第42話:何年も前の話
見るまでもなかった。
俺の巾着は黒地に上半分がストライプ仕様。その青バージョンがそこにあることを俺は知っている。
「そういや、比永くんは使わないね」
「あー、うん、俺弁当持ってかないから」
まさかその角度からくるとは思わなかった。
写真から話が飛ぶ可能性は考えていたが。
智也の表情に見えた変化は一瞬だった。すっかりいつもの柔和な笑みで白坂に答える。
ほ、と胸を撫で下ろす。
内心どんな状態かは分からないが、とりあえず笑顔に無理は感じなかった。
「瀬名くんはこれの黒でしょ?」
「うん、そうだよ」
「これ手作りだよね。作ったのは~……」
「俺の母さんだよ」
「ほうほう。手作りでお揃い……、ハッ! まさか家族ぐるみのお付き合い的な!?」
「そう、かも?」
「なにそれなにそれ! 漫画みたい!」
ワァ大興奮。その場で足踏みをするも人様の家という配慮があるのか、足音はしなかった。
「お母さんお裁縫上手なんだねぇ」
「うん、そういうの好きだったねぇ」
口をつけたグラスを傾ける。
氷の隙間から流れた麦茶はひどく冷たい。
「ふうん? 今はちが……」
そこまで言って白坂の声が消える。
変な方向にいくこともあるが白坂は妙に鋭い。違和感に気付いたか。
もしかしたらさっき智也が言った「今日は父さんいない」の言葉も思い出しているかもしれない。
様子を窺えば写真を改めて見ていた。口元に手が添えられる。
あそこにある写真は幼少期がメインだ。
一番最近だと高校入学か。俺と智也、そして智也の父親が並んでいる。
もっと言えば幼少期の写真にはいる人が高校入学時にはいない。
「あ、ご、ごめ……。あたしめっちゃ失礼な話、しちゃった……?」
「いや? 全然」
「そ、そう……?」
「うん、もう随分経つからね」
智也は白坂に向けていた顔をリビングの奥、襖へ向けた。
「母さんが死んで」
ここと繋がる和室、そこに智也の母親がいる。
おばちゃんが亡くなったのは突然のことではなかった。
俺が智也と遊ぶようになった頃、既にこの家におばちゃんはいなくて、見舞いに行く智也と一緒によく病院へ行った。
当時の俺は病気とか入院とか病室とか、そういったものに気遣う脳などなくて。友達のお母さんに会いに行く、病室にあるフルーツを食べさせてもらう。遊び場のひとつとして考えていたクソガキだった。
やれ智也が泣いただの、やれ智也が転んだだの、やれ智也がピーマン残しただの。俺は自分の知る智也情報をこれでもかと披露していた。
今思えば心配させるようなことばかり言っていたな、俺は。
けれどおばちゃんはどんな話も、登場人物に智也がいるだけで笑って聞いてくれた。
一応、テストの点数が悪かったことは内緒にしてやった。これが友情というもの。
それでも家に帰ると、おかえりと迎えてくれる母親の姿に涙した時もあった。
どうしてともやはお母さんといっしょにいられないのだろう。ともやはお母さんのたまごやきたべられないのかな。
そんなことを思っては胸がズキズキとした。
ちなみに卵焼きを思い浮かべたのは俺が好きだからだ。智也の好物だからではない。
俺は智也がおばちゃんに頭を撫でられるのを見るのが好きだった。
クソガキながらその瞬間はとても神聖なものに感じて目を奪われた。入ってはいけないというか入れないというか、体が動かなくなるんだ。
目の前の光景なのにとても遠くで、それこそ映画の中のような。それを外から見ているような。
不思議な感じだった。
そして何故か心が満たされる気がした。
子供心に思うところがあったのだろう。当時の自分の感情を言語化はできないのだけど。
「そういや、この前の法事で叔父さんがぎっくり腰やっちゃって」
「あー、あれきついらしいな」
「叔父さんって我慢強くてさ、昔骨折した時も静かに耐えてて誰にも気付かれなかったレベルの人なんだけど。その叔父さんがめっちゃ叫んでたんだよね。まじでぎっくり腰やばいよ」
「こえー……」
「法事どころじゃなくなったもんね」
俺は知っている。おばちゃんのことも、このリビングが普段は静かなことも、法事に行ったことも。
白坂。お前が怪我してた時に智也が持ってた洋菓子な、おばちゃんの好物なんだ。すっげー甘いの。
俺は知っているんだ。
ずっと一緒にいるから。コイツが少しずつ笑えるようになっていくのを見てきたから。
だから白坂。大丈夫だよ。
そんな申し訳なさそうにする必要はないさ。
……なんて、俺が言うことではないから言わないけれど。
思いがけない角度から飛んできたボールに一瞬戸惑った。きっと智也もそうだった。でも今思っていることは多分そこじゃない。
眉も目尻も口角も下がって、まるで叱られた犬みたいな白坂を、智也は気にしている。
白坂がいる場で珍しく俺が喋っているのはその荷を俺も持ちたいからだ。
このメンツで喋る声が俺と智也。白坂だけ黙っているなんてことは二度とないかもしれないな。
「ちづはほんと、物持ちがいいよねぇ」
「あー? 巾着?」
「うん。ずっと使ってくれてるもんね」
「まあな」
目が合った。顎でソファへ促せばしょんぼりわんこはおずおずとソファの後ろに立つ。
だからポンと隣を叩いた。
「そもそもお前が黒い巾着が欲しいっつったんだよな」
「あの頃は早く大人になりたかったのよ。黒が大人ってイメージだったんだよねぇ。でもちづが青持つと羨ましくってさ」
俺の隣、だけど距離を空けてソファの端っこにちょこんと白坂は座った。
ピッタリくっつけた膝の上に小さな拳が二つ置かれる。
「んでも、ちづが黒持つとやっぱりそっちが良くって」
「アレ、鬱陶しかったわ」
「不思議だよ、どーしてもちづの方がかっこよく見えちゃうの」
「最終的にギャン泣きだったな」
「自分でももう何が何だか状態だったんだよね」
「あまりにうだうだ言うからおばちゃんが名前書いちゃって終了」
「そうそう!」
白坂へ真っ直ぐ顔を向ければビクッと肩があがった。そんな驚かんでも。
大きな瞳が潤んでいるような気がするが、あんまりそんな表情で固まらないでくれよ。
せっかくこの空間が賑やかだったんだ。
きっとおばちゃんも和室の向こうで微笑んでる。
「子供智也、可愛いだろ」
俺がそう言うと、白坂は目を丸くした。
だけどすぐにそれは細くなる。
「……うん。うん、かわいい。比永くん、瀬名くんも可愛いねぇ!」
「俺もかよ」
「今も可愛いよ~もう頭ナデナデしたいくらい! あ、しましょか」
「謹んで遠慮します」
「白坂さん、言わずにしちゃえば良かったのに」
「ハッ、そうだね。チィッ……」
もし白坂が智也の頭を撫でても、ちっとも神聖さはないな。
でもきっと俺は微笑ましく思うだろう。
だって智也は恥ずかしがるだろうし、白坂は人間の皮をかぶった犬だし。
こんなん、ほっこりする以外ない。
さて。智也側へ体を寄せつつ息を吐きだす。
自ら隣に座らせといてアレだけど、距離は空けてくれてるんだけど。
白坂サン、もう少し離れてくんないかな。
あー、喉苦しかった……。
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