外伝三 存在しない猫の歌・Ⅴ
「口に出すなよ」
と、改めて慎吾が言った。
「声にせず、渡した紙に書いてくれ」
慎吾から言われるまま、ぼくは思い出した岸本ユキちゃんの特技をノートの切れ端に書いた。
横を見ると、舞原もノートの切れ端に鉛筆を走らせている。
「書いたよ」
「あたしも」
ぼくと舞原は、二つ折りにしたノートの切れ端をつまんでみせた。
「おれも、二人が来る前に書いてたんだ」
慎吾は、胸ポケットから四つ折りにしたノートの切れ端を出した。
「よし、開けるぞ」
慎吾がそう言い、ぼくたち三人は、それぞれノートの切れ端を開いて、中に書いた言葉を見せ合った。
『おりがみ』
『折り紙』
『折り紙』
三人とも、ノートの切れ端に『おりがみ』と書いていた。
ぼくが思い出したのは、ユキちゃんが小さな折り紙で、ちまちまと鶴や小箱を折っていた姿である。
休み時間、折り紙を折るユキちゃんの机の周りには、何人かの女子が集まり、感心した顔で、ユキちゃんの手元を見ていた。
折り方を教えてもらい、ユキちゃんの指の動きを真似ている女子もいた。
ときおり、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
ぼくたち男子は、それを遠巻きに見ていた。
「……誰からも『折り紙』って言葉を聞いていないのに、三人とも『折り紙』って書いたってことは、思い出したユキちゃんの記憶は、捏造されたものでも、上書きされたものでもなく、本当の記憶だったってことなのよね」
「そう言うことだよな」
舞原の言葉に、ぼくは同意した。
「でもさ」
同意はしたけど、謎は残る。
「それなら、どうして、出席簿に、岸本ユキちゃんの名前が載ってなかったんだろ」
「あのさ……」と、慎吾が言った。
謎を解いてくれるのかと思ったが、慎吾は新たな謎を投げてきた。
「もうひとつ、おかしなことがあるんだ」
「もうひとつ?」
「おれたち三人とも、ユキちゃんが教室で折り紙をしていた姿を思い出したんだよな」
「うん。女子が周りにいたはずだ」
「ユキちゃんに、折り方を教えてもらっている女の子もいたわ」
舞原の口にした言葉は、ぼくの記憶と合致していた。
「一年生になったばかりのころ、立花先生に、こう言われなかったか。
『勉強に関係の無いものは、学校に持って来てはいけません』って。
……折り紙を持って来てる女子なんていたか?」
慎吾がそう言った。
「そう言われれば……」
いなかったはずである。
ぼくは舞原を見た。
男子が知らないだけで、もしかしたら女子たちは、こっそり折り紙を持ち込んでいたのかも知れないと考えたのだ。
「あたしは知らない。
でも、折り紙って図工でも使うでしょ。
誰かが持って来ていてもおかしくないんじゃないの?」
舞原が小さく首を振る。
「いや、禁止だったよ。
学級会で、練り消しや匂いの強い消しゴムはダメっていう話が出たじゃん。
あのとき、転がしてゲームができる鉛筆や折り紙もダメだって話になっただろ。
覚えてない?」
慎吾の言葉に、そういう話し合いがあったことを薄っすらと思い出した。
「あったな、そんなこと。
でも、消しゴムは問題ないって話じゃなかったっけ?
ぼくは練り消しを使ってたぞ」
「それは、その話し合いの前までだろ」
「違うって。
ほら、ぼくが練り消しで怪獣を作ってさ」
「あ、ゲルゴザウルス!」
「それそれ!」
「でも、あれを作ったのってケンちゃんだろ」
「なんだよ、それ。
あれは、ぼくが……」
「なんの話をしてるのよ!」
……盛り上がったら、舞原に叱られてしまった。
「消しゴムなんかどうでもいいわよ。
ユキちゃんの話をしてるんでしょ」
「悪かったって、そんなに怒るなよ」
ぼくは、舞原をなだめようとしたが、慎吾は真逆のことを言った。
「いや、おれはもう、ユキちゃんの話はしたくない」
「……どうしてよ」
舞原が不満そうな顔になる。
「だって、ユキちゃんの話をしたり、あの歌を聴いたりする度、新しい記憶が生まれるんだぞ」
慎吾は「思い出す」ではなく「生まれる」と言った。
たしかに、ぼくもそんな感じを持ち始めていた。
「このまま、ユキちゃんの話を続けていたら……、知らない記憶がどんどん重なって……、最後には、何かを呼び出すことになるんじゃないかって思えてきたんだよ」
慎吾は真面目な顔でそう言った。
ぼくも舞原も無言になった。
今の慎吾の言葉で、怖い想像をしてしまったのだ。
慎吾は『何か』と言葉を濁したけど、それは岸本ユキちゃんのことであろう。
存在していなかったはずのユキちゃんが、ぼくたちの記憶の中でどんどん形作られて、いつか現実の世界に……。
慎吾の言葉は、ある意味当たっていたのかも知れない。
でも、呼び出してしまったのは、もっと禍々しい怪物だったのだ……。
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