第5話:ハッピーエンド


 彼女の表情がゆるゆると変化していく。

 下がっていた眉は元の位置よりも上、目は丸くなり、ぱかっと開いた口から「へっ!?」と驚いたような声が飛び出した。


 あわわと口を震わせたり両手で頬を包み何やら唸ったりしている彼女の思考に興味はない。

 それより表情が戻ってくれて良かった。

 俺のせいであんな不細工な笑顔をされては気分がよろしくないからな。


「な、なんで緊張するの?」

「……苦手、なんだよ、女子が」


 となれば早々に切り上げたい。だから素直に答えた。

 無視をしたところで引き下がるわけがない。長期戦は勘弁である。そろそろ授業始まるし。智也待ってるし。別に隠したいことでもないし。


 何より彼女は真剣である。

 思うところはあるが真正面からぶつかってきた、そんな相手を適当に交わすことはできない。

 ……ついでにもうひとつ。

 誤魔化すってのはエネルギーを使う作業なのだ。


「……なんだ、びっくりしちゃった」

「は?」

「いやね、あたしが好きでたまんないから緊張してんのかと思っちった」

「……」

「素敵な勘違い!」


 ……さすがだ、白坂。

 緊張していると言われてそっち側へシフトする脳とは一体どんな回路してんだろうな。経験値か?


「あっぶな! あたし恥晒すとこだったね!」


 もう晒したのでは。しかも自ら。


「だよね、キミいっつもめんどくさそうな顔してるもん! 好きな子の前でそんな顔はできない」


 え。俺は面倒くさそうな顔してるの?

 それはちょっと知らなかったな。


「そっかぁ、瀬名くんは女子が苦手だったのかー」

「……」

「そうなっちゃう何かがあったの?」

「……言いたくない」

「おっけー、無理には聞かない」


 え。と白坂の顔を思わず見てしまった。

 なんだ、すんなり引いてくれたりもするのか。

 ニコッと笑顔を向けられて視線を逸らす。


「苦手なものと関わるのって、キツいよね」

「……」

「ほら、あたし虫駄目じゃん?」


 知らんけど。

 口を虫と書いてたよキミ。


「あの姿かたち、もうほんと申し訳ないんだけど無理なんだよね。いやっ、あの子らも必死に生きてるんだし、むやみやたらに嫌ったら可哀想だと思うんだけど」

「……」

「でも無理なの。見たら心に鳥肌たっちゃう」

「……」

「だから分かるよ、苦手なものは見るのも嫌だよね……、うん、分かる」

「……」

「エッ!? 待って! 見るのも無理!?」

「……」

「え、え、じゃ今ヤバくない? 鳥肌?」

「……」

「てか男子校行けば良かったのに」

「……」


 俺は何も喋っていない。

 頷くことすらしていない。

 ただただぽかんと彼女のコロコロ変わる表情を眺め、トーンが下がったり上がったりする声を聞いているだけだ。

 コイツすごいな、マジか。よくもまぁ一人でそんな、ベラベラと……。


 男子校、ね。思ったよ。

 だが近場になかったのだから仕方ない。


「てかさ、あたし結構グイグイいってた?」

「……」


 その質問、オマエ意味分かってしてる?

 そんなん言いながら距離詰めてきたんだけど。

 今。まさに今、何故俺に一歩近づいたよ。


「あー、あたしまじで空気読めてなかったかも」


 過去形にしてんじゃねぇ。


「もし虫がグイグイきたらあたし気絶しちゃうよ。瀬名くんよく平気だね、すご」


 苦手だと言っただけで自分の苦手なものと同等のレベルで考えてくれるとは。

 単細ぼ……。いい奴なんだな、白坂。


 ただ、距離。発言と合ってないんだよ。

 上履きの先が触れそうな距離まで踏み込んでくるのは何でなんだ。


「ねぇ、瀬名くん」

「……」

「正直に答えてね」

「……。なに」

「あたしが話しかけたりするの、やだ? やめてほしい?」


 そんなもん答えはイエスだ。


 だけど単純にそう答えることに躊躇した。繰り返すが白坂はいい奴だから。


 今まで通りろくに答えなくていいのならドウゾとか俺なりの譲歩はある。

 必要な返事はするがそれ以外の世間話などにノッていくことは難しいんだ。

 だがそんな説明を簡潔に伝えられる自信はない。

 だったら正直に答えてとの言葉に従おう。

 こくりと頷けば、白坂の眉と口角がしゅるしゅる下がっていった。


「ず、ずるいだろ……、そんな顔、は」

「だって、やだって」

「……正直にって言うから」

「更に抉るー」

「……」


 拗ねたような顔は長くは続かなかった。

 白坂は廊下へ目線を落とすと、


「瀬名くんは女子が苦手。あたしも苦手。あたしに話しかけられるのやだ、ね」


 ブツブツ、俺の話をまとめている。

 そして俺へビシッと敬礼をしてみせた。


「了解です、分かりました!」

「……え」


 了解? え、了解って言った?


「今まで本当ごめんね。それじゃ!」


 そう言うと白坂は俺の横を抜けていく。

 振り返った時には既に背中は小さくなっていた。


 うそ。まじ? 俺解放?

 交換日記終了? やった!



 白坂と隣の席になって二か月。

 俺はようやく平穏な高校生活を取り戻すことができた。


 特に何かしたわけではないけれど、俺は戦いに勝ったような晴れ晴れとした気分だった。

 安寧が俺を待っている。

 まさにハッピーエンドだ!



   完












 5月29日(月)


 せなくんと話せてうれしかったです!

 答えてくれてありがとうね。

 これからはせなくんの心によりそったふるまいをしていきます。


 今日はからあげの日!

 もぉぉさいっこーにおいしいんだよ! うちのからあげ!

 カラッ! じゅわっ! うまっ! なの!

 キミはからあげにレモンかける派?



 鞄から出てきた空色のノートに俺は愕然とし、暫し天井を仰ぎ、鞄へ突っ込んだ。


 誰だ、ハッピーエンドなモノローグしたやつ。まじでぶっ飛ばしたい。……あぁ、俺か。

 少々テンションがあがってしまったからな。

 やりきったなー俺っつって。


 くっそ……。



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