14 花市場
戦々恐々とした数日を過ごした。毎日シャッターを下ろす時、温奈はその日に警察が来なかったことに安堵した。彼女はその後、事件現場を確認したことがある。あの日の天気は雨なので、どの石がその命を奪った元凶なのかわからなかった。雨によって十分洗われたことで、今ではもう鮮血を連想させる赤が見当たらない。
毎週二回目の定休日がやってきた。荼蘼の状況がまだ好転しなかったから、二人は荼蘼を休日の花市場に連れて専門家に聞くことにした。夏朦は車の助手席に座って、頻繁に振り向いて後部座席に固定された植木鉢を見た。どうやら荼蘼を後部座席に一人にしたのが気になっていた。例え温奈は車のスピードに気を付けると保証し、窪みを見たらなるべく減速するようにしても、それでも夏朦は盆栽が倒れるのではないかと心配のようだ。
「荼蘼からは自分のことについて何か言わなかったの?」温奈はそう聞いた。
夏朦は植物たちと意思疎通できるから、彼女たちが一番必要なものがわかる。植物の専門家でなくても、植物たちの声に耳を傾けることで、彼女たちの状態を知ることができる。だが今回の件については夏朦もお手上げのようだ。
「荼蘼は最近、私とあんまり喋らないの。ずっと黙っている。まるで私のお世話を拒んでいるようだ」
「病気かもしれないね。植物医師が彼女の病気を治せると良いな」
「うん、そうだといいな。でもどうして私と話してくれないのだろう。唯一彼女の声を聞こえる者は私しかいないのに」
今日の夏朦は数日前に身に纏っている優しい光を失った。それはまるで雲に遮られた月のようで、どこを探してもその美しい姿が見当たらず、微かな
温奈にはどう答えるべきなのかわからない。何も聞こえない彼女は夏朦と植物たちの間に入れない。ただ静かに見守っているのも幸せだが、それでも時々妬いてしまう。彼女の視点から見れば、それはまるで植物たちと夏朦だけで目に見えないサークルを作って、悪意を持たずに彼女を除け者にしたようだ。
車を花市場の近くの駐車場に止め、温奈は荼蘼の盆栽を持ち上げて台車に置き、夏朦と一緒に公園を抜けて花市場に向かった。道中ずっと子供を連れて公園で遊ばせている親が見えた。ある者はキャッチボールしていて、またある者は芝の上でピクニックマットを敷いてピクニックしていた。遊具からも子供の笑い声が絶えずに聞こえてきた。
元気に遊びまわっている子供たちを見ると、彼女はすぐに自分が車を公園の地下駐車場に止めたことを後悔した。確かに花市場からは一番近くて便利だが、公園で遊ぶ子供たちを見るとあの事件の辛い記憶を思い出すだけではなく、あの円満な家庭も刃のように夏朦の心に深く刺さる。
隣で歩いている夏朦に視線を向けると、案の定悲しい顔をしていた。温奈は夏朦の目を遮りたかった。夏朦にあの『家』にしかくれない愛と幸せを羨ませずにしたかった。
一時の気の迷いなのか、温奈は静かに台車の取っ手に置いていた右手を移動し、その彼女と一緒に台車を押す手に被せた。冷たさが手のひらに伝わり、傷口の瘡蓋に染み込んだ。夏朦はその手に気付き、振り向いて彼女を見た。その目にはすでに涙が溜まっていたが、外にいるから涙が零れないように必死に我慢していた。
これだから彼女は夏朦を連れて海外の一人もいないところに行きたいのだ。例えば夢の中で見た田舎の小径、そこでなら夏朦の泣きたいように泣ける。他人に見られることを気にする必要もなく、彼女たちの気分を害する余計な人もいない。
「私は大丈夫」夏朦はひっそり呟いた。温奈に言っていたというより、自分に言い聞かせていたようだ。
他人の家族の団欒は彼女たちの目には皮肉と嘲笑しか見えない。彼女たちにはお互いを頼り、大丈夫、大丈夫と言い続け、哀れな現実の中でもがき続けるしかない。
休日のスーパーは常に人が一杯だが、中にいる子供は比較的に少ない。子供たちは花に大した興味を抱かない。ただ両親に『まだなのか』と、『もうご飯に行こうよ』と急かすだけ。花市場に入ると、植物たちに囲まれたことて、ようやく夏朦は少し元気を取り戻した。ここの店主たちは皆凄腕の園芸師である。園芸は彼らがお金を稼ぐためのスキルとは言え、そのおかげで植物たちが最高の手入れを受けられる。
