17 表面

 二人が夏おばさんの墓の前にやって来た時、夏おじさんは箒で落ち葉を片付けていた。遠くないところに聳え立つ大樹の下に背の高い人影と小さい人影が見えた。それが夏おじさんの再婚した妻、そして彼女が夏家に連れてきた娘だった。この墓地では普通の墓地のように遺骨を先祖のものと一緒に埋めるのではなく、遺骨を埋めたところに石造りの精巧な墓標を立て、亡くなった者の名前を書いていることにしている。


 言うまでもなくこれも夏おばさんの要望だった。納骨堂の小さいスペースよりも、洋式の墓地で埋葬されたかった。


 夏おじさんは彼女達が来たのを見ると、汗を拭いて彼女達に手を振った。その慈愛に満ちた笑顔でいい父親を演じたいように見えた。

「朦朦の体は良くなったか?」

 温奈は先日この理由で夏おじさんを騙したことを急に思い出して、夏朦が困惑して声を出す前に温奈が先に大分良くなったと返事した。

「朦朦がいつも世話になっていて、本当にすまないね。母さんがこのことを知れば喜ぶはずだ。例え彼女が居なくても朦朦の傍で世話をしてくれる人がいて」夏おじさんは微笑んで墓標を見た。


 夏朦は花束を墓の前に置いて、夏おじさんから受け取った布でしっかり墓標を拭き始めた。一回拭いたら、バケツの水で布を綺麗にして二回目を拭いた。毎回、母親の身を清めているように慎重だった。温奈は軍手をはめて草むしりを手伝った。作業をもっと早く終わらせれば、もっと早く帰れる。さもなくば、彼女は夏朦が暑さにやられて倒れる恐れがあると思っていた。


 同じ場所にいても、夏おじさんと夏朦は殆ど会話しなかった。多分二人は何を話せばいいのかわからなかっただろう。普段は一緒に住んでいなくて、連絡もしていないから、とっくに共通の話題がなくなった。ただ偶に、夏おじさんがこの気まずい雰囲気をどうにかしたいようで、適当に最近店の営業は順調か、何か起きなかったか、まだ植物の世話をしているのかを聞いてきた。二人の関係はまさに常連客以下だった。


「昔、花を育てるのが好きでしょ?今もそうだね?母さんも花が大好きだったよ。特にカーネーションが好きだった」夏おじさんは花束を見て懐かしそうに言った。


 母さんも「花」が大好き?


 温奈は反論したい衝動を我慢し、心の中で嘲笑った。夏朦の本当に好きなものを理解しようとせず、勝手に夏朦も夏おばさんと同じように、見た目が華やかな花だけが好きだと思い込んでいるなんて、彼女にはとんでもない冗談に聞こえてしまった。


 どこが同じなんだ。どんな植物であれ、夏朦は平等に接して、同様に世話をしている。だが夏おばさんは緑の葉っぱしか生えてない植物に全く興味がなかった。夏朦は昔、夏おばさんに百合を捨てられたって言ったことがある。その理由はただ花が散って、鉢に緑の葉っぱしか残ていないからだった。夏朦はそれをこっそり拾い連れて世話をしていた。


 夏朦の血が出そうなくらい赤くなった目を見て、温奈は優しく背中を軽く叩いた。これで少しでも夏朦が我慢している悲しみを和らげると良いと思っていた。夏朦はその動作で彼女を見なかった。自分の感情を制御するので精一杯だから、頭も心も疲れ切って体に他の動きをする指示が出せないぐらいだった。


「泣いちゃだめ、母さんに嫌われるから」


 初めてその理由を聞いた時、温奈はかなり驚いた。彼女は夏朦の生まれつきの哀愁感と敏感な気質を欠点だと思ったことがない。でも夏おばさんはそう思っていなかったようだ。夏朦が幼稚園に通っていた頃、夏おばさんは事あるごとに涙を流す夏朦を大声で叱っていた。最後はその涙すら無視するようになって、自分の子供がいつもこんなにも憂鬱な子という事実を排斥していた。


 夏おばさんは幸福で完璧な家族しか受け入れなかった。優しい旦那さんに、静かで明るい娘。それが夏朦の思い出話を聞いた後、温奈が得た結論だ。


 だから夏朦は母さんの機嫌を取るため、いつも自分の気持ちを隠していて、心を閉ざしていた。悲しい時は両親が見えない場所に隠れてこっそり泣いていた。ただ母さんの「期待通り」の娘になろうとしていた。夏朦が明るく振る舞えば、夏おばさんは母親としてのやさしさを見せ、夏朦とお話をして、彼女を遊びに連れて行き、髪も梳かしてくれた。


 夏朦は母さんに髪を梳かしてもらうのが大好きだった。母さんはいつも彼女の長い髪を誇っていた。時々自慢げに親戚に夏朦は自分の美貌を継いだと言っていた。あの古い写真に写ったように、確かに夏おばさんの若い頃は美しかった。しかし、彼女は娘と同じような純粋な心を持ち合わせていなかった。


