第十五話 幽霊の見つけ方・Ⅰ


 「怖い話?」

 徳田のお兄ちゃんが、片眉だけを器用にあげて言った。


 モスグリーンの作業着姿で、頭にタオルを巻いている。

 大工さんである。

 徳田のお兄ちゃんは、夏休みに入って早々、テツオが割った墨壺の持ち主なのだ。


 そのあと、ぼくとテツオ、涼介の三人は、亡くなったはずの徳田のお兄ちゃんのお父さんと話をすると言う、不思議な体験をした。


 徳田のお兄ちゃんの横に座っているのは、川瀬のおじさんである

 このおじさんも、そのときにいた大工さんである。


 コンビニの前を通りかかった時、「おおい、きみ、あの時の子だろ」と呼び止められたのだ。

 二人は、コンビニのお弁当で昼食を済まし、日陰のベンチで休んでいるところだったらしい。


 近寄ったぼくが、改めて自己紹介をすると、二人も、徳田、川瀬と名乗ってくれた。

 それから、あのときの不思議な体験の話を少しし、その後で、ぼくが二人に質問したのだ。


 「仕事中に体験した、怖い話ってありますか?」


 そこから、冒頭の徳田のお兄ちゃんの言葉につながる訳である。


 「ん~~、錆びた釘を踏み抜いたこととか、足場が傾いて、三階の高さから落ちそうになったことならあるな」

 と、徳田のお兄ちゃんが続けた。


 「あ、う、うん。

 そういうのも怖いと思うけど……」

 ぼくは、曖昧な笑顔を浮かべた。


 「ちげェだろ。

 この子は、幽霊が出てくるような、怖い体験をしたかって聞いてんだよ。

 親方の幽霊の話の流れから、それぐらい分かるだろうが」

 川瀬のおじさんが、呆れた顔になって、徳田のお兄ちゃんに言った。


 「そういうのは、ないな」

 徳田のお兄ちゃんは、小さく肩をすくめた。


 「……おれは、あるぞ」

 川瀬のおじさんが、ぽつりと言った。


 ぼくと徳田のお兄ちゃんは、驚いた顔で、川瀬のおじさんを見た。

 からかっているような顔では無かった。


 「マジかい、川っさん。

 どこの現場? いつ?」

 徳田のお兄ちゃんが聞く。


 「まあ、待て。

 そうだな……、話をする前にひとつ聞くけど、自分の家に幽霊がいるかどうかを確かめる方法って知っているか?」

 川瀬のおじさんが、ぼくに聞く。

 

 「知らないです」

 ぼくは首を振る。

 徳田のお兄ちゃんも「なんだ、そりゃ?」と、また片眉だけをあげた。


 「まず、頭の中で、自分の家を思い浮かべ、玄関のドアを開けて中に入るんだ」


 川瀬のおじさんの言葉のままに、ぼくは自分の家を思い浮かべ、玄関のドアを開けて中に入った。

 靴箱、傘立て、明り取りの細長い窓。

 靴を脱いで、あがった場所には、オレンジのマットが敷いてある。


 「そこから順番に、各部屋を回っていく……」


 どう言う意味があるのか分からないけど、ぼくは頭の中で、玄関から一番近い片引き戸を開けた。

 そこは洗面所になっている。

 さらにドアを開けるとトイレだ。

 玄関に戻って、反対側のドアを開けるとリビングになっている。


 「……そうやって、家の中を思い出しながら回っていくと、どこかの部屋の片隅に、誰とも分からない女性が立っていたり、押し入れの下段に、誰かがしゃがみ込んでいる姿が、ぼんやりと見えたりすることがあるんだよ」

 川瀬のおじさんが続けた。

 「それは、つまり、その場所に、そういう霊が棲みついているってことだ」


 ……うわわわわ!

 ぼくは、家の中を思い出すことを止めた。

 そんな話を聞いたら、たとえ幽霊がいなくても、台所の隅やお風呂場に、不気味な人影を思い浮かべてしまうに決まっているからだ。

 自分の想像で怖くなり、眠れなくなってしまうなんて、願い下げである。


 徳田のお兄ちゃんの顔が、少し強張っているように見えた。

 何か、変なものが見えたのかも知れない……。


 「で、公民館の裏手に、古い民家があったのを知っているか?」

 川瀬のおじさんが話を変えた。


 「4年、いや5年前か……。

 おれと親方は、あの民家に入ったことがあるんだよ」

 

 「おやじと?」

 徳田のお兄ちゃんが聞く。


 「ああ、そうだ」

 川瀬のおじさんは目を細め、そのときのことを思い出すように話し始めた。


  ◇◆◇◆◇◆◇


 古い民家だったな。

 築60年だと聞かされたよ。

 元々は、ばあさんが一人で住んでいたらしいけど、結局、そのばあさんも亡くなって、無人のまま、3年ほど放置されていたって話だ。


 で、死んだばあさんの遠縁だとか言う人が、うちの工務店に依頼してきたんだよ。

 

