第二十五話 リクドウ池の氾濫・Ⅱ
リクドウ池は、このコンビニから、すぐ近くにある溜め池である。
コンビニの前の道路を渡り、左の向かって少し歩いた場所にある。
危険防止のため高いフェンスで囲われているけれど、勝手に入り込んでブラックバスを釣る人が多く、人がくぐれるほどの穴が幾つも開いている。
ぼくたちがまだ小学校に入ったばかりのころは、フェンスではなく、木の杭とそれを繋ぐ針金で囲われていた。
今より簡単に、針金の間をくぐるだけで、リクドウ池に近づけたのだ。
お父さんやお母さんからは、絶対に柵の中に入っちゃダメだと言われていた。
だけど、そのころ近所にいた舞原と一緒に、小学校からの帰り道には、よく寄り道をして入り込んでいたのだ。
今、思えば、とんでもなく危険なことである。
でも、ぼくらは、どうして、そんな危険なことをしていたんだろうか……。
ぼくは記憶を探った。
舞原だけではない。
もう一人、同じ年ぐらいの男の子がいた気がする。
慎吾ではない。
慎吾とは帰り道の方向が違うのだ。
誰だったっけ……。
ぼくは少しずつ、そのころのことを思い出してきた。
三人で溜め池のそばに秘密基地を作って遊んでいたのだ。
背の高い雑草が生える一角を平らにし、地面にはハスの葉っぱを何枚も敷いて、座れるようにした秘密基地だった。
たしか天井もあったはずだ。
そこで、こっそり持ち寄った給食のパンを三人で食べた気がする。
でも、よく考えてみると、それはテレビか映画で見たシーンを自分の記憶と思い込んでいるのかも知れない。
そんな立派な秘密基地を小学一年生が作れるはずはないからだ。
ただ、三人で遊んでいたのは間違いない。
あの男の子は誰だったんだろうか?
舞原は覚えているんだろうか?
舞原にそれを聞こうとした時、工藤の兄ちゃんが声をかけてきた。
「タケル、ちょっと手伝ってくれよ。
後でお菓子をおごるからさ」
「いいけど、何を手伝うの?」
「棚の下の方の商品をカゴに入れてほしいんだ。
水が入ってきても濡れないように、倉庫の方に移すんだよ」
そう言いながら工藤の兄ちゃんは、床に近い位置にある商品をカゴに入れ始めた。
「シャッターを下ろそうかと思ったんだけど、今、オーナーに聞いたら、壊れていて下りないって言うんだよなあ」
工藤の兄ちゃんが苦い顔で言う。
「ねえ、水が入ってくるのは、ここのドアからだけなの?」
「そうだよ。バックルームの奥にも出入り口があるけど、鉄のドアだから、水は入ってこないだろうな」
「じゃあ、ここに土嚢を積んで水が入ってこないようにしようよ」
ぼくは提案した。
「土嚢なんかないよ」
「だいじょうぶ。テレビで見たんだ」
ぼくは工藤の兄ちゃんに、空の段ボール箱をいくつも用意してもらった。
コンビニだから、お菓子やジュースの入っていた段ボール箱はたくさんある。
そして、売り物のごみ袋をもらった。
そのごみ袋を二重にして、中に水をたっぷりと入れてきつく縛る。
こうして水の入ったごみ袋を段ボール箱の中に入れると即席の土嚢になるのだ。
本当は、この即席段ボール土嚢をブルーシートで包むんだけど、さすがにブルーシートは無かった。
「ブルーシートに包むのは、段ボール箱が濡れないようにするためでしょ。
だったら、その段ボールをゴミ袋に入れて防水したらいいんじゃないの?」
舞原がそう言った。
「それ、いいかも知んない」
舞原の案を受け入れ、即席段ボール土嚢をさらにゴミ袋で包んで縛った。
「そんなもん役に立つ訳がないだろ。
隙間から水が入ってくるから同じだよ」
ドアの前に段ボール箱とゴミ袋で作った土嚢を並べるぼくたちに向かって、近づいてきたおじさんが、馬鹿にしたように言う。
ぼくも上手くいくのかと不安になったけど、これが驚くほど上手くいった。
段ボール箱の土嚢をドアの前に重ねて並べ、ドアとの隙間にタオルを詰め込むと、ほとんど水が入ってこなくなったのだ。
「おお、すげーわ、タケル」
「私もびっくり。
よくこんなこと知ってたのね」
二人に感心されて、ぼくは気分が良くなった。
ガラスの向こうの水は、いつの間にか膝近くまでの高さになっていた。
黄土色に濁った水が、雨に叩かれて波打っている。
だけど店の中は、コップの水をこぼしたていどの雨水が、ドアの付近に流れ込んできているだけだった。
大変な状況なんだろうけど、ぼくは映画の中の出来事のように、どこかワクワクしていた。
町をうろつきまわるゾンビから逃げ、コンビニの中に立てこもっているような気分である。
「二人とも、家に電話した方がいいんじゃないか。
家の人が心配してるだろ」
工藤の兄ちゃんがそう言い、ぼくと舞原にスマホを貸してくれた。
ぼくは家に電話をすると、コンビニで雨宿りをしているから大丈夫だとお母さんに伝えた。
家の方は、前の道路の排水溝が溢れているけど、家にまで水が迫ってくるほどではないようだった。
舞原も自分の家に電話をすると、ぼくと同じようなことをお母さんに伝えていた。
「二人とも、お礼にジュースとお菓子をおごるよ。
好きなのを取ってきなよ」
「本当に?」
「あたしもいいんですか?」
工藤の兄ちゃんの言葉に、ぼくと舞原が喜んでいると、さっきのおじさんが近づいてきた。
「お前ら、こんなことしたら、外に出られねェだろうが」
出入り口の段ボール箱の土嚢を指さしておじさんが言う。
「え? でも、今は外に出られないでしょう」
工藤の兄ちゃんが困ったような顔で答える。
「オレは帰るんだよ。
ほら、この段ボールをどけろよ」
おじさんは段ボール箱の土嚢を足で蹴った。
土嚢をどけてドアを開くと、店の中は間違いなく水浸しになる。
おじさんは帰りたいというより、ぼくたちに嫌がらせをするため、土嚢をどけてドアを開けろと言っているようだった。
「でも、お客さん……」
「お前、客を閉じ込める気か!」
おじさんは、工藤の兄ちゃんを怒鳴りつけた。
さっきまで高揚していた気分は消え、店内の空気は最悪になった。
つづく
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