外伝一 真夜中のキッチン・Ⅰ


 ぼくが地図に書き込んだ『怪』の印は六つ。


 でも、本当は、もうひとつ、恐ろしい体験をしたんだ。

 もちろん、この夏休みの中の出来事。

 だけど、地図には記していない……。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 競技場公園で慎吾と二人、身の毛もよだつような体験をした日の翌日から、ぼくは、慎吾と毎日会い、だらだらと遊んでいた。

 慎吾も、ぼくからの誘いを断らない。


 慎吾がどう思っていたのかは知らないが、ぼくは慎吾と会うことで、あの出来事が夢じゃないと確かめていたような気がする。

 

 4、5日、会わなかった後で、慎吾が「競技場公園の祭り? なにそれ、知らないぞ」なんて言い出したりすれば、あの悪夢は、ぼくだけが体験したことになってしまうようで恐ろしかったのだ。

 もちろん、それが考え過ぎだと言うことは分かっているんだけど……。

 

 毎日遊んでいたけど、外で遊ぶことはしなかった。

 その日も、エアコンの効いたぼくの部屋で、テレビに接続したゲームで遊んでいた。


 「指が痛くなってきちゃった」

 格闘ゲームが五勝五敗で終わった後、ぼくはコントローラーから手を離した。


 「……あれは、怖かったよな」

 と、慎吾が不意に、ポツリと言った。

 今のぼくたちには、「あれ」で分かる。

 浦座競技場公園でのことである。


 「……うん」

 ぼくが答え、その後、気まずい沈黙が流れた。 


 「なあ、タケル。

 アイスでも買いに行かないか?」

 慎吾が立ち上がり、笑顔を作って言う。

 どこか、無理をしているような笑顔だ。


 「うん。行こう!」

 ぼくも立ち上がった。

 慎吾に合わせて、笑顔を作る。


 あれは恐ろしい体験だったけど、いつまでも引きずっていちゃいけない。

 

 ぼくたちは外に出ると、暑く眩しい陽射しの中、自転車にまだがった。

 「コンビニじゃなくて、駅前のスーパーに行こうぜ」

 「OK。

 スーパーの方が安いもんね」


 ぼくは笑いながら慎吾に返し、強くペダルを踏みこんだ。


 でも、ぼくたちは、結局スーパーに着くことは無かったんだ……。


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 「わわッ!」

 住宅街を走っているとき、先を行く慎吾が、何かにハンドルを取られるようにして引っくり返った。


 「慎吾! だいじょうぶか!」

 ぼくは、自転車から降りると、慎吾に駆け寄った。


 「ちょっと痛かったけど、平気。

 歩道の段差で、前輪が滑っただけだから」

 慎吾は、横倒しになった自転車に、右足を乗せたような姿で尻もちをついていた。

 

 「ケガしてないか?」

 「平気だって」

 慎吾が立ち上がろうとしたとき、ぼくの後ろから女の子の声がした。


 「血が出てるじゃない。

 ほら、左手の肘」


 ぼくと慎吾が顔を向けると、そこにK田A子がいた。


 K田もA子も、本名ではない。

 ぼくが、この子の本名を書かないだけである。

 今、書き記している、この話の中で、ぼくが仮に付けた名前がK田A子である。


 「誰?」

 慎吾がキョトンとした顔になって言う。


 「K田A子。

 この家に住んでいるの」

 A子は、真横の家を指さした。


 知らなかった。

 ここがA子の家だったのだ。


 「大きな音にびっくりして、窓から外を見たのよ。

 そしたら、引っくり返っている君が見えたの」

 A子は、慎吾からぼくに視線を移した。


 「国見くんの友達なの?」

 ニコッと人懐っこい笑顔で言う。


 「……あ、ああ、そうだよ」

 ぼくは、上手く返答できなかった。


 「タケル、知り合いか?」

 「去年、同じクラスだったんだよ」

 慎吾に説明する。

 四年生の時の話だ。

 A子とは、同じ班になったこともある。


 それを聞いた慎吾は、A子に対して名乗った。


 「慎吾くんって言うんだ。

 ね、タケルくんと一緒に、うちに来なよ。

 消毒して、絆創膏を貼ってあげる」

 「そんな、気を遣わなくていいよ」

 ぼくはケガをしていないのだが、慎吾が答える前に断った。


 「ケーキと冷えたジュースもあるけど、さあ、どうする?」

 A子がイタズラっぽい笑みを浮かべて誘惑する。


 「ご厚意に甘えさせていただきます」

 慎吾が背筋を伸ばして敬礼をした。

 ケーキとジュースでは無く、A子の笑顔に釣られたようであった。


 「ほら、いくぞ、タケル」

 「いや、ちょっと、ぼくは……」


 「なに遠慮してんだよ。

 さすがのオレも、初対面の女の子の家に、一人じゃあがれないぞ」

 慎吾が肘で、軽くぼくをつつく。

 

