08 死体遺棄

 途中、温奈は前方の交通状況にのみ集中していた。何か事故にあったら、そばにいる夏朦が道連れになるから。こんな台風並みの雨の日は、外出すべきではない。山道を走ることも、車のトランクに人間の死体を載せることもするべきではない。温奈が幸いだったのは、夏朦に怪我がなかったことと、当初、車を買う時、小型のハマーを買ったことの二点だけであった。このような状況の中、山道を走るにはセダンより安全だった。


 車が血桜のある丘のそばを通るとき、温奈は思わず暴風雨で桜の木の枝が折れないか心配になったが、今はまだ満開まで時間がかかるから、桜の花が雨に打たれて落される心配はなさそうだ。


 こんな時にまだこのようなことを考えている自分に対して、温奈は心の中で苦笑いをした。彼女の頭の中は夏朦のことでいっぱいで、夏朦がほとんど自分の人生のすべてだと思っていた。どんな時にどこにいても、何を見ても、二人が共有した思い出を思い浮かべる。


 平地を走って別の山の入り口が見えるまで時間がかかった。温奈はハマーが坂を上るためにハンドルを切った。曲がるたびに道の上り勾配に恐怖を感じた。雨は一向に止む気配がなく、空もだんだん暗くなってきて、もうじき夜になる。闇夜は犯罪している彼女の姿を隠してくれるかもしれないが、暗くなった後の山道はより危険になるため、一刻も早くすべてを終わらせることに急がなければならなかった。


 ハマーが山頂近くを何とか登っていると、温奈は平坦な空き地に車を停め、後で丘の上まで徒歩で行って、死体を捨てるのにもっと適した場所を探すつもりだった。ハンドルから手を離すと、振り向いてずっと黙っていた夏朦と顔を見合わせた。夏朦は髪が半分乾き、頬には涙痕がたくさんで、大きな瞳を瞬かせて怖くて温奈を見ていた。


「車の中で待っててね」

 夏朦は今度、ついて行くとか言わず、素直にうなずいた。

「すぐに戻ってくるから、車のドアをロックして、知らない人が来たら絶対に開けちゃダメだよ」と温奈は夏朦を諭した。こんな山奥に来る人はいないとはいえ、用心に越したことはない。


 温奈は深呼吸をして覚悟を決め、軍手をはめてバックドアを開けた。雨の中、トランクから死体を取り出し、かろうじて空いた両手でスコップと子供用の傘を手に取り、山道を登った。


 誰も気づかないだろうと思われるところまで来ると、温奈は山道を離れて木々の間を縫うように近くの森を進んだ。雨は視界を遮り続け、彼女は時折腕を上げて、服で顔を拭かないと前に進めなかった。体のどこも乾いていなかったが、少なくともフロントガラスのワイパーとほぼ同じ役割を果たしたから、何もしないよりはましだった。


 温奈は濡れた服がこれほど重く感じられたことはなかったし、抱えている子供の死体も十数キロくらいしかなかったはずなのに、今は一歩一歩進むのに必死なほど重かった。特に、雨で滑りやすい道や、柔らかい泥の地面のせいで、余計に動きにくかった。自分の来た方向を憶えて、適当な場所を探すのに必死だった。たとえ犯罪経験がなくても、雨の中で死体を埋めることは発見されるリスクが高いことは知っていたので、雨に浸食されないような場所を探さなければならなかった。


 そんな場所があるだろうか?


 温奈は自分が心の中で、証拠隠滅と夏朦を助けたいことだけを思いながら、自分の能力を過大評価し、夏朦の悩みをすべて解決できると考えている勇敢で無謀な自分を嘲笑していた。


 温奈はヒーローになりたかった。それは、世界に愛を広める無私のヒーローではなく、夏朦だけのためのヒーローだった。ヒーローと呼ぶのは少し誇張したかもしれない。温奈はまだ目的と私心を持って行動しているが、その目的はただ一つで、心が求めているのもただ一人――夏朦だけだ。夏朦がそばにいて、彼女が怪我さえしなければ、それで満足だった。


 温奈はしばらく立ち止まって息を整えたかったが、速く流れる時間が立ち止まって休むことを許さなかった。雨の中、果てしなく続く森を見渡し、希望の光を求めて、奇跡を切望していた。そして、温奈に奇跡が訪れたみたいに、ぼんやりとした視界の中に、一つの洞窟が見えた。


 まるで闇夜を彷徨っている中、ようやく光が見えてきたように、温奈は洞窟に向かってまっすぐに走っていた。スピードを上げようと必死で歩を進めた。自分の心音は雨音にかき消され、狂ったような胸の高鳴りだけが感じられた。


