第18話:めんどくせぇ


 ***



 机に向かい交換日記を凝視してどれくらい経つだろう。俺の手にはペンがある。

 勿論、返事を書くつもりで握った。

 だがその手は動かなかった。

 カチカチとペン先を出したり引っ込めたりを繰り返している。


 俺が返事を書くのは言葉が決まっている時だ。悩むことがなければ読んだついでに数秒を使うだけの何てことない作業だからな。

 だが、今回は違う。

 特別に返事をしたいわけでも、明確にハッキリと言葉を思いついたわけでもない。


 なのに何故俺はペンを握るのか。

 しょんぼりした智也と、ため息を吐く白坂が頭の中にあるからだ。


 ペン先をノートに当てる。

 元気か? そう書こうとして、やめた。

 だっておかしいだろう、そんな質問。

 何が? と聞かれたら何と答える。お前男を振ったんだろ、とでも返すのか?

 そんな無神経な言葉は言えない。


「あー、もう……めんどくせぇ」


 ペンをノートの上に転がし、天井を仰ぐ。

 別にいいのだ、何も書かなくても。やらなければならないことではない。

 だから今こぼした「めんどくせぇ」は俺が俺自身へ向けたものだった。


 このノートに電波はない。書いたところで反応が来るのは後日なわけで。

 仮に智也の言う通りしんどいと感じていても、すっかり元気になった状態で読む可能性が高いんだ。

 そう考えると気遣いの言葉を書くのは躊躇われる。「何が?」「どゆこと?」と迫られたら、自業自得であっても勘弁してくれである。


 白坂単体であればそこまで問題はなかった。

 彼女の疲れている様子なんてのは智也の言葉のせいで強く残っているだけで、本来であれば道中のどこかしらで記憶から消えていたと思う。


 智也のしょんぼりが余計だ。

 普段、アイツはあまり落ち込んだりしない。

 そういう部分を表に出さない。

 どうでもいいことは曝け出すくせに肝心なとこはだんまりな奴だからな。


 智也と白坂が同じ思考であるとは思っていない。

 かといって違うとも言えない。

 ただ、ハッキリしているのは俺の思考で。

 あんな風に言われてしまうと、ため息を吐く白坂に智也を重ねてしまうのだ。


 チラチラと浮かぶ二つの顔が俺の心臓を何か鋭利なもので刺してくる。

 その鋭利な物はでかくはない。ちっさな、そうだな、このペン先程度のものだ。

 痛がるほどではない地味~な攻撃。

 だけど無視をするには少々違和感が過ぎる。



 ふと、微かに雨の音が聞こえた。

 窓を小さく叩く不規則なそれにそういえば夜から雨だったな、と今朝見た予報を思い出した。


 雨か。濡れたら大変なあのヒーローはこんな時でもパトロールに勤しむんだよな。

 本当に頭が下がる。


「千弦ー、ご飯できたよー」


 母親の声に腹がぐうと返事をした。

 何故今まで気付かなかったのか、揚げ物の匂いが漂っているではないか。腹減った。


 食欲と嗅覚が堂々巡りだった思考を遮断する。集中が途切れてふと思った。

 気遣う言葉を探すから駄目なのだと。


 かといっていつもの調子でこのノートを渡す気分にはどうしたってなれないのだから。

 だったら、いっそ。


「えーと、確か……」


 椅子の上で胡坐を搔いて俺はノートにペンを滑らせた。



 ***



 翌日、交換日記を捲った白坂は「おおっ」と声をあげた。

 そして俺をじぃっと見てくる。

 相変わらず大きな目玉だ。


「すっごーい、あたしこんなに綺麗な丸書けないよ! ほっぺたのツヤも完璧!」

「……そらどーも」


 さて。あんだけうだうだ時間を無駄にした昨夜。俺が描いたのは戦うあんパンである。

 何でこれを描いたのかと問われたらなんとなくと答えよう。

 ほらあれだ、お前が何か言ってただろう?


 だが白坂は突っ込んでくることはなかった。


「ふふっ、可愛い」

「……」


 なんということか。微笑んでいるだけだとは。

 ノートをじっと見て一人楽しんでいる。

 もしかしたら別のパンも描けと言われるのではないかと画像検索していたのだが、どうやら徒労であった。


 これも白坂の一面なのだろうか。分からない。

 当然ながら俺はごく一部しか見ていない。白坂が持っている様々な表情、全てを知っているわけではない。

 だから無理をしているのかそうでないのか。

 俺には判断できない。

 些細な変化や違和感があったとしても、俺にそれを見極める目はない。


 ただ隣の席は今日も賑やかで、誰かしらと喋ったり笑ったりしていて。

 それは確かで。

 俺自身、特に変わったことはなく。

 それも確かで。


 普通の日、だったんだ。


 放課後までは。




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