18 太陽

 温奈は夏朦が新しい「母さん」と「妹」を嫌ってないことを知っている。もし嫌いだったら、彼女達の写真をアルバムに入れないだろう。彼女の推測によると、実の母親を失った痛みと、本来二度と得られない母の愛を新しい「母さん」に移したのかもしれない。夏朦は父親の再婚を反対していないどころか、自分から彼女達に歩み寄った。しかし、向こうは新しい家族とやらを受け入れたくないようだった。それが新しい娘でも姉でもそうだった。


「彼女たちはそのまま行ったな。挨拶すらしていない」


 夏朦が何も言わないのを見ると、温奈は思わず夏朦の代わりに怒っていた。どうして夏朦の「家族」は皆家族らしくないのか。夏朦が必要なのは、ただ彼らの少しだけの関心、少し大事にされること、少しの愛、少しの「本当」の愛だけだ。それは難しい話じゃないはずだが、あの人達は温奈が何の価値も感じないそんな少しの感情すら与えてくれない。


「今日暑かったからでしょう。天気が暑いと人はイライラになるから」夏朦は小声で答えた。


 彼女の心が痛み、夏朦の少し日焼けした肌を見て、急いで傘で太陽光を遮って、夏朦を再び彼女の守れる範囲内に入れた。彼女は上を向いて熱々の太陽を見た。日焼け止めを塗っていなかったから、さっき除草していた時に太陽光が肌に当てて、肌がヒリヒリしていた。彼女自身が痛む分には問題はないが、もし夏朦が日焼けしたら、彼女は理不尽に太陽を恨むだろう。


 本当、高温は人を苛つかせる。


 熱波が襲ってきて、景色が少し融けたように見えて、色さえぼやけていた。周辺が墓標ばっかりの墓地を見渡し、その雰囲気はまるで彼女が埋めた子供が次の瞬間にもどこから出てきそうだった。腕に鳥肌が立った。彼女は一刻も早く夏朦をこの死の気配に満ちた場所から連れ出したかった。一秒でも長くそこにいれば、誤ってあの世の入り口に入り込み、あの世の住人になりそうな感じだった。


 汗がすっかりシャツを濡らしてしまい、シャツが背筋にこびりつく感触は不愉快だった。墓地から出て、彼女は夏朦を連れて大樹の下で暫しの休憩を取ることにした。枸杞茶を入れた水筒を夏朦に渡し、夏朦は頭を上げてそれを飲んだ。温奈はその液体が夏朦の喉を通るのを見て、そして視線を上に移し、彼女の顎のラインを楽しんだ。彼女は夏朦の一挙手一投足を観察することが好きで、その映像をすべて夏朦図鑑に収録した。夏朦が汗だくの姿はめったに見ることができない。鎖骨付近の肌にすらキラキラした汗が見えて、それが地球の引力に引っ張られて、緩やかに流れた。


 普段であれば、彼女はハンカチを取り出して夏朦の汗を拭いたんだろう。しかし、天気が暑すぎたせいか、こんな夏朦から普段とは違う魅力を感じた。全部太陽のせいだ、太陽のせいで彼女は彼女の女神に対して邪念を抱いた。太陽のせいで、優しい彼女をも暫く一緒に融かした。


 唇が水分で少し濡れている夏朦は小声で息を切らしていた。運動する習慣がない夏朦にとっては、お墓参りする度に通るこの道は険しかった。しかし、この道を歩かずにはいられないのだ。誰かが言っていたように、葬式や命日は亡くなった者のために行うものではなく、残された者のために行うものだ。これは残された者に大切な人を失ったという事実を受け入れさせるためかもしれない。そうすればただ鮮血の滴る心臓の傷口をじっと見つめてどうすればいいのかわからずに済む。


 毎年こんな風に歩いていれば、いつか傷口は奇跡的に回復するかもしれないよね。

 あっ、また妄想に憑りつかれた。温奈はまたこれをあっさりと太陽のせいにした。


 まだ蓋をしていない水筒を受け取り、彼女の唇は同じ箇所に覆い被せて、いい香りの漂う茶に喉を潤わせた。彼女の小さな仕草はまるで初恋をした中学生のようだ。ただこのように曖昧な小細工でしか自分の渇望を満たし、その甘美を一人で堪能することができなかった。


 夏朦はそんな彼女の気持ちに気づくことなく、彼女達に涼しい木陰を提供した大樹を仰いだ。偶に吹いてきた熱風は葉っぱを揺らし、木漏れ日はそれと共に揺らぎ、たまたま夏朦が立っているところに差し込んだ。


 まだら模様の光が上を向いていた夏朦を照らした。その瞬間、温奈はまるでその純白な姿に翼でも生えたかのように見えた。光と同じような純潔、聖潔があって、今にも羽ばたいて光に向かって飛び去ろうとした。彼女は無意識に夏朦の手首を掴み、太陽の光から引き離し、彼女のいる木陰に戻した。


 温奈は怖かった。さっきの夏朦はまるで彼女から離れるように見えた。彼女は指の腹でその細い腕をこすった。すでに傷痕が見えないが、それでもその傷痕がもたらした恐怖は消えることがない。


