第二十六話 終わらない地図


 地図に六つ目の『怪』の印を入れてから、三日が過ぎた。

 今日は八月の二十七日である。


 夏休みは残り四日。

 ぼくは、このまま地図に新しい『怪』の印を加えることなく、新学期を迎えることになるんだなと、何となく思っていた。


 昼ごはんを食べた後、ぼくは夏休みの宿題を詰めたリュックを自転車の前かごに放り込み、図書館へと向かった。


 以前、お父さんに「部屋じゃ、マンガやゲームがあって、勉強に集中できなくなるだろ。そんな時は、勉強道具を持って、図書館に行けばいいんだよ。気が散るものが無くて、勉強に集中するしかないからな」と言われたことを思い出したのだ。


 本当かどうかは分からないけど、その言葉を試さなければならないほど、夏休みの宿題はピンチになっていた。


 ところが、これが失敗だった。

 図書館で『浦座史』という本を見つけ、宿題そっちのけで読みふけってしまったのだ。


 『浦座史』は、まだ浦座町が集落だったころから、現在までの出来事が書かれている郷土史である。

 江戸時代にあった飢饉や洪水の記録、明治時代になってから、養蚕業で村が栄えたことなど、いかにも村の歴史といった中に『浦座の怪異』という章があった。


 当然、食い入るように読み始めてしまった。


 そこには、ニビト堤の人柱のことが書かれていた。

 亡くなったヒロセのおじいさんが言った通り、名主の娘が人柱にされたらしい。

 浦座の人々は、娘が埋められた穴のことを人穴と呼び、日が暮れてからは、堤に近づくことをさけていたと言う。


 決壊したニビト堤の復旧工事は、まだ完全に終わっていない。

 元々、堤の復旧には、長い時間がかかるのか、それとも人柱が消えてしまったために工事が難航しているのか、ぼくには分からなかった。


 ……!

 次に書かれた怪異を読んだとき、思わず小さな声をあげそうになった。


 浦座にあった、ガッサイ森の話である。


 宅地開発が進む以前、浦座にはガッサイ森と呼ばれる大きな森があり、弥彦と呼ばれる猟師が山鳥やウサギ、時にはイノシシを獲って暮らしていた。


 ある日、弥彦が十分な獲物を手に入れたにも関わらず、さらに欲をかいて狩りを続けようとしたら、森の奥から人とも獣ともつかぬ化け物の集団が現れて、弥彦をさらっていったという。


 数日後、森の大木の枝に、干された姿の弥彦が見つかった。

 皮を剥がれ、内臓を抜き取られ、いい塩梅に干されていたのだ。

 いつも狩った獲物に対してしていたことを、弥彦本人がされたらしい。


 無駄な殺生に、ガッサイ森の主が怒ったのだと書かれていた。


 ぼくは昆虫採集に出かけた、競技公園を囲む森での恐怖を思い出して身震いした。

 あの森は、元々はガッサイの森の一部だったのかも知れない……。

 もし捕まっていたら、標本にされていたのだろうか……。


 河童の話も書かれていた。

 リクドウの池には、何匹もの河童が棲んでいた。

 昭和一桁の時代までは、普通に浦座の村人たちと交流があり、中でも太郎丸、次郎坊と呼ばれた河童は、忙しい時期には畑仕事を手伝い、村人から野菜を分けてもらっていたらしい。


 松蔵という翁が亡くなった時には、太郎丸と次郎坊が葬式の場に参列して、大声で泣いたと書かれていた。


 呆気にとられるような話だった。

 日常生活の中に、当たり前のように河童のいるのだ。

 

 その暮らしを想像し、少しうらやましくなった。

 きっと楽しいに違いない。

 もしかしたら、ぼくを助けてくれた河童の子は、太郎丸か次郎坊の孫なのかも知れない。


 リクドウ池については、もうひとつ記述があった。

 リクドウ池という名前の由来である。


 「リクドウ」は「六道」であり、六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道と、死んだ人が生まれ変わる六つの世界を表すらしい。