夏朦は時々足を止めて咲いた花を見ていた。偶に胡蝶蘭の前に止めていて、あるいは首を上げて四方八方にくねくね伸びたエアープランツを見つめていた。温奈はそんな夏朦を急かさず、静かに彼女の植物鑑賞に付き合っていた。美術館の収蔵品よりも、夏朦は花を見るほうが好きだ。一つ一つの花は生命の芸術で、芸術品と同じく唯一無二の美しさを持っている。
温奈は昔夏朦が言ったことを覚えている。芸術作品は複製されることがあるが、花にそんなことはない。たとえ桜の花でも、その小さな一つ一つの花にはそれぞれ特別のところがあり、どれ一つもかけがえのないものである。
温奈はその時、少し驚いた。桜の花は満遍なく梢に咲いていて、その木に幻想的なピンクや白で覆っているから美しいので、誰もそこまで詳しく見ないと思っていた。でも夏朦ならそうする。彼女は真剣に一つ一つの花を見つめ、彼女たちがこの世に生まれたことを感謝しているようだ。
花市場は入り口から一番奥までの距離は長く、ブースは一つ一つと奥まで続いている。二人は最奥まで行ったことがない。彼女たちは草本植物がいっぱいのブースで止まった。ここでは植物を販売するだけでなく、色んな盆栽や培養土、肥料なども置いてある。知り合いの店主は二人を見かけた後すぐに手を振って、植物がいっぱいの狭い通路を通って二人の方へ歩いた。
「久しぶりですね。今日はどの子を連れてきましたか?」
「この間拾った荼蘼です。彼女は病気のようで、元気がないです」夏朦はまるで自分の子供を連れて医者に病状を説明しているようだった。
「ちょっと見せてね」
店主はしゃがんで様々な角度で荼蘼を観察していた。葉っぱの裏側を見たり、盆栽の中の土を触ったりした。荼蘼は夏朦が言ったように、葉っぱに全く元気がなく、植物にあるべきツヤを失っている。
「ただの水のあげすぎですね。一ヶ月に三、四回あげれば大丈夫ですよ。土が乾き過ぎたら水を補充すればいいです。盆栽の底に水を溜まらないように注意してください」店主は医者のようにすぐに問題点を見つけ、その対処法を夏朦に教えた。
「なるほど、ありがとうございます。病気で治らないのか心配していました」
「植物に対して大事に世話をする必要がありますが、過度のお世話は時に彼女たちにプレッシャーを感じさせますよ。水あげも肥料やりもやり過ぎに気を付けないといけません。にしてもあなたにも世話ができない花がありますね。『荼蘼』だからなのですか?ハハッ、冗談ですよ。そんなことはないでしょう」
店主の軽い冗談に対して、夏朦はただ笑っていただけ、俯いて盆栽の中の葉っぱを見ていて、何も喋らなかった。
店主はどうしてそんなことを言うのだろう?温奈は荼蘼のことについて詳しくないから、夏朦に聞きたいが、何回か呼んだけど夏朦に反応はなかった。彼女は多分他のことを考えているのだろうと、それ以上邪魔しようとしなかった。
後で自分で調べればいいでしょ。これを機に荼蘼という植物について詳しく知りたいと、温奈はそう思っていた。
帰り道の途中で、夏朦はまたいつもの哀しい雰囲気になっていた。花を見る余裕もなく、足音すら軽くなった。台車の取っ手に手を乗せていなければ、進むことすら忘れそうだった。
夏朦が迷子になるのを恐れて、温奈は片手で台車を押して、片手で夏朦が台車の取っ手に乗せている手を握った。植木鉢はそれほど重くはなく、片手で台車を押せば十分だった。彼女は夏朦の手を握りしめ、他人にどんな目を向けられるのかも気にしなかった。例え他人の目に彼女たちが友達、恋人、または家族として映っても、彼女が進むことに専念しているうちに、夏朦がその場に留まったせいで消えることを避けるのが、一番重要なのだ。
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