二匹。
きれいなグリーン色をしたカナブンも、隅っこの方でストッキングにしがみついている。
ぼくたちは「大漁、大漁」と言いながら昆虫を捕まえると、肩から斜めに掛けていた虫かごのフタを開け、次々に入れていった。
捕まえた昆虫は、後でじゃんけんをして分けようと約束をしていたから、どっちが、どの虫を捕まえたかでケンカをすることはない。
慎吾はカブトムシやクワガタだけでなく、カミキリムシやカナブンも虫かごに入れていた。
二ヶ所目、三ヶ所目の罠にもたくさんの昆虫が集まっていた。
「バナナの焼酎漬けは最強だね。
こんなに採れるとは思わなかったよ」
ぼくは、カブトムシの短い方の角をつまんで言った。
今日、一番の大物だ。
バナナから引きはがされたカブトムシは、ギシギシと鳴き、二股のかぎ爪のついた脚をジタバタと動かしている。
角をつまむ指から、カブトムシの持つ力強さが伝わってくる。
クワガタも恰好いいけど、こうやって見るとカブトもやっぱり捨てがたい。
伸びた長い角の迫力は、昆虫の王様といわれる風格があった。
その角の根元には、懐中電灯の光を反射する、真っ黒いビーズのようにツヤツヤとした目玉がある。
「お、ミヤマクワガタ発見!」
慎吾はミヤマクワガタを見つけてつまみあげた。
ミヤマクワガタは頭部の左右に出っ張りのあるクワガタである。この出っ張った部分が、また恰好いいのだ。
「こんなに採れたら、小さな虫カゴじゃ飼えないよね。
家に使ってない水槽があったから、その中で飼おうかな」
ぼくは虫カゴを持ち上げ、中をのぞき込みながら言った。
「土を敷いて、葉っぱのついた太い枝を中に入れて、小さな森みたいにした中にカブトやクワガタを入れるんだ」
「いいじゃん、それ。
昆虫王国だな」
慎吾が賛同してくれる。
ぼくは、もうカブトムシやクワガタムシがいないのを確認すると、バナナの入ったストッキングをつまみあげ、ビニール袋に入れようとした。
きちんと家に持って帰ってから捨てるよう、お母さんに言われているのだ。
「ちょっと待って、タケル。
こいつも採るから」
慎吾はストッキングの端にへばりついていた地味なゴミムシも捕まえると、虫カゴの中に放り込んだ。
「そんな虫、どうするの?」
ぼくは不思議になって、慎吾に聞いた。
「夏休みの宿題に自由研究があるだろ。
オレ、昆虫の標本を作ってみようと思ってるんだ。
種類が多い方が、それらしくなるだろ」
慎吾は虫カゴのフタを閉めながら答えた。
「標本を作るの?
すごいなあ。難しくない?」
ぼくは博物館で見た昆虫の標本を思い出した。
あんなかっこいい標本が自分で作れるんだろうか。
「オレも初めて作るんだけど、そんなに難しくないみたいだよ」
「いいな、ぼくも作ってみたいな」
「じゃあ、タケルも一緒に作ろうぜ」
「いいの? やった!」
ぼくは喜んだ。
「クラスのみんな、絶対にびっくりするぜ」
「でもさ、慎吾。
カブトムシはともかく、クワガタムシは夏を過ぎても生きているだろ。
九月の提出日に間に合わないんじゃない?」
「可哀想だけど、殺すんだよ」
慎吾の言葉に高揚していた気持ちが、すっと萎んだ。
殺しちゃうのか……。
でも、標本作りの魅力は大きい。
……うん。遊びで殺すんじゃないもんな。
ぼくは、自分自身を納得させようとした。
朝が近くなっているはずなのに、森の中は、何故か闇が増したような気がした……。
つづく
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