 この六道の道の分岐点のことを六道の辻と言い、リクドウ池の底には、古い鳥居が沈んでいて、そこが六道の辻に繋がっていると言うのだ。


 ぼくは、消えてしまった、あのおじさんのことを思い出した。

 工藤の兄ちゃんの言う通り、あのおじさんは、自分のしたことが恥ずかしくなり、そっと逃げ出したと思う。

 でも、もしかして、そうじゃなく、リクドウ池の底に引き込まれたとしたら、何に生まれ変わってしまうんだろうか……。


 『浦座の怪異』は、まだ幾つも書かれていた。

 人語を理解する『お百』と呼ばれる白猫が龍因寺に棲みついていたことがある。

 浦座にいる白猫はすべて、この『お百』の子孫であり、白猫の前で悪事をたくらむと必ず失敗する。


 ニビト川には一丈(約三メートル)を越える大ウナギが棲んでいて、小舟を引っくり返したところが目撃されている。


 北の竹林には、時折、見たこともない屋敷が現れる。笑い声や話し声が聞こえてくるが、屋敷を訪ねても誰もいない。一度屋敷を出て、再び訪れると、屋敷そのものが消え失せている。


 読み進めるうちに、胸がどきどきとしてきた。

 自分の住んでいる町が、こんなにも不思議に満ちていたことを知らなかったのだ。

 

 ぼくは『浦座史』を借りることにした。

 家でじっくりと読みたくなったのだ。


 夏休みの宿題のことは、すっかりと忘れていた。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 「本当だって」

 図書館からの帰り道、公園の横を通ると、慎吾の声が聞こえてきた。


 自転車を停めると、慎吾と哲夫、涼太、そして舞原までもが集まって、何やら言い合っているのが見えた。


 「だって、目玉が真っ黒の集団に追いかけられたって言われてもねえ。

 朝早くに起きすぎて、寝ぼけていたんじゃないの?」

 舞原が、疑わしそうな目になりながら、慎吾に言う。


 「いやいや、舞原の河童の話だって、寝ぼけてるだろ」

 「あれはワニガメだって、新聞にも載っていたしね」

 テツオと涼介が、舞原に言う。


 「そういうテツオと涼介も、真っ昼間っから、おじいさんの幽霊と話をしたって言われてもなあ」

 慎吾が苦笑いを浮かべて言う。

 

 どうやら四人は、この夏休みに体験した不思議な出来事について、「本当だ」「作り話だ」と、口論をしているようだった。


 それでも新田先生の話は出ていないようだった。

 さすがは舞原だと、ぼくは思った。


 慎吾も、あの話はしていない。

 

 「あ、タケル!」

 舞原が、ぼくに気づいた。


 「ちょっと、カッパーちゃんに助けてもらった話をしてあげてよ。

 誰も信じてくれないのよ」

 「あの河童、カッパーちゃんって呼ぶことにしちゃったの?」

 ぼくは呆れた顔になりながら、自転車から降りた。


 「それより、競技公園へ虫捕りに行った時の話をしてやってくれよ。

 めちゃくちゃ怖かったよな」

 舞原の話をさえぎって、慎吾が言う。


 「いいところに来たぜ、タケル。

 慎吾も舞原も、大工のおじいさんの幽霊はウソだって言うんだよ」

 「ぼくたち、見たし、話もしたよね」

 さらに、その慎吾の話をさえぎって、テツオと涼介が言う。


 そう言えば、この四人全員と一緒になっての不思議で奇妙な体験は無かったよなと、ぼくは思った。


 「まあ、待ってよ」

 ぼくは、図書館から借りてきた『浦座史』の分厚い本を取り出した。


 「なんだ、その本?」

 集まってきた慎吾たちは、怪訝そうな顔になって『浦座史』を見る。


 「この町には、まだまだ不思議な場所があるんだ。

 みんなで一緒に探検をしてみようよ」

 ぼくは、みんなに提案した。


 地図に印した『怪』の印は六つ。

 まだまだ地図は完成していない。


          了


           ……そして、夏休みの宿題も完成していない。




 あと番外編がひとつ、

 上にある、『慎吾も、あの話はしていない』の、あの話で、終わりとなります……。


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