 息を吸い込むと、雨水も一緒に鼻から吸い込まれてむせて、彼女は狼狽えて咳き込んだ。途中、突き出た根につまずき、頑張ってバランスを保ったから泥の上に転ばなかった。それでも、温奈は死体を抱きしめ続けた。慌ててずいぶん走ったあと、温奈はようやく洞窟にたどり着いた。洞窟の中は意外と広く、奥に進むにつれて地面が乾いた土に覆われている。温奈は死体をそっと脇に置き、スマートフォンを取り出してライトのスイッチを入れて地面を照らすと、最適な場所を確認し、ライトを岩壁のくぼみのある場所に置いて穴を掘り始めた。


 下に掘っていくと、掘った土が横に堆積していった。機械的な動きを繰り返し、不安と緊張の中で、やがて死体を埋めるのに十分な大きさの穴ができた。数秒ためらったあと、温奈は覚悟を決めてバスタオルから死体を取り出し、子供と子猫をそっと穴に入れた。子供用の傘とその中にある枝は彼らの脇に置いた。両手を合わせて冥福を祈ってから穴を埋めた。


 ごめんね。ごめんね。ごめんね。


 埋める途中、温奈はずっと心の中で謝っていたが、泣いてはいなかった。夏朦が既に温奈の代わりに泣いて、全ての悲しみを受け止めていたからだ。膨大な負の感情を受け止めるには精神力を大いに消耗するものだ。それなら、温奈は甲斐甲斐しい者として現実と向き合い、辛いことを自分が引き受けることにした。


 スコップで地面を軽く叩いて、へこみや急激な膨らみがないことを確認すると、温奈は何事もなかったかのようにするため周囲の砂利を敷き直した。そして、後ずさりして自分の足跡を消しながら洞窟を出た。夏朦を安心させるために、できるだけ早く車に戻ろうと、帰りの道を急いだ。


 願わくば、夏朦が勝手に探しに来ないことを祈っておる。


 スマートフォンを持っていても死体を埋めるのにどれほど時間がかかったかよくわからなかったが、木々は既に闇夜に包まれていたので、更に焦った。夏朦が車の中に一人でいて怖かったのだろうか?今、涙を流しているのだろうか?自分に何かが起こるのではと不安になっているだろうか?


 温奈の早歩きが全力疾走になった。スマートフォンのライトをオンにしたまま両手を大きく振ったから、ライトの光が揺らいだ。不気味な森にお化けが潜んでいそうで、どんなに怖がらない人でも恐怖を感じたはずだ。しかし、温奈は怖がるどころか、昔のことを思い出した。


 大学の運動会で百メートル走に参加したとき、観客席から夏朦がじっと彼女を見つめて応援していた。その澄んだ瞳の優しいまなざしのおかげで、温奈は見事一位になったのだ。運動会当日だけでなく、普段の練習でも、夏朦がいなければ、ここまで真剣に取り組むことはなかっただろう。


 その時、温奈は自分が夏朦に対して特別な想いが強くなっていることに気づいた。あの頃、彼女はまだうぶな大学一年生だった。でも今になっても、彼女の感情はうぶなままで、変わっていない。


 温奈は迷うことなく森を抜け出し、坂道を小走りに下っていくとすぐに愛車のハマーが見えてきた。温奈は助手席の窓をノックして、夏朦に鍵を開けるように合図すると、スコップをトランクに戻してから運転席に乗った。


 ドアを閉めてシートに座ると、夏朦が彼女の腕の中に飛び込んできた。彼女の体中が泥と水にまみれたことや、ようやく半分乾いた服が温奈の体から滴り落ちる水で濡れていることも気にしなかった。


「もう帰ってこないと思っていた……あなたに何かあったのかと心配で……」夏朦は嗚咽しながら言った。


 温奈は夏朦からの抱擁に驚いて喜んだが、車の中に一人残されることがどれほど怖いことなのかは理解できた。温奈は夏朦を車に残したことを後悔していなかった。元々、正解や完璧な解決策はなかった。夏朦を連れて一緒に死体を捨てるよりも、車に残すことが夏朦を守るための最善の方法だった。


「心配かけてごめんね。帰ろう」


 彼女の服が既に汚れていたから、温奈はいっそ抱きしめ返した。夏朦の雨に濡れた髪の香りを吸い込み、数秒の愛情を得てから夏朦をシートに座らせて、シートベルトを締めた。


「うん、帰ろう。早く帰りたいわ」と夏朦がつぶやいた。


 今、夏朦が口にした家とは、二人だけの家だった。温奈は、夏朦が自分のことを頼りにしてくれていることと、可愛らしい言葉に喜びをかみしめた。


 雨が二人の痕跡を全部洗い流し、犯罪の証拠を消してくれることを祈りながら、温奈はエンジンをかけ、坂道を下っていった。


 この日、最も愛する人が罪を犯した。温奈は共犯者になることをいとわなかった。夏朦のためだけでなく、自分のためでもあるのだ。最も愛する人がそばにいる限り、温奈は生きる喜びを感じられるのだ。


 憧れの女神のため、自分のすべてを捧げた。たとえそれが報われなくても、心も体も時間も、最愛の人の物になるのだ。

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