第9話:だから嵐の前は静かなんだって


 ***



 翌日。ノートを見た白坂の反応はやっぱり激しかった。

 小さく「ィギャ!」と叫んだかと思うとノートで顔を覆い、隙間から俺の顔を見て「うひひっ」と声をあげて笑っていた。


 ひどく嬉しいらしい。なんて言うとまるで自惚れているようだが、あの様子見て別の意見があるなら是非お聞かせ願いたい。


 高校生にもなって(しかも二年目)ここまで分かりやすい感情表現ができるものだろうか。

 まるで子供。いや、これは……。

 尻尾をちぎれんばかりにぶん回している犬(似ているとかではなく柴犬が浮かんだ)だな。

 彼女はやはり犬だった。


「……」

「……」


 見られている。ノートの上部から出た目玉がこちらを覗き見ている。

 勿論見つめ返すなんて俺には出来ない。

 左手で頬杖をついて白坂の凝視をガード。机の木目を眺め彼女の興味が失せるのを待った。


「……うっひひ」

「……」


 えー、もー。変質者の笑い方してる。

 キミはうちの学年でもトップクラスに可愛いと評判の生徒のはずだが? いいのかい、それで。


 視線というのは何故伝わってくるのだろう。ビシバシ感じるそれを完全に無視することができず視界の端に左側を映せば、白坂は「チラッチラッ」と言いながら俺を見ていた。怖い。


 なんなんだ、コイツは……。

 頬杖をやめた手を拳に変えてぐっと握る。

 直視は難しいのでノートに目線を置いて「なに」と言えば、彼女の返事は「ギャッ!」だった。

 何がギャッだ、こんだけ見てますアピールしといて。


 普段、授業の合間の休み時間は理由がなければ動かない主義である。

 智也や男子が来れば喋るし、来なければ本を読んだり寝たりする。

 だが今回に限っては誰も来ないし、白坂は俺をロックオンしてるし、多分今更机に突っ伏したところでこの人はロック解除してくれないだろう。


 ……ちょっと席離れようかな。

 そう思った時だった。


「白坂さん。瀬名くん」


 揃って名が呼ばれた。

 俺と白坂の机の間に女子が足を止める。手には紙の束があった。

 校則違反などないきちんと着用された制服。後ろで一つに結ばれた黒髪。ちょっと名前は分からないがクラスメイト? ですよね。

 女子の把握はできていないんだ。申し訳ない。


「白坂さん、数学の課題もらえるかな」

「スガク、ノ、カダイ……?」


 なんでカタコトだよ。


「忘れちゃった? 出せないなら早めに先生に言った方がいいよ。瀬名くんは?」

「……アァ、ハイ」


 鞄から出したプリントを机に置いてスッと女子へ寄せる。

 椅子の背もたれに体を預け目線を下げると机に手が伸びたのが見えた。「はい、確かに」と声がしてプリントは回収された。


「じゃあ」


 机の端に見えていたスカートが消えてからふぅと息を吐き出す。


「……」

「……」


 机から少し目線を上げると視界に入ってきたのはお隣さん。

 口をぽけっと開けて、目をぱちぱち。

 白坂が、すっごい、こっちを見ていた。


 え、なに。なんでそんなじっと見てくんの。

 てかそれは、どういう表情?

 きょとんとしているように見えるけれども、そんな出来事は何もなかったよな。え、なんなん?


 ついさっきまでの分かりやすさはどこへ。

 急に分かりにくくなっているとは一体。


「……瀬名く」

「莉子ー」


 白坂のトーンは変質者ではなくなっていた。

 だけど友達に呼ばれた白坂はそれ以上続けず、ノートを鞄にしまって席を離れた。


 なんだったのか。という気持ちは一割程度あるものの、とにかく白坂に凝視される時間が終わって何よりだ。

 戻ってきた白坂にちょっかいを出されないよう、俺は机に突っ伏し瞼を閉じた。




 ――この後、チャイムが鳴り戻ってきた白坂は静かだった。視線を向けてくることもなかった。

 それは授業が終わってからもだった。


 昼休みが近付いた頃には、彼女を警戒することなどなかった。

 この人はね頭の切り替え早いのよ、この件は今日の日記に~なんつって夕食の興奮を伝えてくる人だからね。

 そんな風に思っていたんだ。



 だが既に彼女の中ではおかしな思考が生まれていたのだ。

 考えるだけなら自由さ。だがそれが白坂となると……分かるだろう?

 彼女は考えていることを実行できてしまう人間なのだ。


 そう、この後白坂はおかしな動きを始める。


 きっとこの時がキッカケだったんだと、俺は後々思うわけだが、今の俺が知ることは当然ない。



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