第二十一話 リクドウ池の氾濫・Ⅱ


 リクドウ池は、このコンビニから、すぐ近くにある溜め池である。

コンビニの前の道路を渡り、左の向かって少し歩いた場所にある。


 危険防止のため高いフェンスで囲われているけれど、勝手に入り込んでブラックバスを釣る人が多く、人がくぐれるほどの穴が幾つも開いている。


 ぼくたちがまだ小学校に入ったばかりのころは、フェンスではなく、木の杭とそれを繋ぐ針金で囲われていた。

 今より簡単に、針金の間をくぐるだけで、リクドウ池に近づけたのだ。


 お父さんやお母さんからは、絶対に柵の中に入っちゃダメだと言われていた。

だけど、そのころ近所にいた舞原と一緒に、小学校からの帰り道には、よく寄り道をして入り込んでいたのだ。


 今、思えば、とんでもなく危険なことである。

 でも、ぼくらは、どうして、そんな危険なことをしていたんだろうか……。


 ぼくは記憶を探った。

 舞原だけではない。

 もう一人、同じ年ぐらいの男の子がいた気がする。


 慎吾ではない。

 慎吾とは帰り道の方向が違うのだ。

 誰だったっけ……。


 ぼくは少しずつ、そのころのことを思い出してきた。

 三人で溜め池のそばに秘密基地を作って遊んでいたのだ。


 背の高い雑草が生える一角を平らにし、地面にはハスの葉っぱを何枚も敷いて、座れるようにした秘密基地だった。

 たしか天井もあったはずだ。


 そこで、こっそり持ち寄った給食のパンを三人で食べた気がする。


 でも、よく考えてみると、それはテレビか映画で見たシーンを自分の記憶と思い込んでいるのかも知れない。

 そんな立派な秘密基地を小学一年生が作れるはずはないからだ。


 ただ、三人で遊んでいたのは間違いない。

 あの男の子は誰だったんだろうか?

 舞原は覚えているんだろうか?

 舞原にそれを聞こうとした時、工藤の兄ちゃんが声をかけてきた。


 「タケル、ちょっと手伝ってくれよ。

 後でお菓子をおごるからさ」

 「いいけど、何を手伝うの?」


 「棚の下の方の商品をカゴに入れてほしいんだ。

 水が入ってきても濡れないように、倉庫の方に移すんだよ」

 そう言いながら工藤の兄ちゃんは、床に近い位置にある商品をカゴに入れ始めた。


 「シャッターを下ろそうかと思ったんだけど、今、オーナーに聞いたら、壊れていて下りないって言うんだよなあ」

 工藤の兄ちゃんが苦い顔で言う。


 「ねえ、水が入ってくるのは、ここのドアからだけなの?」

 「そうだよ。バックルームの奥にも出入り口があるけど、鉄のドアだから、水は入ってこないだろうな」


 「じゃあ、ここに土嚢を積んで水が入ってこないようにしようよ」

 ぼくは提案した。


 「土嚢なんかないよ」

 「だいじょうぶ。テレビで見たんだ」


 ぼくは工藤の兄ちゃんに、空の段ボール箱をいくつも用意してもらった。

 コンビニだから、お菓子やジュースの入っていた段ボール箱はたくさんある。


 そして、売り物のごみ袋をもらった。

 そのごみ袋を二重にして、中に水をたっぷりと入れてきつく縛る。

 こうして水の入ったごみ袋を段ボール箱の中に入れると即席の土嚢になるのだ。


 本当は、この即席段ボール土嚢をブルーシートで包むんだけど、さすがにブルーシートは無かった。


 「ブルーシートに包むのは、段ボール箱が濡れないようにするためでしょ。

 だったら、その段ボールをゴミ袋に入れて防水したらいいんじゃないの?」

 舞原がそう言った。


 「それ、いいかも知んない」

 舞原の案を受け入れ、即席段ボール土嚢をさらにゴミ袋で包んで縛った。


 「そんなもん役に立つ訳がないだろ。

 隙間から水が入ってくるから同じだよ」

 ドアの前に段ボール箱とゴミ袋で作った土嚢を並べるぼくたちに向かって、近づいてきたおじさんが、馬鹿にしたように言う。


 ぼくも上手くいくのかと不安になったけど、これが驚くほど上手くいった。

 段ボール箱の土嚢をドアの前に重ねて並べ、ドアとの隙間にタオルを詰め込むと、ほとんど水が入ってこなくなったのだ。


 「おお、すげーわ、タケル」

 「私もびっくり。

 よくこんなこと知ってたのね」

 二人に感心されて、ぼくは気分が良くなった。


 ガラスの向こうの水は、いつの間にか膝近くまでの高さになっていた。

 黄土色に濁った水が、雨に叩かれて波打っている。


 だけど店の中は、コップの水をこぼしたていどの雨水が、ドアの付近に流れ込んできているだけだった。


 大変な状況なんだろうけど、ぼくは映画の中の出来事のように、どこかワクワクしていた。

 町をうろつきまわるゾンビから逃げ、コンビニの中に立てこもっているような気分である。


 「二人とも、家に電話した方がいいんじゃないか。

 家の人が心配してるだろ」

 工藤の兄ちゃんがそう言い、ぼくと舞原にスマホを貸してくれた。


 ぼくは家に電話をすると、コンビニで雨宿りをしているから大丈夫だとお母さんに伝えた。

 家の方は、前の道路の排水溝が溢れているけど、家にまで水が迫ってくるほどではないようだった。


 舞原も自分の家に電話をすると、ぼくと同じようなことをお母さんに伝えていた。


 「二人とも、お礼にジュースとお菓子をおごるよ。

 好きなのを取ってきなよ」

 「本当に?」

 「あたしもいいんですか?」

 工藤の兄ちゃんの言葉に、ぼくと舞原が喜んでいると、さっきのおじさんが近づいてきた。


 「お前ら、こんなことしたら、外に出られねェだろうが」

 出入り口の段ボール箱の土嚢を指さしておじさんが言う。


 「え? でも、今は外に出られないでしょう」

 工藤の兄ちゃんが困ったような顔で答える。


 「オレは帰るんだよ。

 ほら、この段ボールをどけろよ」

 おじさんは段ボール箱の土嚢を足で蹴った。


 土嚢をどけてドアを開くと、店の中は間違いなく水浸しになる。

 おじさんは帰りたいというより、ぼくたちに嫌がらせをするため、土嚢をどけてドアを開けろと言っているようだった。


 「でも、お客さん……」

 「お前、客を閉じ込める気か!」

 おじさんは、工藤の兄ちゃんを怒鳴りつけた。


 さっきまで高揚していた気分は消え、店内の空気は最悪になった。


         つづく

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