第40話:影響の変化
「もうすぐ夏休みだね、瀬名くん」
「……」
白坂はそう切り出すと仰々しく腕を組んだ。
いつぞやもここで話をした記憶があるな。
「その間、どうしたらいいと思う? 交換日記」
大事な話と言われて身構えることなどない。相手がコイツだからな。
春に隣の席になりもう夏である。さすがになんとなくわかるようになってきたさ。
だが内容までは読みようがなく「は?」と口の中で呟いてしまったのは仕方あるまい。
「瀬名くんはどうか知らないけどあたしは交換日記初心者でね」
無論俺もだ。
「長期休暇に入る際、先人たちはどうしていたのだろうか。まさかコレも休み?」
何がまさか? 既に土日休んでただろ。
「でもさでもさ、休み明け一発目の人めっちゃプレッシャーじゃない?」
「……」
「最悪そのまま終わるんじゃない?」
「……」
「そんなの嫌なんだけど」
ふむ。俺はウエルカムな展開だな。
だがまぁ俺らに関して言えば書いてんのはお前だけなのでお前が続ければ続くと思う。
気付いていないようなので黙っておくが。
「なのでね、夏休み届けに行こうかと」
「バカなのか、お前は馬鹿なのか」
「すごい、瀬名くんが長尺で突っ込んだ」
くらりとした。
コイツなら本当にやりかねない。
「……言っておくが、住所は教えん」
「比永くんに聞く?」
「口止めする」
「ぶう」
これが本当のブーイング。やかましいわ。
「えー、じゃあ毎日学校で待ち合わせ?」
拒否の言葉は発さずくるりと踵を返せば、白坂は俺の前に回り込んで弾むように歩く。
「瀬名くんはあたしの夏、気にならないかい?」
「ならんね」
「イヤッ! 即答!」
この話こそ日記の中ですればいいのに。
まぁ思いついた時に言わないとこの人は忘れてしまうのだろうけど。
「寂しいと思うなぁ。あたしなしの夏休み」
寝言は寝てどーぞ。
「あたしは寂しいなぁ。瀬名くんなしの夏休み」
教室に着くと廊下に奴らの姿はなく、智也は既に自席にいた。
クラスメイトと談笑していて避難先には不向きだ。時間的にも無理。
「あっ、じゃあ夏休みのどっか、遊ぼ!」
こんなにも授業の開始を待ったことはない。学生の鏡なお利口さんにはぜひ褒美がほしいね。
いや、俺は欲深くはない。
ただ安寧を。せめて夏休みの間だけでも安寧を。
……言っておく。これは前フリだとかフラグだとかじゃない。俺の切実な願いだ。
***
「最近思うんだけど。ちづ、女子平気になってきた?」
帰り道、「暑い」「暑すぎる」の会話が数回続いた後、智也がおかしなことを言ってきた。
「絶賛苦手」
「じゃあ白坂さん限定かな? 平気なの」
「自分で言うのも嫌だが、俺はアイツにも緊張してるよ」
「うーん、そうかな? 白坂さんと喋る時のちづの声さ、普通に近いかなって思うんだけど」
自分のことは自分が一番わかっている。
相手が白坂でも俺の喉とか心拍数とか、俺を作る諸々の皆さんが緊張している。
白坂の性格とか振る舞いとか関係なく共に時間を過ごすとしんどい。
俺の苦手意識は改善されていないのだ。
でも、声か。自分の声ってのはそもそもどんなものか分からない。そこで些細な変化があったとしても俺は気付かないだろう。
智也がそう聞こえているのなら、そうなのかもしれない。
「勿論ね完全にじゃないよ、近いってだけ。上擦ってんなーって思いながら聞いてるけど」
「そんなこと思われながら聞かれてんの?」
「でも他の女子に比べると低いよ、俺と喋る時のちづに近い」
「ふうん」
俺の反応に「他人事じゃん」と笑って、智也は息を浅く吐き出した。
「もうどれくらいだっけ? 三年とか経つよね」
智也の問いに「あー、まー」と頷く。
三年、そんなになるか。
「白坂さんってちづが女子苦手~って知ってるよね?」
「え? あぁ、うん」
「やっぱり。ちょいちょいあの人おかしいから、そうなのかなって」
「それがなくてもアノヒトはおかしいのでは」
「否定してあげられないねぇ」
間も空けず同時に笑った。
智也は白坂のどんな奇行を浮かべたのだろう。
俺は――特になかった。ただ、思うこともなく笑いが出て行った。
「そういえば夏休み遊ぼうって言ってたよ。いつにする?」
「お前だけでよろ」
「そんなことしたらちづの家に連れていくことになるんじゃないかな」
「……」
「あ、不機嫌な猫」
*
眠る前、からっぽになった頭はぼんやりと、智也との帰り道を思い出していた。
三年。その数字に引っ張り出された記憶。俺は確かに、セーラー服姿の女子を思い返した。
当時の俺にとって衝撃だったはずのその人を、俺は確かに。
だけど、浮かべたその人がどんな表情だったか、どんな場面のその人を浮かべたのか、思い出すことは不可能だった。
睡魔のせいではない。頭の片隅に一瞬だけだったからだ。
すぐさま俺は智也と笑ったんだ。
その場にいないくせに。
何かネタがあったわけでもないのに。
二人して笑って、俺の記憶は中学時代から現在へすぐさま帰還したんだ。
「すげぇな、しらさか……」
暗闇の中ぽつりと呟いて俺は眠りについた。
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