第五話 割れた墨壺・Ⅰ


 それは夏休みが始まって、三日目のことだった。


 「おーーい、タケル」

 後ろから呼ばれ、ぼくは自転車をとめると振り返った。


 テツオが手を振っていた。

 その横には涼介がいる。

 テツオは何かと先生に叱られている悪ガキ、涼介は真面目な優等生タイプ。

 正反対の二人だけど、幼なじみらしくて、二人はよく一緒に遊んでいた。


 「やあ、二人でどこに行くの? 公園?」

 ぼくが駆け寄ってきた二人に聞くと、テツオが答えた。


 「図書館だよ。

 な、涼介」

 「うん」

 どこか元気のない顔をした涼介がうなずいた。


 涼介が図書館に行くのはわかるが、テツオまでついて行くというのは信じられなかった。

 「テツオが図書館ねえ……。

 どういう風の吹き回し?」


 「実はさ、昨日、涼介と二人で歩いていたら、建てている途中の家を見つけたんだよ」

 テツオが、楽しそうに話し始めた。


    ◆◇◆◇◆◇◆


 昼ごはんでも食べに行っているのか、建築中の家のまわりに大工さんはいなかった。


 「なあ、ちょっと入ってみようぜ」

 「えーー、やめようよ。怒られるよ」

 「平気だって」

 涼介が止めたが、壁も床も天井も無い、土台と骨組みだけの家の中に、テツオは勝手に入り込んだ。


 「オレさ、大きくなったら大工になりたいんだよなあ」

 テツオはそう言いながら、そのあたりに置かれていたカンナやノコギリ、金づちなどを手に取る。


 「だめだって、テッちゃん」

 涼介は敷地の外から不安そうに言う。


 「お、何だこれ?」

 テツオは、変わった形の道具をひろいあげた。


 ひょうたんを割ったような形の木製の道具である。

 端に糸車がつけられていて、真っ黒な糸が巻かれていた。

 穴のあいた本体の中には、墨で真っ黒になった綿が入っている。

 そして、糸車とは逆側には、龍が彫られていた。


 「龍が彫っているじゃん。

 かっこいい道具だな。

 でも、何に使うんだろう?」

 テツオは手に取ったひょうたん型の道具が何なのか、涼介に聞こうとした。


 「なあ、涼介。

 これって何の道具か、知ってるか?」

 涼介に近づこうとしたテツオは、横に渡してあった柱に足をひっかけた。


 「わわっ!」

 つんのめったテツオの手から飛んだひょうたん型の道具は、コンクリートの基礎部分に落ちると、かわいた音を立てて二つに割れてしまった。


 「テッちゃん! 

 どうすんだよ。壊れちゃったよ!」

 涼介が目をむいて言う。


 「オ、オレのせいじゃない。

 涼介が見たいって言うからだぞ!」

 立ち上がったテツオが、怒ったような顔で決めつけた。


 「そんなこと、言ってないよ!」

 とんでもない言い掛かりに、涼介は驚いた顔になる。


 テツオは、素早く家の骨組みの外に出ると、そのまま走って逃げだした。

 「涼介のせいだ! 涼介のせい! 

 涼介が大工さんの道具を壊した!」

 テツオが笑いながら逃げていく。


 「やめてよ、テッちゃん!」

 涼介はあわててテツオを追いかけた。


 それが昨日のことである。


    ◆◇◆◇◆◇◆


 「テツオ。

 お前、最悪だな」

 話を聞いたぼくは、あきれた顔で言った。


 「はいはい。

 そりゃどーも」

 テツオはヘラヘラと笑って答える。

 まるで反省していないようだった。


 「でもさ、それがどうして図書館に行くことになるの?」


 「昨日の夜、おかしな夢を見たんだ」

 今度は涼介が話し始めた。


    ◆◇◆◇◆◇◆


 気がつくと、涼介は、手足をまっすぐに伸ばした姿勢で寝ていた。

 仰向けで、直立不動になったような姿勢である。

 首が少し動くだけで、まるでどこかのスイッチが切られたように、体はまったく動かなかった。


 周囲は真っ暗で、上の方に家の骨組みの柱が組み合わさっているのが見えた。

 真っ暗な空間に、木の柱だけがくっきりと浮かび上がっているのだ。

 不思議で、怖い空間であった。


 どこだよ、ここ? 

 体も動かないし……。

 と、涼介は何かの気配を感じた。


 ヒソヒソと話す囁き声やカチャカチャという小さな金属音が聞こえてくる。

 耳を澄ました涼介は、ゾッとした。

 自分の周囲でささやき、動き回っているのは、人間ではないようなのだ。


 もっと小さな、おもちゃていどのモノが、仰向けで寝ている自分の周りで、ぞわぞわと動いているようであった。


 そして、動けない涼介の目の前に、テツオが壊した、ひょうたん型の道具がふわりと浮かびあがった。

 真ん中から二つに割れて、ブラブラと割れた部分がゆれている。


 ギョッとした涼介の顔の真上で、その道具がきしるような声でしゃべり始めた。

 「よくも」「よくも、やってくれたな」「やってくれたな」

 「お前も」「お前も今から」

 「同じ」「同じ目に」「同じ目に」「目に」

 「同じ目に、遭わせてやるわ~~~~」

 わんわんと頭に響く、恐ろしい声である。


 さらに、ひょうたん型の道具の周囲に、ふわふわと金づちや木づち、カンナ、ノコギリ、クギ、何種類かのノミ、差金と呼ばれるL字型の金属定規などが漂い始めた。

 さっき感じた気配は、この大工道具たちだったのである。


 ひょうたん型の道具は、仰向けに寝たまま動けない涼介の右側にフッとしずんだ。

 そして、ふたたび浮きあがると、今度は涼介の胴体をこえて、左側にふっと沈んだ。


 その瞬間、涼介は胸とお腹の境目あたりに、小さな痛みを感じた。

 右から左へ一直線に、ピシッと走る痛みである。


 それからまた、ひょうたん型の道具が涼介の顔の上に、ふわふわと浮かびあがった。

 「よい線がはいった」「真っ直ぐだ」

 「よい線がはいった」「これは真っ直ぐだ」


 カンナや金づちたちが、嬉しそうに囃し立てる。

 その中から、ノコギリが前に出てきた。

 「ほい。では、わしの出番だな」

 「さあ」「さあ」「さあ」「切ってくだされ」

 「では」「では」「では」「見事に切ろう」

 大工道具たちが囃し立て、ノコギリが、それに応じてギラギラと鋭い刃を光らせる。


 何か恐ろしいことが自分の身に起こる。

 そう感じた涼介は、恐怖に引きつった顔で叫び声をあげた。


 「助けて!」


         つづく

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