第34話:迫るもの


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 放課後。教室は無人、廊下にいる生徒もまばら。殆どが俺が見ている窓の外にいる。

 夏休み前、俺たちには試練が迫っていた。そう、期末である。

 部活動は休止。授業が終われば生徒は学校から追い出され、勉学に励めよという学校からの有難~い配慮期間に入った。


 一斉に下校。なんと恐ろしい光景か。

 夏場の靴箱にぞろぞろと生徒が溢れるのだ。想像するだけで息苦しい。

 なので俺と智也は窓の外を眺めていた。廊下に出たのは昇降口から正門へ向かう人の波を確認できるからだ。

 少々時間を潰して降りる方がストレスがない。


「そろそろかな?」

「そうだな」


 ピークは過ぎただろう。人の数にばらつきが出始めて俺らは階段を下りた。

 ポケットに突っ込んだ指先にコツンと何かが当たる。ジグザグと尖った手触り、全体を指で撫でれば丸みのある固いもの。あぁそういえば昼休みに飴を貰った。

 取り出し袋を切る。口に放り込んでゴミは鞄の外ポケットに押し込む。

 ぶどう味、おいしい。


 昇降口に着くとやはり人の数は少なかった。


「ちづ、いつもの言っていい?」

「言うな」

「気付いてるじゃん」


 外を歩き始めてすぐ智也は悪戯に笑う。

 対し俺はため息を吐いた。

 奴が見ているのは俺と同じものだろう。あぁそうだ、気付いてるよ。進行方向にいるのだ、否応なしに視界に入る。

 先ほどまでの混雑の中であれば気付かなかったかもしれないが。うまくはいかないものである。


「声かけてくる」


 智也は前にいる白坂と山崎さんの元へ走った。お前はすっかり白坂一派だな。


 舌の上で飴を転がしのんびりと後ろを歩く。


「あっ、そうそう。やっちゃんに送ったんだよ~」

「ほんと? ちょっと待って、今見る」


 俺と三人の距離は近いわけではないけれど会話は聞こえてくる。部活動が行われていない学校は静かなのだ。加えて帰宅ラッシュが落ち着いている。なので奴らがキャッキャしているのが何か、俺には分かっていた。不機嫌な猫の画像だ。


 鞄を漁る山崎さんの歩幅が狭くなって、三人の速度が緩やかになる。

 やがて足を止めた三人を追い抜き正門まで進んだところで「ちづ!」と智也の声がした。

 顔だけ振り返ると三人は先ほどと変わらない場所に立ったまま。

 目線は下、山崎さんの手元。


 ……どうした、何かあったか?

 足を止めて体ごと振り返ると見ているのがスマホだと分かった。

 不機嫌な猫が画面から飛び出したのだろうか。


 智也の顔があがる。距離ができてしまったが、あれは「やばい」とか「まずい」といった類のことを目顔で伝えているように思う。


 あぁ、なるほど。

 山崎さんのスマホを見て智也が心配のような表情を浮かべる理由に思い当たるものはひとつ。

 大方、彼氏からの連絡だ。そこに何か切羽詰まるような文言があった、という具合だろう。

 無論、そうではない可能性だって大いにあるが、昼休みの話を思い返せば一番妥当な線だ。

 彼女は返事を確認していない。となれば追撃がきていても何ら不思議ではない。


 なんだなんだ、『いまキミの後ろにいるよ』とでもきたか。それは大変恐ろしいし、彼女が向き合う姿勢であったとしても逃げ出したくなる文言だな。

 まあそんなホラーな冗談はさておき――と、背後から声が飛んだ。


「弥生!」


 しっかりとした太い声が呼ぶ名前は誰のものか。

 思い出すまでもなくその人物はこちらへ顔を向けた。山崎さんだ。

 推測は正解だったようだが文言は不正解だ。『キミ』は彼女ではなく俺になってしまったからな。

 にしても、だ。俺の推測は追撃までである。

 まさか本当にいるとは思わなかった。


 遠目で見たし話も聞いていたがハッキリと認識していなかったその人へ振り返る。


「……え」


 正門に立つ人物を見て喉の奥で声が漏れた。

 驚き……いや疑問? どっちもか。

 失礼ながら思ってしまった。

 この人が山崎さんの彼氏? と。ということは、この人が女子高生とヤりたいだけの男? と。


 人を見かけで判断してはいけない。記憶はないがそう教わった気がする。

 そして自分の経験上、見かけからの印象というのはなかなかに馬鹿にできない。

 見た目通りだと(いい意味でも悪い意味でも)いうことは半々程度はあったと思う。


 だがそこにいる人は、端的に言えば普通だった。

 清潔感のある短髪、控えめな目鼻立ち。無地の白シャツに爽やかな水色の襟付きシャツを羽織り、黒のパンツと。どこにでもいるような、普通の人。

 チャラい雰囲気もなければ個性的でもない。

 もし街中で若い女を狙っている男を見つけろと言われたとして、彼に目をつけることはないだろう。


 相手方の想像などすることはなかったのだからこの表現は正しくはない。だが、意外だった。


 ちらり、山崎さんらへ視線を戻す。

 三人は相変わらずそこから動いていなかった。

 律儀に彼氏は学校の敷地へ入ろうとしない。

 そして俺は悲しいかな、間に立つようなポジションになってしまった。


 彼氏はすぐそば。

 あの三人がこちらを見る限り、俺の姿も視界に入るだろう。

 隠れる場所はない。


 ……なんだ、この状況は。

 たかがちょっとした混雑を避けたがためにこんな展開になるとは。

 要らぬ手間だったのかと俺は落胆した。


 必要のないこと、俺がすべきでないことはやらない。だがこの状況でさよならと後にするのは。

 したくはないな。



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