第七話 割れた墨壺・Ⅲ


 テツオの大きな声に、図書館にいた人たちが迷惑そうにこっちを見た。


 「声が大きいよ、テツオ」

 「で、でも、涼介が……、オレのせいに……」

 ぼくが注意をすると、テツオは青く強張った顔で視線を動かし、恨めしそうに涼介を見た。


 「だって、本当のことじゃん。

 墨壺を落として割ったのは、テッちゃんだろ」

 涼介は声を小さくしながら、当然のように答える。


 「それは、そうだけど……」

 うろたえるテツオの目が、誰かに助けを求める様にキョロキョロと動く。


 「落ち着け、テツオ。

 だいじょうぶだって」

 ぼくは、テツオの肩をポンポンと軽く叩いた。


 「だ、だいじょうぶなのか?

 タケルは、そう思うのか?」

 テツオが、すがるような目でぼくを見た。


 「いや、ぼくが思うんじゃなくてさ、さっき、夢だから、だいじょうぶだって、涼介に言っていたのは、お前自身だろ。

 そういう意味じゃ、だいじょうぶだよ」


 「……あ、タケル、お前、そんな」

 ぼくの言葉の意味を理解したテツオは、泣きそうに顔を歪めて言葉を失った。


 少しテツオがかわいそうになってきたので、ぼくは涼介に目を向けた。

 「涼介、何かいい方法は無いの?」


 ぼくの質問を待っていたように、涼介が答える。

 「もう一度、あの場所に行って、墨壺の持ち主の大工さんに謝れば、もしかして、いい方法を教えてくれるかもしれないよ」


 なるほど、そう持っていくのかと、ぼくは感心した。


 「うん。それしかないよな。

 どうする、テツオ?」


 「……一緒に、来てくれるか?」

 いつもの元気はどこに行ったのか、テツオは弱々しく言う。


 「いいよ」

 「テッちゃんが、きちんと謝るならね」

 ぼくが頷き、涼介が釘を刺した。


 そして、ぼくたち三人は、建築現場へと向かったのだ。


  ◆◇◆◇◆◇◆


 「その墨壺って、付喪神の一種っぽいよな」

 「あ、ぼくも、そう思っていたんだ」

 ぼくの言葉に、涼介が応じた。


 テツオが先を歩き、涼介は、自転車を押すぼくと並んで歩いている。


 「な、何なんだよ、その、ツクモガミって……」

 テツオが、不安そうな顔で振り返った。


 「百年も経った古い道具に宿る妖怪のことだよ」

 「あれ、九十九年じゃなかった?

