第三話 ニビト堤の人穴・Ⅲ


 聞こえる。


 トントン……。


 耳を澄ますと確かに聞こえる。


 布団の中のぼくは、恐怖に身を丸くした。

 あのおじいさんがやってきたのだ。

 ぼくの家の屋根にのぼり、しゃがみ込み、金づちで屋根を叩いているのだ。


 トントン……。

 トントン……。


 音が大きくなる。

 寝ているぼくの真上にいる。


 どうして、ぼくの家が分かったんだろう。

 逃げたぼくの後をつけてきたんだろうか。

 もしかするとおじいさんは、三年生のとき、社会の授業でつくった地図を手にいれて、ぼくの家を見つけたのかも知れない。


 トントン。

 トントン。


 音が大きくなってきた。

 布団の中で丸まっていても、はっきりと音が聞こえるようになってきたのだ。


 トントン。

 トントン。トントン。

 トントン、トン。トントントン。トトトトン。

 天井から聞こえる音のリズムが早くなり、音は屋根からだけではなく窓からも聞こえはじめた。


 ……違うぞ。

 そのときになって、ようやくぼくは、音の正体にやっと気がついた。

 雨だ。これは雨の音だ。

 大粒の雨が降りだし、その雨が天井や窓を叩く音なんだ。


 風も強くなったのか、雨音はザッザッという音に変わっていた。

 風に乗った雨粒は、ザッと音を立てて、天井や窓に打ち付けられる。

 その合間に、トントントトと雨音が入り込む。


 雨音だと分かったぼくは、大きく息を吐いた。

 でも、まだ布団の中から頭を出すことはできなかった。


 そんなことはないと分かっていても、雨の中、びしょ濡れになって、ぼくの家の屋根でしゃがみ込む、おじいさんを想像してしまうのだ。

 おじいさんは、屋根の上から、じっとぼくを見下ろし、金づちを打ちおろし続けている。


 ザッザッ……。トントン。ザザザーーッ。

 ザーーッザザッ。サザッ。トントン……。


   ◆◇◆◇◆◇◆


 朝になっても、雨は降り続いていた。


 ぼくは学校に着くと、先に来ていた慎吾に、土手のおじいさんのことを聞いてみた。


 「金づちを持ったじいさん? 

 あ~~、はいはい」

 慎吾は、すぐに察したようにうなずいた。


 「もしかして、タケル、昨日の帰りに見たのか?」


 「うん。まあね」

 地面から伸びていた手のことは、慎吾にも話さなかった。


 「あのじいさん、いきなり見たら、びっくりするよな」

 「ねえ、あのおじいさんは誰なの?」


 「よく知らないや。

 お母さんは、ヒロセのおじいさんって言ってたけど」

 慎吾は首をかしげた。


 「土手で地面を叩いていることは不気味だけど、あとは普通の優しいじいさんだよ。

 商店街で買い物をしたり、犬の散歩をしながら、近所の人たちと話しているのを見たこともあるし」

 「そっか……」


 トントン、トントン。


 雨が教室の窓を叩いていた。

 それから三日間、雨は降り続いた。


   ◆◇◆◇◆◇◆


 四日目になって雨はようやくあがり、広々とした青空がもどった。

 ちょうど終業式の日である。

 明日からは待ちに待った夏休みが始まる。


 「おい、タケル」

 夏休みの宿題をかばんにつめていると、慎吾が声をかけてきた。


 「ヒロセのじいさん、二日前に亡くなったんだって」

 「本当!? どうして?」

 驚いて、思わず声が大きくなった。


 「昨日まで雨だっただろ」

 「うん」


 「母さんから聞いたんだけど、あの雨の中、濡れながら土手で地面を叩いていたらしいよ。

 それでカゼをひいちゃって、そのまま亡くなったんだってさ」

 「そうなんだ……」


 ぼくはおじいさんの顔を思い出した。

 もう、土手を金づちで叩き続けることに、疲れ切っていたんだろうなと思う。


 「なあ、タケル。

 せっかく晴れたんだし、今日は河川敷でキャッチボールしようぜ」

 慎吾は、もうおじいさんのことには興味を無くしたように、ボールを投げるふりをしながら言ってきた。


 「う~~ん」

 ぼくは悩んでしまった。

 地面から伸びていた、あの不気味な手を思い出し、土手に近寄る気になれなかったのだ。

 でも、それとは逆に、おじいさんがいなくなって、あの手はどうなったのかを知りたい気持ちもあった。


 「なになに?

 河川敷でキャッチボールするの?」

 「オレたちも、行っていいだろ」

 慎吾の言葉を聞いた、正平とヤッスンが寄ってきた。


 「じゃあ、みんなでいこうか」

 ぼくはそう言った。

 四人なら心強い。


 それに、今日は午前中で学校は終わる。

 まさか昼間から、あの手は出てこないと思ったのだ。


 ……これは、大間違いだった。


         つづく

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