第43話:ちょっと前の話
白坂は切り替えが早い人だと思う。内心は分からないから、外側から見ている分にはだが。
白坂がしょんぼりわんこから人間に戻ってくれないと智也までつられる。
そんなのはごめんだ。めんどくさい。
だからトイレから戻った時リビングが賑やかでほっとした。
智也の手には中学時代使っていたスマホ。
距離感無関心な智也と距離感バカな白坂の間に隙間はなかった。二人で画面を見ていて、盛り上がっている理由は間違いなくそこにある。
「学ラン似合ってるねー」
スマホと学ラン。それだけで二人が何に盛り上がっているのかは分かった。写真だ。
中学時代の智也は写真が好きだった。今はすっかり飽きたようだけど当時はたくさん撮られたことを思い出す。
「おかえり、ちづ」
「おかえり~」
智也の隣に座ると「懐かしいでしょ」と画面を見せられる。今では会うこともないクラスメイトや友人らが笑っていた。
彼は確か野球部の強いとこに行ったんだっけ。この人は転校してしまった。ええとコイツは……。
懐かしい顔ぶれ。懐かしい制服。
懐かしい教室、校庭、通学路。
智也の指がスライドする度にその気持ちはどんどんと高まっていった。
だがそれはふいに現れる。
「ギャッ、瀬名くんが女子とツーショット!」
声をあげる白坂と対照的に俺は息を呑んだ。
この中にいることは分かっていた。寧ろここまで出てこなかったのが不思議なくらい。
だけど気持ちが。懐かしいなとのほほん気分になっていたから、油断していた。
眉が、体が、神経が、ピク、と引きつる。
なのに目だけは見開いている。
視線を外せば、智也は画面を下にして膝の上に置いた。
ほんの少し、喉が苦しくなる。
呼吸が荒くなりそうで背もたれに体を預けた。
やべぇ、まともに見た。見てしまった。不意打ちは勘弁――
だが呼吸は乱れなかった。
何故なら視界に飛び込んできたものが写真よりも気になることになっている。
「人ってこんなに揺れるんだね。こんな明らかなソワソワ初めて見た」
俺も初めてだ。残像が見えるものな。
縦に白坂がひとり、ふたり……分身?
「だ、だって瀬名くんが女子と」
「分かった、分かったからちょっと揺れるのやめて。面白過ぎるから」
「え、どうやったら止まるんだろ」
心にもやっとしたものが迫ったというのに、俺はざわつくことができなかった。
唖然とさせられ、やがて苦笑になる。
だってこんなに揺れる人いる? 体全部で貧乏ゆすりしてるみたいなんだけど。
この人を見ていると、自分の中にあるものがあほらしくなるな。
トラウマというと大袈裟かもしれないしあまり使いたくはないのだけど、まぁ多分その言葉が一番しっくりくる出来事を今、断片的とはいえ思い出したのに。
智也の向こうで残像出されては、いやはや。
俺は多分、自分が自覚している以上に白坂のことを受け入れているのだと思う。
めんどくせーな、しんどいわ。という気持ちが皆無なわけではないけれど、話す労力を無駄だとは思わなくなっているから。
短く息を吐いて「それだよ」と言えば残像も振動もなくなった。
なのでもう一度、今度は少し声を大きくして伝える。
「写真の人。女子が苦手になったキッカケ? ってやつ」
手にしたスマホをひっくり返し一応確認。表示されている写真は変わっていなかった。
画面を白坂に向ける。そこにいる中学生二人は、先ほどの智也と白坂よりももっと近い距離で体が触れ合って、笑顔だ。
他にも数人男女がいたが、特に俺と智也、そして彼女は小学校からずっと仲が良かった。
中学生になると男女の間に溝のような壁のようなものがぼんやりとあったが、俺らにはなかったな。
好意を抱いたのはいつだっただろう。
友達の好意ではない。だって智也にはこんなドキドキしたりしない。多分そんな自問自答をして辿り着いたような気がする。
一緒にいると緊張するし胸は苦しい。だけど隣で笑ってくれることが嬉しかった。
付き合うとか、そんなことを想像することもないくらい、毎日想っているだけで満たされていた。
なのに突然、俺たちの距離がおかしくなる。彼女がよそよそしくなった。
前触れはなかったと思う。
俺はどうにも腑に落ちなかった。
心当たりがない。だから謝ることもできないし、かといって聞く勇気はなく、どうしていいか分からなかった。
話しかけても会話は途切れ、同じ目線だった彼女はいつしか頭頂部しか見せなくなる。
そして、
『もう喋んないで!』
強くハッキリと拒絶された。
戸惑ったけれど反射的に追いかけようとすればクラスの女子に阻まれる。
『ねー、もうやめなよ』
『見てたけどさ、瀬名嫌がられてんじゃん』
『振られたんだからしつこくするのやめなよ』
振られた? 俺が?
いつ。告白もしてないのに?
理由が分からない状態というのは気持ちが悪い。女子の言葉も謎過ぎた。
だけども公衆の面前で拒絶された思春期真っ只中の男子に、それを解消する術も行動力もなかった。
「――で、ちょっとした騒ぎになってさ。一時期は女子がちづの敵みたいになっちゃって」
「えぇ……、なんでそうなるのさ」
「結局、何でちづが避けられたのかも分かんないまま、卒業」
肩までの黒髪。猫を思わせる悪戯な目。時折伏せた時に見せる長い睫毛にドキドキした。
その記憶はあるのに。
写真の笑顔はよく見ていたものだったのに。
なのに俺の脳に浮かぶ顔はそうじゃない。
悪戯で愛らしい目はギッと吊り上がり、なのに眉は下がり。苛立っているような、困っているような、そんな表情しか思い出せない。
彼女が俺に向けた最後の言葉は拒絶。その時の彼女の表情が、様々な彼女の顔を上塗りしてしまっている。
智也の言うように少しの間、俺は女子の敵となった。
関わる機会が減りいざ向き合った時、俺は声を出せなかった。
最初は人見知りならぬ女子見知りでもしてんのかと思った。だけどそうではなかった。
目の前にいるのは彼女ではない。
なのに脳裏に拒絶が浮かんでしまう。
彼女と同じ制服を着た女子が全て彼女に見えて、拒絶をしているように思った。
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