 だから、ほら、九十九神とも書くじゃん」

 「な、なに言ってんだよ。

 そんな古い道具じゃなかったよ」

 のんびりとした、ぼくと涼介の会話に、テツオが苛立つように言う。


 「テッちゃん。

 あれ……」

 涼介が、進行方向に出てきた、建築現場に目を向けた。


 そこには、おじいさんが一人、積みあげた木材にすわってタバコを吸っていた。

 白髪を短い角刈りにして、ハチマキを巻いている。

 長袖のシャツの上から、ポケットの多いベストを着て、ダボッとしたズボンを履いていた。

 脚は地下足袋。

 絵に描いたような大工さんである。


 「どうしよう。めちゃくちゃ怖そうじゃん」

 テツオが泣き出しそうな顔になる。


 「じゃあ、帰るか?」

 「いくよ、いくよ」

 ぼくが言うと、テツオは慌てておじいさんに近づいていった。


 「あの……」

 「なんじゃ?」

 おじいさんがギョロっと大きな目でテツオを見た。

 神社にある狛犬のような迫力がある。


 テツオが助けを求めるように、チラチラとこっちを見てきた。

 仕方なく、ぼくと涼介もおじいさんのそばに寄り、昨日のことを説明した。


 「……そうかい。

 息子の墨壺を壊したのは、坊主だったのか」

 話を聞き終えたおじいさんが、小さく頷いた。


 「ごめんなさい!」

 テツオが勢いよく頭を下げる。


 「よく謝りにきた。

 えらいぞ」

 おじいさんは、ニコリと笑ってくれた。

 テツオが、ホッと気の抜けた顔になる。


 「かんべんしてやろう。

 息子には、わしからよく言い聞かすわ。

 そもそも、かっこつけて、洒落た墨壺を持つことが、十年と三日早いんだよ」

 おじいさんは、頑丈そうな歯を見せて笑った。


 「それで、あの……」

 テツオは不安そうな顔で、涼介の夢の話をした。


 「墨壺のお化け?」

 テツオから話を聞いたおじいさんは、一瞬キョトンとした顔になると「わははは」と愉快そうに笑った。


 「よしよし。

 そのお化けとやらにも、二度と出ないように言ってやるよ。

 まあ、いたらの話だけどな。

 とにかく、心配すんな」

 なんだか大雑把だけど、おじいさんの言葉と笑顔は安心させるものがあった。


 「ねえ、涼介」

 ぼくは少し後ろに涼介を引っ張ると、テツオに聞こえないように、小声で話しかけた。


 「夢の話って嘘でしょ」

 「え?」

 「胸の赤い線は、ぼくたちに背中を向けていた間に、爪でつけたんだろ」

 「バレちゃった?」

 涼介も小声で答え、小さく笑みをみせる。


 「だってさ、涼介はパソコンを持っているって言ってただろ。

 わざわざ図書館で調べるのは、おかしいなと思ったんだ」


 「うん。あれが墨壺っていう道具だってことも、使い方も、昨日の夜にパソコンで調べたから、分かってたんだ」

 涼介が続ける。


 「テッちゃんがあんまりひどいことをするからさ、こらしめてやろうと思って、夢の話を考えたんだよ。

 ああやって脅かせば、ちゃんと謝りにいくと思ってさ」


 「策士だな」

 ぼくは小さく笑い、テツオと涼介が、どうしていつも一緒にいるのかも、ちょっと分かったような気になった。

 けっしていじめっ子といじめられっ子という関係ではないのだ。


 「こら、勝手に入っちゃだめだよ!」

 後ろからした声に振り返ると、作業服を着た四人の大工さんが、こっちに歩いてくるところだった。


 「あ、あの 昨日、ここで墨壺を割っちゃったから、謝りにきたんです」

 テツオが頭を下げた。


 「あ、お前か! 

 あれ、オレの道具だったんだぞ!」

 大工さんの一人が怖い顔になった。

 この中では一番若い。

 三十代前半という感じである。


 「今、おじいさんから、息子の墨壺だって聞きました。

 ごめんなさい!」

 慌てたテツオが、また大きく頭を下げた。


 「おじいさん?」

 「どの、じいさんだ?」

 大工さんたちが不思議そうな顔になった。


 「あれ?」

 ぼくたちも不思議そうな顔になる。

 あのおじいさんが消えていたのだ。


 「じいさんなんか、どこにいるんだ?」


 「あれ、今、ここに……」

 若い大工さんに聞かれ、ぼくも涼介も困った顔になった。


 「最初から、ちゃんと話してみな」

 一番年上らしいおじさんの一人に言われて、ぼくたちはおじいさんのことを説明した。


 説明を聞いた大工さんたちは、顔を見合わせた。

 「白髪の角刈りで、ギョロっとした目のじいさんか……」

 「間違いねえ。そりゃ親方だな」

 「十年と三日早いは、親方の口ぐせだったしな」

 大工さんたちが驚いたような顔になって言う。


 「あの……、おじいさんは?」

 ぼくが聞くと、若い大工さんが答えてくれた。


 「オレのオヤジだよ。

 ……去年、亡くなったけどな」

 今度はぼくたちが顔を見合わせた。


 「息子の仕事ぶりが心配で、化けて出たか」

 髭を生やした大工さんがそう言うと、「わはははは」と楽しそうに笑い、若い大工さんは「ちぇっ」と口をとがらせた。


 「嘘でもねェようだし、オヤジがそう言ってたんなら仕方ない。

 かんべんしてやるよ」

 そう言った若い大工さんは、ぼくたちに顔を近づけた。


 「なあ、親父のようすはどうだった?」


 ぼくたちは、さっき見て、話をしたおじいさんのことを一生懸命に説明した。


 「そうか……、うん、うん」

 若い大工さんは、ぼくたちの話を真剣に聞き、懐かしそうな顔になると、少しだけ涙を浮かべた。


 ぼくは帰ってから、この場所を地図にかきこみ『怪』の印を入れようと決めた。

 二つ目の印である。


            了


        『タイム・カプセルから出た闇』へ、つづく

              

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る