第19話:雨の放課後
「ちづ、おまたせ! 帰ろ」
「おー」
放課後。智也の付き添いでやってきた図書室。
活字は嫌いではないが借りるほどではない。加えて距離があるそこへ足を踏み入れたのは初めてだったのだが、いやぁ実に居心地のいい場所だった。
本を出し入れする音、ページを捲る音、丁寧に扱われる椅子の音。なんて耳に優しい空間だ。
イイ。図書室イイぞ。
「何か借りなくて良かったの?」
「あぁ。満足した」
「そう、それは良かった」
「癒された……」
しかしそんな気分も長続きはしない。昇降口に近づくにつれ俺の口はへの字になっていた。
窓の外を見るまでもなく雨はひどい。
ザァァァと響く雨音は図書室では心地のいいBGMだったのに、今はげんなりだ。
左手に見えてきた靴箱、昇降口には生徒がいるらしい。話し声がした。
靴箱の天井に引っかけてある傘をちらり見る。傘立てがあるのにそこを使わずこうする人がたまにいるが、どういう意図なのだろう。
一年の列に一本、三年の列には二本もぶら下がっている。傘立てあるのに、計三本。
靴箱の上は埃が凄そうだが。
「えーっ、それで?」
俺ら二年の靴箱がある中央にて女子が三人、お喋りを楽しんでいた。話し声は彼女らだったようだ。
トントンと傘の先端で地面を叩いているがそこには水滴が落ちていた。まさかお喋りのために戻ってきたのだろうか。
「ねー、うちらもう三十分も喋ってるよ」
笑う女子らの横を抜けて靴を履き替えると、入口のすぐそばには電話をしている男子生徒がいた。
「……いや、まぁこの雨だし。うん……うん」
そう言いながらシャツの裾を摘まんでゆらゆらと揺らしている。中に着ている青色のTシャツが透けて見えてなんとも悲しかった。空はあんなに灰色なのに。
電話の相手は家族だろうか。迎えに来てと泣きついているのかもしれない。
三年の靴箱の前に置かれている鞄と傘は彼のものだろう。
傘があろうとなかろうと、この雨の中ラクに帰れる手段があるのなら使うべきである。俺には残念ながらないのだが。
「エエエエ……」
電話男子とは逆側、一年の傘立ての前で声を漏らしている男子がいた。
自分の傘が行方不明になったのだろうか、残っている傘を一本ずつ取り出しては戻し、取り出しては戻しを繰り返していた。
どうか見つかりますように。彼には心からのエールと祈りを。
「……」
「ちづ? どしたの?」
と、まぁここまで周りを見ていた俺である。
ガラス張りの扉の向こう側、屋根の下にて空を見上げている人物にも気付いていた。
扉の前で足を止めた俺の視線を辿って「あれっ」と声をあげた智也はすぐさま外へ出ていく。
「比永くん、瀬名くんも。やほー」
「白坂さん! もしかして傘忘れちゃったの?」
「んーん。なんかねぇ、誰か間違えて持ってっちゃったっぽい」
扉から少し横にズレたところに立つ白坂は駆け寄る智也にへらりと笑って答えた。
「白坂さんって、いい人過ぎない?」
「え、突然の高評価。あざっす」
「普通さ傘とられたって思うんじゃないかな」
「あー、そういうこと? 違う違う、だってびっしょびしょだもん、あたしの傘。パクんなら乾いてる方が良くない?」
「びしょびしょ?」
「うん。忘れ物して戻ってきたからさー」
その理論で言えばびしょびしょの傘を間違えて持っていくのもおかしな話だと思うがね。
それこそ自分の傘ではないと気付くだろ。
「雨の中戻ってきたの? 大変だったね」
「そーなんだよー。まっっじでダルかったけど、でもさすがに鞄は取りに戻んないとかなって」
「え。鞄?」
俺からは背中しか見えないが智也の顔は想像できる。ぽかんだな。
長年の付き合いだからではない。俺もぽかんとしているからである。帰宅するというのに鞄忘れるかな。忘れられるかな。
「ちょっと行ったところでさー友達に鞄は? って聞かれて。ハッとしたよねー」
「へ、へぇ……」
「明日困るじゃん? まぁ風呂敷で来ればいいんだけどー」
鞄がない時の代用品が風呂敷一択という白坂に驚きつつ、俺はちらりと靴箱へ振り返った。
明確に感じたわけではないが見られているような気がして――あぁやっぱり勘違いではなかった。
視線の主は女子三人組。
向けられている先は俺ではない。智也だ。
いや、……白坂か?
何か口を動かしているが俺に読唇術はないので分からない。
傘捜索隊の男子は無事見つけたようだ。一年の靴箱の列から顔を覗かせ、手には傘があった。それはさきほど見た靴箱に引っかけてあったものだ。「そーだった、あそこに置いたんだった☆」といったところだろうか。何にせよ良かったな。
電話中の男子は靴箱に背を預けまだ話し中である。
先ほど同様シャツの裾を摘まみ、表情は明るくない。どうやら思惑は難航しているようだな。
ふむ、諦めたらどうだろうか。
「しっかり探したんだよー、でもなくってねぇ」
「そんなに時間かかってないでしょ?」
「うん。教室の往復だもん」
智也と白坂は傘の行方について話しているが、そんなことよりもだ。
「送ろうか?」
「エッ! いやっいいよ! うちそんなすぐそばじゃないから!」
「じゃあちづ、傘貸してあげなよ」
「えっ!?」
智也の提案は俺の思考を読んだのかと思うタイミングで。
俺は紺色の生地を掴み、「ん」と黒の柄の部分を白坂へ差し出した。
「えっ、でもそんなの悪いよ!」
「俺ら家近いから一本あれば十分だよ。あ、ちづの傘が嫌なら俺のでも」
「そんな! 嫌なわけないし!」
すんなり受け取るわけもないだろうが、今はさっさと受け取って早くこの場から去ってほしい。
俺は白坂の腕に柄を引っかけた。
「いいの? ほんとに?」
「……いい」
「ありがとう」
さぁ、早く帰りなされ。
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