 たとえ自分を偽る必要があっても、夏朦は家族の愛を欲していた。彼女は本当の自分を隠して、母さんの好きな娘を演じ、表面的な親の愛情を享受していた。だが実際に本当の彼女は永遠に自分の欲していた愛を得られなかった。彼女は黙って苦しみを耐え、小さな期待を抱いていた。もしかすると待ち続ければ、何時かそれを得られるかもしれないと思っていた。


 彼女の期待とは裏腹に、先に来たのは母親の死とその遺言だった。『自分が居なくなっても、父さんと一緒にこの家を守って、私たちのいい娘で居続けなさい』


 その遺言は解けない呪いとなって夏朦を縛った。彼女は大人しくそれに従っていたが、父さんはもう一人の「真実の愛」と出会って再婚して、彼女のいない新しい家庭を築いた。元の「家庭」はすでに無くなって、父さんが年に一度しか彼女に会いに来なくても、あの新しい家庭に彼女の居場所がなくても、彼女の大事にしている人が誰も彼女の事を気にしていなくても、それでも彼女はただ静かに待っている。


 温奈はそんな夏朦に『あなたがバカだ』って言いたい。夏朦がバカすぎるから、彼女の心が痛む。そして夏朦を愛してしまった自分もバカだ。小さい頃から否定され続けられた環境に生きていて、愛を得られなかったから、次第に夏朦も自分を愛せなくなった。自分も愛せない人には他人を愛する余力がない。これは温奈が長年の片思いを経て学んだことだ。


 それが哀れな現実、残酷な運命だ。でも彼女は気にしない。


 彼女は夏朦にとっての白馬の王子様ではない。夏朦の呪いを解くキスを与えられない。すでに亡くなった者がその心の中に深く根付いたものを消し去ることもできない。でも彼女は偽りのない夏朦を受け入れられて、すべての感情と涙を受け止められる。彼女は自分が夏朦と一緒に終末を迎えられる人という自信がある。


 世界中に彼女達の関係を正しく表現できる言葉はない。でも大丈夫。温奈は彼女達の間はどんな関係よりも深く繋いでいると信じている。


 夏おじさんは手を合わせて暫く静かになった。長く居続ける気はないようで、ハンカチで汗を拭いたら、箒とバケツを片付いて離れようとした。この暑い太陽の元で亡き妻への愛も忍耐力と共に溶かされたと言うべきか、それとも夏おばさんは彼にとってとっくに新しい家族ほど大事でなくなったのか。


「せっかくの機会だし、一緒に食事でもする?お前も久しぶりに母さんと妹と話していないのだろう」夏おじさんは親切に夏朦に聞いた。

 大きな木の方を見ると、「母さん」と「妹」は木陰で必死に扇子を煽てていた。さっきからうんざりしている目で夏おじさんを急かしていた。夏朦も彼女たちの方を一目見て、今にも流されて夏おじさんの言葉に応じようとした時、温奈のほうが先に返事した。自分の行動が無礼であるかも顧みずに、「夏朦はこれからまだ用があるから、邪魔はしないでおく」と直接に言った。


 用がある?夏おじさんがよく使う言い訳じゃないか?これは彼の専売特許ではなく、彼女も同様なあやふやな言い訳で断ることができる。それにさっき夏おじさんは「母さん」と「妹」と言った。夏朦の実の母親の墓の前で自分の再婚相手を母さんと呼ぶとは、夏おばさんがそれを聞いたらどう思うかを知りたい。


 夏おばさんにとっての完璧な「家」はとっく無くなった。ただ本当は夏おばさんがこの世を去ったその瞬間から、自分の旦那と娘を縛る力が無くなったのだ。自分の旦那が他人の旦那になって、自分の娘も法律上、他人の娘になった。


 夏朦は訝しそうに彼女を見た。なぜ彼女が断ったのかわからなかったようだ。夏おじさんも引き止めをせず、ただ身体を大事にと言ってあっさり振り向いて離れた。「母さん」と「妹」は車に戻るのを待ちきれず、彼女たちに頷いて別れの挨拶する基本的な礼儀すら省いた。


 夏おじさん一家の背中を暫く見つめて、夏朦は急に我に返ったように温奈を見た。

「ごめん。あなたがあまり行きたくないように見えたので」と温奈は謝った。しかし、彼女は内心全く申し訳なく感じていなかった。彼女はそれがこれ以上ないほど正しい選択と思っていた。

「うん……父さんたちも私が邪魔するのを望んでいないでしょう」夏朦は目を細めて、声が落ち込んでいるように聞こえた。夏朦が食事に行けないことに落ち込んでいたのか、それともあまりにあっさり振り向いた夏おじさんに落ち込んでいるのかはわからなかった。

「もう帰るか?もうすぐ正午だし、これから気温がもっと高くなるよ」

「奈奈、もう少し付き合ってくれる?もっと母さんとお話がしたい」


 温奈は頷いた後、数歩下がって、夏朦と夏おばさんに二人きりの空間を作った。今になって、夏朦が夏おばさんに何を言おうとするのか?温奈はそれが気になっていた。またもし本当に人が死んだら幽霊になるのなら、今の夏おばさんも墓の前で、自分の望み通りに一滴の涙も出さずに自分を弔っている自分のいい娘を見ているのか?それも気になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る