第十三話 タイムカプセルから出てきた闇・Ⅵ


 「来るな! 

 あっちに行け!」

 ぼくは、新田先生と男を交互に睨みながら叫んだ。


 新田先生は、ハサミを手にしたまま、怖い目で笑っている。

 そして、男は……、困惑した顔になっていた。


 男は、困惑した顔のまま、ぼくではなく、新田先生に目を向けてこう言った。

 「どうしたんですか、木原先生?」


 驚いたぼくは、新田先生を見た。

 先生は目を吊り上げたまま、興奮した犬のように低く唸りはじめた。


 唸りながら、目がクルリと白目に裏返る。

 そして、まるでスイッチが切れたように、そのままストンと膝から崩れ落ちてしまった。

 先生の手から離れたハサミが廊下を転がった。


 「木原先生!」

 男は新田先生に駆け寄ると、心配そうに抱え起した。


 「あ、あの……、あなたは?」

 舞原を引き起こした後、ぼくは男に声をかけた。


 「オレ? 

 この小学校の卒業生だよ。

 真野って言うんだ」

 この男の人は、あの手紙を書いた一之瀬という人じゃなかった。


 「なあ、木原先生は、どうしちゃったんだい?」

 真野と名乗ったその男は、新田先生を木原先生と呼んでいる。

 何が何だか、ぼくは、さっぱり分からなくなってしまった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 「木原は旧姓なの。

 先生は結婚して、新田になったのよ」

 正気に戻った新田先生は、そう言って謎のひとつをあっさりと明かしてくれた。


 いつもの新田先生である。

 ただ、先生の表情も声も、疲れ切っているように感じた。


 ぼくたちは四人で『タイムカプセルの森』へと向かっていた。

 「真野くんや一之瀬くんを教えていた時は、まだ木原の姓だったの」


 「じゃあ、その……手紙に書かれていたことは?」


 「……本当のことです」

 舞原の言葉に、新田先生は申し訳なさそうに答えた。


 「真野くんや一之瀬くんの担任なったのは、先生になって一年目のころなの。

 まだ、自信も実力も身についてなかったわ」

 先生は、ゆっくりと歩きながら、ポツポツと話し始めた。


 「授業妨害をする子の多いクラスだったわ」


 「砂田や塚本ですね。

 オレもそうだったかな」

 真野さんが、場を和まそうとするかのように「ははは」と笑って言った。


 「授業中に、当り前のように騒ぐ。

 注意をすれば食って掛かる。

 しかも、クラスのみんなを扇動して、大騒ぎにしてしまう……」

 新田先生は、その時のことを思い出しているようだった。


 「そんな時に、たまたま、みんなと一緒になって騒いでいた一之瀬くんのことを『赤ちゃんみたいに、はしゃぐんじゃないの!』って叱ったことがあったの。

 そしたら、みんなが大笑いしちゃってね。

 そのタイミングで『さあ、赤ちゃんと呼ばれたくなかったら静かにしなさい』と言ったら、みんな静かになったのよ」


 新田先生が、そこまで話した時、ぼくたちは『タイムカプセルの森』の前に着いた。


 「それから、クラスをまとめるときには、いつもその言葉を使ったわ。

 ええ、一之瀬くんが、それでいじめられていることも知っていたわ。

 でも、一之瀬くんの気持ちより、つかの間でもクラスが静かになる方を選んだのよ」

 新田先生は、深く溜息をつくと続けた。

 

 「自分さえ良ければいい……。

 そのためなら、大事な子供たちが傷ついても構わない……。

 あのときの私の心は、そんな闇の暗い部分に覆われていたの。

 先生失格よね」

 先生は手に持った手紙を見つめた。

 「……恨まれて当然です」


 「いや、もう一之瀬は先生のこと恨んでいませんよ」

 真野さんが穏やかな顔でそう言った。


 先生もぼくたちも、不思議そうな顔になって真野さんを見た。


 「あいつ、昨日のタイムカプセルの開封式に来られなかったんです。

 今、アメリカに留学しているんですよ」


 「まあ、そんなに立派に」

 新田先生の表情が、少し明るくなった。


 「それでね、一週間前、オレに電話をしてきたんです。

 『もう先生のことは恨んでいない。

 それより、あの手紙が誰かに読まれて、先生に迷惑がかかったら大変だ』ってね。

 だから、代わりに手紙を取って、捨ててくれって頼まれたんですよ」

 真野さんは手を伸ばすと、新田先生の手から手紙を抜き取った。


 「一之瀬くんが、そんなことを……」


 「開封式のとき、どさくさに紛れて一之瀬の手紙を抜き取ったんですけど、落としちゃったみたいでね」

 真野さんが頭をかく。


 「それで、探しに来てたんですか?」


 「そういうこと」

 ぼくが聞くと、真野さんは苦笑しながらうなずいた。


 真野さんはしゃがみ込むと手紙を地面に置き、ポケットから出したライターで火をつける。

 手紙はメラメラと燃えあがった。


 真野さんは燃えあがる手紙の前で手を合わせると、お経をあげ始めた。

 「魔訶般若波羅蜜多心経、観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見……」


 聞いていて、どこか心が落ち着くようなリズムのお経である。

 ぼくたちも先生も手を合わせた。


 「……菩提薩婆訶、般若心経」

 真野さんは、お経をあげ終えると立ち上がった。

 もう手紙は、完全に灰となっていた。


 「オレは龍因寺の息子なんだよ。

 今は仏教系の大学に通っているんだ」


 龍因寺は、この町にあるお寺である。


 「今のお経は?」

 「十年も恨みを抱えたまま、暗い中にいた手紙が哀れに思えてさ。

 供養したんだよ」

 ぼくが聞くと、真野さんは照れたようにそう答えた。


 灰になった手紙が細かく崩れ、風に吹かれて舞い散っていった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 これで、何もかもが、終わったと思った。

 

 ……でも、本当は終わってなかったのだ。

 ぼくがそのことに気が付いたのは、しばらく経ってからのことだった。


      つづく

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