第35話:涙には弱いんだ


 白坂が山崎さんを窺う。何か言葉を交わしているようだが内容は聞こえなかった。

 山崎さんを先頭に三人の足が動き出す。俺を通り過ぎて行ったのは山崎さんだけで二人は横でストップした。

 といっても彼氏から見れば背後に友人らがいる構図に変わりはないだろうが。


 会話は全て聞こえる距離。穏便に終わってくれることを望むが、最悪何か起こればすぐに割り込むことは可能である。


「良かった、会えて。もう帰ってたらどうしようかと思ったよ」

「……」

「ちゃんと話そう?」


 彼氏の真意は分からない。

 本心では山崎さんを思っているのだろうか。

 あの会話は男友達とふざけただけ?

 変な見栄か? 虚勢?


 もしあの言葉が本心だとすればわざわざ来た理由はなんだ。

 下心のために費やしたこのひと月の労力を無駄にしたくないから、か?

 にしても行動が早い。山崎さんが周りに感化される前に説得でもしに来たか。


「別れてください」


 彼氏の前に立った山崎さんは俯いていた顔をあげてから改めて頭を下げた。

 しっかり告げられた彼氏は一瞬驚いたような顔をした後、智也へ目を動かす。


「……あー、そういうこと? 新しい彼氏?」


 この人は三人で固まっていたのを見ている。

 そして今もこの場にいるのだ。

 別れの理由として真っ先に浮かんでも仕方ないかもしれない。


「違う。そんなのいない。私が無理になったの」

「何が無理なの? 言いたいことあるなら言ってほしい」

「……言いたくない」

「それじゃ納得できないよ」


 山崎さんは「じゃあ言うけど」と前置きを挟む。


「いっつも急だよね。今日だってそう。いきなり会おうとか、こっちも予定ある」

「それはごめん。でも前も話したよね。俺のバイト、シフト通りにいかないこと多いって。人が足りてる時とか店が暇な時とかさ、いきなり空いたりするから」

「こっちでしか会わないし」

「弥生がすぐ帰れるようにだよ。一応気を使ったつもりなんだけど、嫌だったの?」


 白坂がぽつりと呟く。「え、いい人?」と。

 しかしすぐに「悪い奴にもいいとこはあるね」とひとり頷く。騙されない女モード、白坂。


「デートの時間も二時間とか三時間とかで」

「弥生は高校生でしょ、連れ回せないよ」

「だから土日遊ぼうって」

「土日は時給あがるからなるべく入りたい。それも言ったよね」


 さて更に山崎さんの訴えは続く。


「電話もほとんど出ないし」

「バイト中は無理だって」

「終わってからとか休みの時もだよ」

「夜遅くにはかけたくないから折り返さないだけでしょ。休みって言っても予定はあるし、人といる時はスマホ見たくないんだ」

「寝る前とか声聞きたいって思う」

「ごめん、バイトない日は早く寝たいんだよ」

「写真いやって言うから我慢してたけど、本当は撮りたかったし」

「苦手なんだよね、写真……。でも我慢させてたんなら、うん、撮ろう」

「付き合ってることあんま言わないでって言うから私誰にも言わなかった。バレた人はいるけど」

「それはもう少し付き合ってから言おうって決めたじゃん」


 今並べた不満が山崎さんにとってどれだけ重要かは分からない。それらしく別れの理由に使っているだけかもしれないし。

 ただあの件を言うつもりがないということは分かった。


「場所移動して話そう? ここじゃ……」

「これ以上話しても私の気持ちは変わんない。友達いるし帰る。もうすぐ期末なの」


 不満を口にしながらも感情的にはならない。

 山崎さんは毅然としていた。

 勝手ながら大丈夫そうだな、と思ったくらいだ。


 ――だけども、そんなわけがなかった。

 

「待たせてごめん。帰ろ」


 山崎さんが振り返る。

 見えたものに二人は何を思っただろう。俺はガツンと、まるで殴られたような衝撃があった。


「……やっちゃ」


 白坂が駆け寄る。小さな声のそれはきっと呼びかけではなかった。

 ポケットの中で拳を作る。智也へ「付いてってやれ」と顎で促せば、そのつもりだったんだろう、俺の動作と智也の頷きは同時だった。


「ちょ、まだ話終わって……!」

「あのー」


 正門を後にする三人と彼氏の間に立つ。

 視界を遮るように距離を詰めた。

 あっちに付き添うのは智也が適任だ。

 俺がやれることは足止めだろう。


「な、なに……」

「退いた方がいいですよ」


 俺はお人好しではないし優しさもない。

 原因は彼氏にあっても、賽を投げたのは彼女だ。

 他者の介入などよほどのことがない限り違うと思っている。

 いろいろとあった違和感も発表する必要はない。


 しかしだ、あんなものを見てしまっては、動きたくなるさ。


 白坂に振り返った山崎さんの目には今にも流れてしまいそうな涙があった。

 あれは堪えていたんじゃないのか。零れ落ちれば感情も然り、だから――。

 いや、これは俺の勝手な想像だ。泣いてたまるかという気合の賜物だったかもしれない。


 まぁ何だっていい。

 彼女の心境など知りようもない。

 ただ涙があった。それだけは確かなのだ。


 小さくなったぶどう味をガリッと嚙み砕く。


「彼女」

「は……」

「バレる前に終わらせた方がいいのでは」


 俺は白坂とは違う。いい人なのではなんて思いもよらなかった。

 そう、と思っていたんだよ。

 違和感はとっくに俺の中で解消されている。



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