 慎吾に押し切られるようにして、ぼくはA子の家へ入ることになった。

 久しぶりに会ったA子に、少し興味が湧いたこともある。


 「おじゃましまーーす」と言って家に上がると、A子の案内でリビングに入った。


 Aこの家は、リビングとダイニングキッチンが一体化している間取りであった。

 ダイニングキッチンにはテーブルがあり、そこに、おばあさんが座っている。

 七十歳ぐらいなのだろうか。

 おばあさんは、ぼくたちに顔を向け、しわの多い顔の中に、柔和な笑みを浮かべていた。


 「おばあちゃん。学校の友達だよ」


 「く、国見です」

 「お、おじゃまします」

 ぼくと慎吾は、慌てて挨拶をした。


 と、今度はキッチンの奥から、女性が顔を出した。

 「お母さんよ」と、A子が紹介する。


 ぼくたちは、また慌てて挨拶をすると、A子の母親は、「いらっしゃい」と優しい笑顔で迎えてくれた。

 目元が、A子にそっくりだった。


 「A子が、友達がケガをしたの! って言いながら、飛び出していったんだけど、大丈夫だった?」

 A子の母親が心配そうな顔で聞く。


 「あ、そんな、大したケガじゃないんで」

 慎吾が、慌てて手を振る。


 「あたしの部屋で、絆創膏を貼ってあげてもいいでしょ。

 ほら、タケルくんも、慎吾くんも、行こう!」

 母親の許可を待たず、A子がキッチンから繋がる廊下にぼくたちを押し出す。

 そこには、二階へと続く階段があった。


 「う、うん」

 「えっと、じゃあ」

 ぼくたちは、A子に追い立てられるような形で、階段をあがっていった。


 「ここよ。入って」

 階段をあがって、すぐのドアをA子が開けた。

 A子の部屋である。

 舞原の部屋以外で、女の子の部屋に入ったのは初めてだった。


 A子の部屋は、きれいに整理整頓されていた。

 ぼくたちは、急に訪れたわけだから、普段からきちんと片付けているのだろう。

 たぶん、舞原の部屋より片付いている。

 

 A子は、「ちょっと待ってて」と言うと、一度、階下に降り、しばらくすると、大きなトレイに消毒液と三人分のケーキ、ジュースを乗せて戻ってきた。


 「お、ケーキ!」

 「はいはい、ケガの手当てをしてからね」

 子供をあやすように言ったA子は、手早く慎吾の肘のケガを消毒し、四角い絆創膏を貼る。


 「サンキュー」

 慎吾が礼を言い、ぼくたちはケーキとジュースをごちそうになった。


 「これ手作り?」

 「そうよ。お母さんが作ったの」

 ケーキを一口食べたぼくがたずねると、A子が答えた。


 「すっげえ旨いや。

 お店のケーキみたいだ」

 慎吾もケーキをパクつく。


 「お母さん、料理が得意なの。

 たぶん、どんなものでも調理できるんじゃないかな」


 ぼくは、A子の言い回しに、違和感を覚えた。

 「どんな料理でもできる」じゃなくて、「どんなものでも調理できる」と言ったのだ。

 似ているようで、意味は違う……。


 慎吾は気づいていないのか、最後の一口を口の中に放り込んでいた。


 「ねえ」

 と、A子が声を潜めた。

 「二人の家は、お母さんとおばあちゃんの仲は良い?

 おばあちゃんと言っても、お母さんの母親じゃなくて、お父さんの母親のことよ」


 「嫁と姑の話ね」

 慎吾が頷いた。


 まさか、ぼくも慎吾も、嫁姑の話から、あれほど不気味で怖い目に遭うとは思っていなかった……。


 

      つづく

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