外伝三 存在しない猫の歌・Ⅳ


    ◆◇◆◇◆◇◆


 「お待たせ」

 ぼくと舞原は、正門近くで待っていた慎吾と合流した。


 「どうだった?」

 「それがさあ……」

 慎吾に問われて、職員室でのことを話す。


 「そっか。出席簿で確認したんだ。

 じゃあ、そのユキちゃんは、やっぱりいなかったんじゃないのかな。

 ん~~。少なくとも、一年生で同じクラスじゃなかったってことになるのか……」

 慎吾は、何故か煮え切らない表情でそう言った。


 「でも、なあ……」

 「記憶違いとか、そう言う感じじゃないのよ」

 納得いかないぼくと舞原を見ていた慎吾は、どこか困った顔になり、とんでもないことを口にした。


 「……実は、おれも思い出した」

 

 「え!」

 「本当なの?」

 ぼくと舞原は驚いた。


 「舞原が教室で、ほら、猫の歌を歌っただろ。

 そのとき、そう言えば程度に、記憶に引っ掛かるものが生まれたんだ。

 その後、タケルがユキちゃんの特徴を口にしただろ。

 同じ記憶が蘇った。

 笑っているユキちゃんの顔も思い出した」

 

 「じゃあ、どうして、その時に……」

 「記憶の捏造じゃないかと思って、ちょっと自信が無かったんだよ」

 ぼくの不満を慎吾がさえぎった。


 「記憶の捏造?」

 「人間の記憶って、けっこういい加減で、体験してない事、見ていないことも、第三者から何度もリアルに語られると、そういう体験をした、そういうものを見たって、記憶を新たに捏造することがあるらしいんだよ」

 慎吾自身も、はっきりとした知識は無いのか、言葉を選ぶようにして答えた。


 「たとえば、去年、ニビト川の河川敷で遊んでいるとき、でかいコイが泳いでいるのをタケルが見つけたって話をおれがするんだ。

 タケルは、そんな記憶は無いから、「見てない」って否定するだろ」

 「あ……、うん」

 慎吾の話の意味が分からず、ぼくは曖昧に返事をする。


 「だけど、おれは、本当のことも交えて、具体的に話すんだ。

 ほら、秋頃、何度も自転車で河川敷に行ってただろ。

 三角岩の辺りから、川が見えるじゃん。

 あそこで、タケルが大きなコイを見つけて、おれたちに教えてくれたんだよ。

 テツオも涼介もいたぞ」

 「……」

 「それで、涼介がこんなことを言うんだ。

 『五匹くらいの群で、一匹が大きかったんだよな。

 50cmはあったよね』って。

 テツオは、『水面がキラキラ反射してなかったら、絶対に俺の方が先に見つけた』とか言い出すかな」

 「……」

 「どうだ、タケル。

 ニビト川で見たコイの映像が、頭の中に浮かんでこないか?」


 「それは、まあ、具体的な話をされれば、イメージは湧くけど……」

 ぼくの頭の中には、太陽の光を反射する川面の下で、悠々と泳ぐコイのシルエットが見えていた。

 五匹の群の先頭にいるのが、巨大なコイである。

 流れに逆らって泳いでいるから、ゆっくりとしか移動はしない。

 だけどこれは、慎吾の話から連想した、ただのイメージである。


 「今のは、おれが『たとえば』って前置きしたから、タケルの記憶は捏造や上書きはされないけど、唐突に、こんな話をされたら、「そうだったかな」って思い、頭の中に浮かんだイメージが、実際にあったこととして認識されるようになるんだ」

 「それが、記憶の……」

 「捏造」


 何となく慎吾の言うことは分かる。

 ぼくだったら、すっかり本当にあったことだと思い込み、あのコイを釣りに行こうとか言い出すかも知れない。


 「じゃあ、あのとき慎吾は、あたしやタケルの話を聞いて、ユキちゃんを思い出したんじゃなくて、ユキちゃんという女の子をイメージし、それが自分の記憶だと錯覚したんじゃないかって疑っていたってこと?」

 「さすが舞原。

 その通りだよ」

 慎吾が笑って頷いた。


 「でも、どうして今になって、思い出したって言うの?」

 「そう、それなんだよ」

 難しい顔になった慎吾は、「ちょっと、これを持ってて」と言うと、ぼくと舞原にノートの切れ端と鉛筆を渡した。


 「二人を待っている間に、舞原の歌った、あの猫の歌を口ずさんだんだ。

 って言っても、覚えていたのは、最初のフレーズだけなんだけど。

 そしたら、……ユキちゃんの記憶が蘇った」

 慎吾は笑みを浮かべていたけど、その笑みは強張っていた。


 「二人が話したこととは、まったく違う思い出なんだ」

 「どんな?」

 ぼくが問うと、慎吾は首を横に振った。

 「言わない。

 言うと、その言葉が、タケルと舞原の記憶を捏造するかも知れない」

 そして、慎吾は、こう続けた。

 「今から質問をする。

 答えは口に出すな。

 その紙に書いてくれ」


 「分かった」

 「書けばいいのね」

 ぼくと舞原も真剣な顔で頷いた。


 「ユキちゃんは得意なことがあった。

 休み時間、集まったみんなに、それを教えていたことがあった。

 思い出せるか?」

 慎吾がゆっくりとそう言った。


 ……何だろう。

 ……あったような気がするけど、思い出せない。

 舞原も、ノートの切れ端に何かを書いている様子は無い。


 慎吾が囁くように歌った。

 「ミャーミャー、子猫の鳴き声がする。

 細くて、小さな甘える声。

 見つけたよ。迷子の子猫……」


 ……!

 ぼくは、ぞっとした。

 一体、何がどうなっているのだろう。

 慎吾の歌を聴いた途端、岸本ユキちゃんが得意だったことを思い出したのだ。

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