第二話 ニビト堤の人穴・Ⅱ


 「見えたのかい?」

 おじいさんは、ぽつりとそう聞いてきた。


 ぼくが何も答えられないでいると、おじいさんは、怖い一言を続けた。


 「きみは浦座小学校の生徒だね。

 何年生かな?」


 この地域の子供は、みんな浦座小学校に通っている。

 よく考えれば、何も答えないぼくに対して、会話のきっかけをつかもうとして、おじさんは、こんな質問をしたのかも知れなかった。


 でも、そのときのぼくは、おじいさんの言葉の意味が、こう聞こえたんだ。

 逃げても無駄だよ。すぐに見つけ出すからね……。と、


 固まってしまったぼくに、おじいさんは、また別の質問をした。


 「きみは『人柱』って知っているかい?」


 人柱。

 ぼくはその言葉の意味を知っていた。

 以前、本で読んだことがあったのだ。


 昔、橋をかけたり、お城を建てたりする工事がうまくいかなかったとき、神様への生贄として、その場所に、生きたままの人間を埋めたのだ。

 それが人柱である。


 人柱は埋めるとは言わずに、立てるというらしい。

 人柱を立てると、不思議と工事がうまくいき、お城も橋もがんじょうにできあがったという。


 「この土手はね、ニビト堤といって、元々は江戸時代につくられたんだよ」

 もう、おじいさんは、ぼくからの答えを諦めたようだった。

 ゆっくりと土手を見回しながら、一人で話し続ける。


 「私はね、古い文献で、このニビト堤のことを調べたことがあるんだ。

 洪水から、このあたりにあった村を守るためにつくられたんだけど、どういうわけか工事がうまくいかず、何度も事故が起こっては、死人が出たらしい」

 おじいさんは、時々、咳払いをしながら話をつづけた。


 「それでね、村の人たちは、ついに人柱を立てる決心をしたんだ。

 でも、自分から人柱になろうとする村人は一人も現れなかった。

 そりゃそうだろう。

 誰だって、生きたまま埋められたいだなんて、思う訳はないからね」

 おじいさんは、同意を求めるようにぼくを見る。


 もちろん、ぼくは何も答えない。


 「かと言って、誰かを名指しにして、人柱にしろとも言わない」


 そうだろうなと、ぼくは思った。

 そんなことをすれば、その人や、その人の家族から恨まれるだろうし、本当にその人が人柱に決まったら、自分が殺したのも同然となるからだ。

 そんなのは嫌だ。

 自分が死ぬのは嫌だけど、人を殺すのだって嫌に決まっている。


 「そこで村人たちは、名主に決めてもらうことにしたんだよ。

 名主は、まあ、村の代表者みたいなものだよ」


 怖いし、おじいさんの言葉は、時々、聞き取りにくくなるほどに掠れる。

 でも、いつの間にかぼくは、おじいさんの話に引き込まれるように耳を傾けていた。


 「名主はね、悩んだあげく、自分の娘を人柱にすることにしたんだ」


 おじいさんの言葉に、ぼくは驚いた。


 「娘も黙ったままそれを受け入れ、土手をつくる場所に深く埋められた。

 それからは事故も無く、立派な堤ができて、村人たちは水害の心配をしなくてすむようになったということだよ」


 ぼくは、黒くネバネバした糸が、胸に絡んだような気分になった。

 これで『めでたし、めでたし』なのだろうか? 

 名主に人柱を選ぶことをまかせた村人たちにも、自分の娘を選んだ名主にも、黙って、それに従った娘にも、ぼくは納得がいなかなった。


 が、おじいさんの話には続きがあった。

 少し間を置いて、おじいさんが、再び話を始めたのだ。


 「でも、名主の娘は、本心では人柱なんかになりたくはなかったんだろうね。

 それから一年もの間、村人が土手を歩くと、地面から『恨めしい、恨めしい』という声が、聞こえてきたそうだよ」


 季節外れの冷たい風が、ふわりと吹いてきた。

 湿気が混じり込んだ、冷たい風だ。

 その風で、ぼくは、現実に引き戻されたような気になった。


 「ご、ごめんなさい!

 急いでいるから!」

 大きな声でそう言うと、ぼくは自転車のペダルを思い切り踏み込んだ。


 おじいさんの横を逃げるようにすり抜け、グングンと加速する。

 浦座橋の手前に、土手から住宅街へと向かう坂がある。

 ぼくはその坂を下る寸前、後ろを振りかえった。


 見ている。

 おじいさんは土手のうえにポツンと立ったまま、じっとこっちを見つめていた。


 さっきまで、空はまだ明るかったはずなのに、おじいさんの後には、いつの間に現れたのか、黒い雲が低く垂れこめていた。


 そして、まるでぼくを追いかけるように日が暮れはじめた。


  ◆◇◆◇◆◇


 夜。ぼくは布団を頭からかぶって寝ようとしていた。

 暑苦しいのはわかっているけど、それ以上に怖かったのだ。


 土手であったことは、お父さんにもお母さんにも話さなかった。

 おじいさんを見たことはともかく、地面から生えていた手のことは信じてもらえないと思ったからだ。


 おじいさんが言っていた、人柱の話は本当なのだろうか。

 本当なら、ぼくが見たあの手は、人柱にされた名主の娘が幽霊となって、地面の下から這い出ようと伸ばしてきた手なのだろうか。


 それに、おじいさんが「見たのかい?」じゃなく、「見えたのかい?」とぼくに聞いてきたことも気になっていた。

 あの手は、見える人と見えない人がいるということなんだろうか。

 そもそも、あのおじいさんは何者なのだろう……。


 おじいさんが、金づちで地面を叩いていた姿がよみがえる。

 金づちでトントンと叩くことによって、そこから出てこようとする娘を埋め戻していたのだろうか……。


 そんなことを考えながら、布団の中で、うつらうつらと眠りに誘われはじめたとき、……トン、と天井から音がした。


 ぼくは一瞬で目が覚め、ギクリと布団の中で体をかたくした。


 空耳かな……。空耳だよな……。

 耳を澄ましていると、また音が落ちてきた。


 トン……。


 空耳じゃない。音は天井の向こうから聞こえてきた。

 誰かが屋根を叩くような音だった。


 トントン……。

 トントン……。


              つづく

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