第29話:省エネじゃない


 *



 夕方だというのにじわりと暑い。

 カレンダーを見て、あぁもうすぐ七月かと思うように、体感でまざまざと思わされる。

 あぁもうすぐ七月だ。


 湿度が異常なわけではないし灼熱でもない。暑いなと思うけれど苛立つほどの不快さはない。

 だから俺が今感じているコレは、沈みかけている太陽が熱を引き取ってくれないことへの不満などではないのだ。

 ポケットに突っ込んだ手、人差し指が体を叩く。

 俺は今、苛立っていた。


 駅から出てくる通行人の数が増えている。駅前の喧騒は週末の夕方だからだろうか。

 広場に立ち止まる人影も増えた。

 だが俺らの間には束の間の静寂が流れている。

 俺らに関して言えば一人、人数が減った。

 ここに山崎さんはいない。



 少し前。薬局から戻った山崎さんは絆創膏の箱を手に白坂へ駆け寄った。

 白坂の足元にしゃがんだ山崎さんから視線を外し歩いて戻ってくる智也を見る。

 至近距離でなくとも分かった。

 力が入った目頭、吊り上がった眉。智也は明らかにキレていた。


 どうしたとは聞かなかった。

 想像はできる。白坂が省いた詳細を山崎さんから聞いたのだろう。


 山崎さんは処置が終わってから「ごめん」と謝った。もしかしたら最中もその言葉を繰り返していたのかもしれない。

 白坂は「もー」と山崎さんに笑った。「なんか立派なの貼ってもらったしもう平気だよ!」と自慢げに肘を曲げ、足を伸ばした。それはまるで見て見てと言わんばかりだった。

 それに対し山崎さんが笑うことはなかった。白坂が気まずそうに体を縮める。

 山崎さんは「ごめん、先に帰っていいかな」と言って立ち上がり俺へ頭を下げた。


「ごめん、瀬名くん。ワケ分かんないよね。二人に聞いていいから」


 山崎さんの言葉は俺を気遣ってではなく、白坂、そして本人から事情を聞いたのであろう智也へ向けられていたのではないだろうか。

 三人中二人は事情を知り、一人は蚊帳の外。この後その話題に触れる可能性を考えての配慮だったのではと思う。


 山崎さんが智也の性格を知っているとは思わないが白坂に関してならば理解しているだろう。

 俺でも思うからな、コイツは勝手にべらべらと吹聴するような奴ではないと。

 だから二人に、話していいよという許可を与えたのではないだろうか。


 事情をどうしても知りたいわけではない。話をしたいのであれば二人で、と山崎さんの背中が消えるのを待った。

 やがて二人はため息を吐くと顔を見合わせ、「聞いたんだ?」「うん。ないね」「でしょ」と言葉を交わす。「先に帰るな」と俺も一応会話に参加したが、俺の言葉は聞こえなかったのか、聞こえた上で無視なのか。

 とにもかくにも二人の怒りながらのやり取りをまとめるとこうだ。



 白坂と山崎さんは放課後、二人で遊んでいた。

 そこに彼氏から連絡が来る。駅前にいるけど会える? と。

 山崎さんは白坂を紹介しようと思った。

 浮かれていたんだ、初めての彼氏に初めて友達を紹介するからって。とは智也談。本人がそう言っていたらしい。


 山崎さんはサプライズにしようと彼氏に返事をしなかった。

 何度か駅前で待ち合わせた時に車を停める場所が決まっていたことからそこへ向かう。

 車を見つけこっそり近付くと開いていた窓から声がした。「女子高生とヤりたいだけなのに」と。「計算狂ったわ」と。

 ガード固くて萎えてきた、次は強引にいく。山崎さんから聞いた彼氏の言葉は端的に智也がまとめたもので、もしかしたらもっと色々言われていたのかもしれないが俺には分からない。

 白坂は彼氏の発言については「口にもしたくない」と拳を握った。


 そうして白坂の怪我に繋がる。



「あダメだ、くっそむかついてきた。まじアイツやっぱ殴りたい」

「そいつまだいるの?」

「わかんない。今日は無理って電話してたからいないかも」

「そんな律儀に……」


 二人はまた大きく息を吐く。

 白坂が目尻を拭ったのが見えた。

 俺は空を見上げポケットに手を突っ込む。


 怒ったり苛立ったりってのは好きじゃない。疲れるからな。

 だけどもその感情をセーブすることはできない。

 多少は我慢しようとは思う。気持ちを切り替えようと若干の努力はする。

 それで消えることもある。落ち着くならそれでいい。そこに使うエネルギー消費の差は歴然なのだ。


 だが、そうはできない時もある。




 バスに乗る白坂を見送って、俺らは駅前を後にした。

 騒がしい駅を背にしてどれだけ進んだか。喧騒は遠い世界のものになる。


「……むかつくね」


 日が沈み始める。

 なのに気持ちは高ぶっていく。


 恋愛がキラキラとした綺麗なものだとは思っていない。経験がなかろうとそこに夢など見ていない。

 片方が真剣でもう片方は下心しかない場合もあるだろう。

 流れで始まりいつしかかけがえのない存在になることもあるだろうし、真剣に始まり憎みあうこともあるだろう。

 そうさ。千差万別。様々な形があり当人以外には分かり得ない事情も感情もあるだろうさ。

 ……それでも。


 俺は他人に感情移入するタイプではない。

 ましてや又聞きだ。話をする二人が怒れば怒るほどこちらは冷静となっていくもので。

 それでも。そんな俺でも。 


「あぁ。むかつくな」


 女二人を傷つけた男に腹が立っていた。



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