 建物は古いが、しっかりとした造りだと聞いている。

 立地条件も悪くない。

 リフォームが可能かどうか調べてほしいってな。

 ダメなら、更地にして、売りに出すとか言ってたな。


 家の中には、まだ家財道具が残ったままだけど、気にしなくていいって話だ。


 で、親方が家のカギを受け取って、おれと一緒に、その民家を見に行ったんだ。


 玄関は引き戸だ。

 住宅街にある家だったから、タチの悪いガキどもが忍び込んで荒らしたり、スプレーで落書きされているってこともなかった。


 ただ、3年も無人のままだったから、敷地のあちこちから雑草が伸びていたな。

 泥の溜まった雨どいや屋根瓦の隙間からも、雑草が生えていた。


 親方が玄関のカギを開けて、引き戸を開こうとしたが、これがなかなか開かない。

 建物が歪んでいる訳でも無いのに、びくともしないんだ。

 親方は「誰かが、向こうから押さえてるんじゃねえか」と笑っていたけどな。


 仕方ないから、工具を使って、引き戸を外すかという話になったら、どういう訳かスッと開いた。


 もちろん家の中は真っ暗さ。

 カビ臭い空気がよどんでいたよ。


 玄関に配電盤があったから、試しにブレーカーをあげて、玄関の照明のスイッチを入れてみたけど、当然ながら、明かりはつかない。

 まあ、これは分かっていたことなんで、親方とおれは、持ってきた懐中電灯を点けて、家にあがったんだ。


 おれとしては、クツのまま入りたかったんだけど、親方は厳しいからなあ。

 「他人様の家だ。絶対に土足で入っちゃなんねえ」って言われて、クツを脱いで入ったよ。


 懐中電灯の明かりを頼りに、家に上がり、入ってすぐの左側のドアをあけると便所だ。

 明かりに浮かび上がったのは、洋式だが、温水洗浄式じゃない古い便座だったよ。


 次に風呂場に移動して懐中電灯で照らすと、たぶん湯船に水が溜まったまま放置されたんだろうな。

 腐った湯が、自然に蒸発しちまって、湯船の下半分が黒く汚れていたよ。


 一階は、狭いダイニングキッチンと和室。

 キッチンには、食器棚や冷蔵庫、ガスコンロ、炊飯器なんかが、置かれたままだ。

 和室には、二つ折りにされた布団が、出したままになっていたなあ。

 

 この和室には、大きな掃き出し窓があったんだよ。

 この窓と雨戸を開ければ、外から光が入ってくるはずなんだが、これも玄関と同じで、なかなか開かない。


 結局、一階は後回しにして、先に二階を見ようという話になったんだ。

 

 親方と一緒に、二階へあがったよ。

 階段が、やたらと軋んでいたな。


 二階には、二部屋あった。

 手前の部屋を懐中電灯で照らすと、中は物置のようになっていた。

 この部屋にも、もちろん窓はあったけど、その前に、カラーボックスやら衣装ケースなんかが山積みになっていて、手の出しようがない。


 で、奥の部屋のドアを開けて、中を懐中電灯で照らした。

 どういう訳か、電灯から下がったヒモが、ゆらゆらと揺れていたよ。

 ……不思議だろ。

 窓はもちろん開いていない。

 風が入っていた訳でも無いのに、どうして電灯のヒモは揺れていたんだろうな……。


 その部屋は、ちゃぶ台だけが真ん中に置かれた、寒々とした部屋だったよ。

 ……でも、妙に圧迫感があったんだ。


 おれは気味の悪いものを感じたけど、親方はさっさと部屋の中に入ると、窓を

開けようとした。

 でも、一階と一緒だ、ロックは外れたんだけど、窓はがっちりとはまったように、一向に開く様子がないんだ。


 「どうにも、おかしいな……」

 窓から手を離した親方が首を捻った。


 「どうしますか?」

 おれが聞くと、親方はこう言ったんだ。


 「道具を使って、強引に開けちまうか」


 その時だよ。

 一階から、ガラガラ、ガシャンと大きな音が響いてきたんだ。

 おれは、心臓が止まるかと思ったね。


 でも、親方は落ち着いたもんだ。

 懐中電灯で部屋の中を照らしながら、ゆっくりとこう聞いてきたんだ。


 「川瀬よ。

 玄関の引き戸は、開けっ放しで入ってきたのか、それとも閉めてから入ってきたのか?」


 「……開けっ放しです」

 おれはそう答えた。

 外からの明かりを入れるため、引き戸は大きく開いたままで、家に上がってきたのだ。

 そしたら、親方は、はっきりとこう言ったんだ。


 「それなら、今のは、引き戸が閉まった音だな」


 おれたちは、家に閉じ込められちまったんだよ。


        つづく


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