外伝二 人柱の娘・Ⅴ 最終話
あたしは、クルマに乗っていた。
最初に見たときは、人を飲み込んだまま走る、得体の知れない化け物かと思った。
だけど、順正が持ってきた、クルマと言うモノをよく見てみれば、太く黒い車輪がついた、大きな輿のような乗り物だった。
ただ、曳く牛がいるわけでもないのに、このクルマは勝手に動く。
やはり、得体が知れない。
順正に「大丈夫だよ」と言われ、あたしは恐る恐るクルマに乗った。
そして、クルマは走り出した。
あたしの横で、クルマを操る順正は、シンゴウやルール、ビルやデンキなどの説明をしてくれたが、よく分からなかった。
そんなことより、マドという透明な板の向こうで、どんどんと通り過ぎていく景色に、目を奪われていた。
最初は、あまりの速さに体が強張ったが、慣れると楽しい。
ずっと乗っていたくなる。
「着いたよ」
まだ乗っていたかったが、順正はクルマを止めた。
そこは、大きな広場となっていて、数えきれないほどのクルマが停まっている。
少し離れた場所には、小山ほどもある建物があった。
……ここはどこ?
「アウトレットモールだよ」
そう言った順正は、クルマを降りると、あたしの方に回り込み、乗り降りをする変な戸を開いてくれた。
この程度の厚みの戸なら、すり抜けることも出来るが、あたしのために、わざわざ戸を開けてくれたと思うと、何だか嬉しく、少し恥ずかしい気がした。
クルマを降りると、午後の陽射しが眩しかった。
眩しすぎて、くらくらとする。
あたしは、順正と一緒に、あうとれっともおると言う、大きな建物の中へと入っていった。
そばまで寄ると、見上げるほどの建物だ。
建物の中は、市の立つ日の城下町のように、にぎやかであった。
奥行きのある店が幾つも並び、女物の服、男物の服、小物、物入、薬、そして、見たことも無い、何に使うのか分からないものまでが売っている。
どの店も、売り物の種類がとてつもなく多かった。
店の前の大きな通路を、多くの人々が、楽しそうに行き来していた。
幼い子と手をつなぐ家族連れ。
夫婦とみえる、仲の良さそうな男女も多い。
ゆっくりと歩く、老いた夫婦。
赤ん坊を抱っこした母親。
若い娘同士の集まり。
若い男同士の集まり……。
誰も大声で話しているわけではないが、幸せそうなざわめきに満ちている。
建物の真ん中には、大きな広場があった。
その広場のある部分だけ、天井がとてつもなく高い。
「まずは、靴を買おうか」
あたしが高い天井をみあげていると、順正がそう言った。
……くつ?
あたしは順正を見た。
「履物だよ。
この時代の草鞋や下駄みたいなものさ」
順正に連れられ、くつを売る、履物の店に入った。
「やっぱり、サンダルかな。
ほら、ヤエちゃん、こういうのはどう?」
順正は、三種類の履物を持ってきてくれた。
声が、囁くように小さくなっている。
あたしは、誰にも見えないのだから、それは仕方ない。
さんだるは、草履のように足の指や甲が露出し、涼しそうであった。
……これがいい。
あたしが、海老茶色さんだるを選ぶと、順正が店の帳場で金子を支払ってくれた。
……いいの?
あたしが申し訳なくなって聞くと、順正は笑顔で頷いてくれた。
さんだるを履いてみた。
固く冷たい床の感触も、足の裏には気持ちよかったけど、さんだるの感触も優しく、気持ちがいい。
次は、あうとれっともおるの二階へとあがることになった。
……だけど、これが恐ろしかった。
動く階段に乗らなければならなかったのだ。
……無理。
あたしは拒絶した。
「大丈夫だよ」
……無理。
重ねて拒絶した。
すると順正は、身を屈めて、あたしに背を向けた。
あたしは、順正におんぶをされ、動く階段に乗って二階へ移動した。
これだと、動く階段も恐くない。
逆に楽しい。
二階にも、色んな店があった。
順正は、その中の一つに、あたしを連れて行ってくれた。
二階に上がったのは、この店に来ることが目的だったようだ。
「ここは帽子を売っているんだ。
編笠や菅笠みたいに、陽をさえぎる被り物だよ」
あたしは、ボウシの店に入ると、売り物を見回した。
でも、編笠や菅笠は見当たらない。
と、店の奥に一人で移動していた順正が戻ってきた。
手には、サンダルの実体が入った紙袋を持っている。
そして、今は、もうひとつ、大きな紙袋が増えていた。
「帽子は、おれが選んだよ。
絶対に似合うと思うから」
順正が自信満々の表情で言う。
「せっかくだから、外で被ろう」
そう言った順正は、動く階段とは別の方向へ歩いていく。
……順正。
あたしが呼び掛けると、順正は立ち止った。
「あっちに普通の階段があることを思い出したんだよ。
いつも使ってないから、すっかり忘れてた」
……無理。
あたしは拒絶した。
「いや、普通の階段だよ。
動かない階段」
……無理。
重ねて拒絶した。
あたしは、順正におんぶをされ、動く階段に乗って一階へ戻った。
楽しかった。
外の陽射しは、さっきと変わらず、強く、眩しかった。
日陰へあたしを誘導した順正は、大きな紙袋からボウシを取り出した。
「麦わら帽子だよ。
すごく似合うと思うよ」
縁周りが大きく広いボウシをあたしに被せてくれる。
「ヤエちゃん、ほら」
順正が、あうとれっともおるに顔を向けるように言う。
その部分のあうとれっともおるの外壁は、大きな鏡となっていたのだ。
あたしが映っている。
これが、あたし?
