第二十七話 リクドウ池の氾濫・Ⅳ

 

 「河童だよ。

 あんたが悪さをするから、河童に引っ張られたんだよ」

 奥のレジ台の上で座っているおばあさんが、おじさんに向かってそう言った。


 ぼくは、おじさんが「ふざけるな!」と怒り出すんじゃないかと思った。

 ところが、おじさんは、真顔になって何度もうなずいた。


 「あ、あれは河童かも知れねえ。

 甲羅だ。甲羅があったんだ」


 「いるわけないだろ、そんなもの」

 おじさんの言葉に、工藤の兄ちゃんがあきれたような顔になった。


 「じゃあ、これを見てみろよ!」

 おじさんが濁った水の中から、右足をあげた。


 ズボンが、膝下から大きく裂けていた。

 むき出しになった足は、鋭い爪で引っかかれたよう傷が二ヶ所に走り、その間の肉が何かに噛みつかれたように抉れている。


 犬のように、牙のある動物に噛まれた跡には見えなかった。

 鋭角にざっくりと抉れている。

 まるで大きな嘴をもつ鳥に噛まれたような傷跡だった。

 そこから真っ赤な血が流れている。


 「……!」

 舞原は顔をそむけた。


 「……水の中を流れてきた、針金や看板で切ったんじゃないのかな」

 工藤の兄ちゃんは、河童なんか、まるで信じていない顔で言った。


 ぼくだって、まだ河童がいるとは信じられない。

 けど、おじさんの足の傷は、針金や看板でついた傷にも見えなかった。


 「お、おい。

 どけよ、ガキども。

 そこは、ケガ人のオレに座らせろ」

 おじさんはぼくと舞原をどかせて、レジ台に上がろうとした。


 「あんたいい加減にしなよ!」

 工藤の兄ちゃんが、厳しい声を出した。

 「傷口が心配なら、怪我した片足だけレジに乗せて、立っときゃいいだろ!」


 「分かったよ」

 おじさんは怪我をした足をレジの端に乗せると、ふて腐れたような顔になった。


 「……じゃあ、救急車だ。

 救急車を呼んでくれよ」

 おじさんが訴え、工藤の兄ちゃんがスマホを取り出した。


 119番に掛け、怪我人が出たから救急車を回してほしいと伝える。

 「ええ、はい。

 ……分かりました。なるべく早くお願いします」

 電話を切った工藤の兄ちゃんが、おじさんに顔を向けた。

 「救急車も消防車も出払っていて、ちょっと時間がかかるってよ」


 「くそ。こんな店に入るんじゃなかったぜ」

 おじさんは舌打ちした。


 その時、出入り口近くの棚がガンと音を立てて、大きく揺れた。

 「わわわわ!」とおじさんが怯える。

 「おい、化け物が店の中に入ってきたんじゃねえのか!」


 ぼくと舞原はレジ台の上に立ち上がり、揺れた棚の辺りを見つめた。


 出入り口のドアは大きく開いたままになり、店内に流れ込んだ泥水は、もう腰の辺りまで沈む深さになっていた。


 出入り口近くの通路の水面にスーーッと波紋が走った。

 浮かんでいたお菓子の袋が、押しのけられたように、ゆらゆらと移動する。

 何か大きなものが、水中を移動したようだった。


 「工藤の兄ちゃん!

 何か入ってきてるよ!」

 ぼくは、波紋が走った位置を指さしながら叫んだ。


 「見えたのか? タケル」

 「一瞬だけだったけど」

 「私も見たわ」

 工藤の兄ちゃんに、ぼくと舞原が答える。


 「いた! 

 今度は、そっちだよ!」

 ぼくは店の奥を指さした。

 水面下を移動する影を見つけのだ。


 レジが設置された場所とは反対側の奥の角、ちょうどトイレのドアがある辺りである。

 正確には、そのドアを開けるとトイレになっている訳では無い。

 そこは手洗い場になっている。

 手洗い場の左右にドアがあり、男性用、女性用のトイレとなっているのだ。


 工藤の兄ちゃんが水を掻き分けて、トイレのドアが見える位置に移動した。


 そして、ぼくたちが見ている前で、ドアが押し開けられた。

 ドアはスイングドアと言って、どちら側からであっても、押すだけで開くドアである。

 水中で、何かがトイレのドアを押したのだ。


 「……マジかよ」

 工藤の兄ちゃんも緊張した顔になった。


 何かが手洗い場のスペースにの中に入り込んだのか、ドアはゆっくりと閉じた。


 そして、トイレの中から「ウェウェウェウェ」と、不気味な笑い声のようなものが響いてきた。


 「きゃ!」と声をあげて、舞原が真っ青になった。


 「ほれ、いるだろ! 

 化け物がいるじゃねえか!」

 おじさんが泣き笑いのような顔になって言う。


 今度はトイレのドアが向こう側から押し開けられた。

 水中を移動する何かが店内に戻ってきたのだ。


 「見て! 

 こっちにもいる!

 また入ってきたよ!」

 舞原が開きっ放しになっている、出入り口のドアあたりを指さして叫んだ。


 見ると、外から航跡のような波紋を引いて、何が大きなものが店内に入ってくるところだった。


 黒くていびつな形をしたモノが水面に浮かび、そしてスッと沈んでいった。

 一瞬だけど、はっきりと見えた。

 間違いなく甲羅である。

 しかも大きい。


 水中の中にある部分を含めれば、優に1メートルはありそうな甲羅であった。


 あれが河童だとしたら、一匹じゃない。

 少なくとも、店の奥にいるモノと合わせて二匹はいる。


 リクドウ池は、本当に、どこか良くない場所と繋がっているのだろうか……。


      つづく

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