「本当に女神になって飛び去ろうとしないで?」彼女は呟いた。

「たとえ運命の女神が勝手に私の終止符を打とうとしても、最後まで抵抗するよ」夏朦は彼女の言葉が冗談だと思って、軽口で答えた。やっとその声から儚さがなくなった。

 さっきの枸杞茶が暑さを払いのけてくれたのか、それとも大樹がもたらした光点がその哀愁をしばらく忘れさせたのか、夏朦はようやく口角を上げた。


「抵抗に成功した最初の勇者にでもなりたいのか?」

「なりたいよ」


 夏朦の微笑みと共に、涙が零れ落ちた。多分気が抜いたせいで、長らく我慢してきた感情が反動で湧き出ていた。温奈は声をかけなかった。そのまま透明の涙に夏朦の色を洗わせた。ここはもう夏おばさんが掌握する範囲じゃないから、夏朦が泣きたいのならば、彼女は永遠に付き合うつもりだ。


 *


 帰り道の途中、疲弊した夏朦は首を傾げて眠りに落ちた。車内のエアコンにより、二人を包む熱気はようやく少し散らせて、気分もかなり落ち着いた。温奈は助手席の小さいサンバイザーを下し、それで夏朦にゆっくり眠らせたかった。クラシックのラジオをつけて、ちょうど耳に心地の良いカノンが放送されていた。彼女はCDを入れずに、そのまま悠揚な鍵音を夏朦の子守歌にした。


 赤信号のうちに、彼女はコーヒーの最後の一口を飲み干した。昼間の太陽を浴びた上、坂道にも登り除草などの運動もして、さすがの彼女も疲れを感じてきた。頭を覚ませるポップ曲でやっと眠れた夏朦を起こすのも忍びないので、仕方なく一番近いゲートに寄ってインターチェンジに降りて、コンビニで更なるカフェインを補充して、これからの道を乗り切ろうとした。


 人気のない町に入って、かなり探してやっと一軒のコンビニが見えて、それはまるでオアシスのように古い家屋の群れの中で佇んでいた。彼女は夏朦を一目見て、その規則的な呼吸を邪魔したくはないが、それでも手を伸ばして夏朦の肩を揺らした。瞼が動き、眠っていた者の意識が徐々に呼び戻された。夏朦は完全目を開かずに、一言だけで温奈の呼びかけに答えた。小さくあくびをして、疲弊した顔で彼女に見向いた。


「もう着いたの?」

「まだだよ。ちょっとコーヒーを買ってくるから、何か買いたいものある?ついでに買ってくるから」

「ない」夏朦は首を振った

「なら扉の鍵はちゃんと閉めてね」彼女を注意してから安心して車から降りた。


 寝起きの夏朦はいつも可愛い、急に子供っぽくなるから。


 温奈は財布と携帯しか持ってなくて、車の扉を開くとまたすぐにそのべったりした空気を感じて、まるで見えない膜に肌を包まれたような感じだった。彼女は速足で横断歩道を渡って、一番早い速度でコンビニに入り、再び科学がもたらした涼しさを感じた。


 彼女はドリンク棚からコーヒーを見つけた、普段はあんまり缶コーヒーを飲まないから、メーカーに特に拘ってなかった。適当に有名なメーカーをの製品を取って、コーヒーの種類は当然エスプレッソを選んだ。今は少しの糖分を取っても眠りたくなるから、純粋なカフェインだけが一番効いているのだ。


 ついでにポカリスエットを一本取って会計に行った。店員は冷房の効いている室内にいるとは言え、元気のない姿をしていた。無気力な手で商品を手に取りバーコードをスキャンして、だるそうな声で合計価格を述べた。電子モニターが値段を表示していなければ、その聞き取れない声から出すべき金額を判別できなかったに違いない。


 自動ドアを出て、彼女は隣の植物に目を引かれた。巨大な白い花がしょんぼりしていて、その姿はまるで小さいスカート何着が木に掛けているようだ。彼女は先ほどそれに気づかなかったことに困惑し、そして夏朦と少し似ている白に惹かれ、その花のほうに近付いた。彼女はこの花を知っている。記憶違いでないなら確かマンダラゲのはずだ。


 まるで今日夏朦が着ているロングスカートのようだ。彼女は思わず笑顔で思った。


 彼女は携帯を取り出し、カメラをマンダラゲに合わせて、モニターをタップしピントを合わせて、色んな角度から何枚も写真を撮った。あとで小さなサプライズとして夏朦に見せるつもりだった。夏朦もきっとこの特別な花を気に入るはずだ。


 数分しか経ってないのに、また汗が流れ落ちた。彼女は手で携帯の上に日の光を遮って、一番早い速度で写真が上手く撮れたのかを確認した。写真は綺麗に撮れている。彼女はその星型の花びらと蕊を撮るためにしゃがんでまで下から撮っていた。


 温奈は自分の成果に満足し、携帯を仕舞おうとした瞬間、突然携帯からバイブレーションが鳴った。着信名は夏朦の名前を表示していたので、彼女は少し困惑して遠くないところに止めたハマーの方向を見た。


 車内にいる者の姿はよく見えなかったが、多分夏朦が何か買いたいだろうと思って、通話ボタンをスライドして電話に出た。

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