今、この時代の人たちと変わらないように見える。
行き来している、若い娘たちと同じだ。
麦わら帽子が素敵だ。
若葉色と浅黄色が格子となった、わんぴいすは華やかに見える。
海老茶色のさんだるもかわいい。
……ふふふふふ。
……へへへへへ。
勝手に、笑いが漏れてしまう。
こんなかっこうをしている自分がおかしい。
でも、それ以上に、嬉しかった。
あたしは、幸せだった……。
それから順正と二人で、そふとくりいむと言う、冷たくて溶ける菓子を食べた。
ぬいぐるみと言う、かわいい動物の作り物もみた。
びっくりするほど色んな花を売っている店もみた。
何もかも、見ているだけで楽しかった。
そして、色んな話を聞いた。
百年で、人々の暮らしがどう変わったのか。
細かいことは理解できなかったけど、あたしたちの時代よりは、良い暮らしになっているようであった。
長かった陽も暮れ始め、あたしたちは、再びクルマに乗って移動した。
「見せたいものがあるんだ」
順正がそう言い、クルマは山の中に入っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
……すごい。
あたしは山の頂上付近から、ニヒト村を見下ろしていた。
いや、今は、浦座町というらしい。
あたしが住んでいたころのニヒト村は、浦座町のほんの一部になっている。
広い範囲が開拓されたのだ。
開拓された町は、無数の光に満ちていた。
光は、遠くまで広がり、浦座以外の町にも繋がっている。
光の海が、眼下に広がっている。
これほど美しい景色は、見たことがなかった。
「あれがニビト川だよ」
順正は、暗く明かりの無い、帯状の場所を指さした。
今は、ニヒトと言わず、ニビトと濁るらしい。
「あの川が氾濫を続けていたら、この町は出来ていなかったかも知れない。
……でも、だからと言って、ヤエちゃんを人柱にしていいはずはない」
順正は、静かにそう言った。
……。
あたしたちは、長い間、黙り込んだ。
順正に恨み言を言うのは間違っている。
恨み言を言う相手は、もういない。
今更、恨み言を言っても、どうしようもない。
どうしょうもないことばかりが、頭の中をぐるぐると回った。
「……もう、ヤエちゃんのお陰であることすら、知らない人がほとんどだ。
だけど、おれは、ずっとずっと、ヤエちゃんに感謝するよ」
……それでいい。
あたしは、そう言った。
……思い残すことは、もうない。
……ありがとう。
一度、停めていたクルマに戻った順正が、線香を持ってきた。
束のままで火を点けると、太くいい香りの煙が立ち上った。
「お線香の煙は、天上と御仏に繋がっている。
煙と共に天へと昇れば、迷うことはないよ」
そう言った順正は、ゆっくりとお経をあげ始めた。
……さようなら、順正。
……ありがとう。
……楽しかった。
あたしは線香の煙に巻かれ、ゆっくりと天へと昇った。
順正のお経と線香の香りが心地よい。
天に昇りながら、町の明かりを見下ろす。
無数の明かりが、温かく光っている。
……そうか、あたしは役に立ったんだ。
少し、むくわれた気持ちになった。
順正の姿は、もう小さくしか見えない。
ただ一つ、順正にウソをついた。
思い残すことは、もうない。
これはウソである。
願いが叶うなら、順正と同じ時代に生きてみたかった。
順正と一緒に生きてみたかった……。
あたしは、それを淡い夢として胸に抱き、天へと昇っていった……。
了
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