26 反動

 その日は皆が植物の話題で盛り上がっていて、あっという間に窓の外はもう夜色のベールに包まれたから、客全員は晩飯を食べてから店を離れた。でも晩飯というのもちょっとおかしいかもしれない。彼女たちの店は普段朝食しか売っていないから、サンドイッチ、ダンピンと大根もちで皆の腹を満たすしかなかった。鳩おじさんは当然大根もちを食べていた。彼は笑いながら今朝ちょうど温奈が作る大根もちを思い出したって言った。


 温奈は愛玉子入り冬瓜茶を食後のデザートとして皆に振舞った。人数分の愛玉子を用意しても一人分余った。でも余ってよかった。もし余らなかったら彼女は悩むのだろう。


「奈奈!今後も愛玉子入り冬瓜茶をメニューに入れよう!きっと売れるぞ」鳩おじさんは彼女にそう言った。それを聞いて他の客も便乗した。彼女は笑って考えてみると答えた。


 温奈は夏朦がキッチンに戻っている内に、わざわざ取っておいた一人分の愛玉子入り冬瓜茶を夏朦に渡した。夏朦は嬉しそうに受け取り、店の隅っこに置いてある小さなベンチを取ってキッチンの中に座った。彼女たちは店が営業中で忙しい時、こうして順番に隠れて何かを食べて腹を満たす。夏朦はスプーンで一口を掬って口に入れて、微笑んで温奈に美味しいって言った。その後、夏朦は自分が持っているのが最後の一人分の愛玉子入り冬瓜茶だと気付いた。


「奈奈は食べないの?」

「あなたが食べて、元々あなたのために作ったから」


 夏朦がそれを聞くと、考えずに一口を掬ってから、手を伸ばして温奈のほうに差し上げた。夏朦のどうしても共有するという表情を見て、腰を曲げて顔を俯けてその一口の愛玉子を食べた。冬瓜の香りは口の中に散り、冷たい愛玉子は口に入れた瞬間にほとんどとろけて、爽やかで冷たい。彼女はさっきの鳩おじさんの提案を真剣に考えた。夏は愛玉子を売っても良いかもしれない。かき氷とかも良いアイデアかもね。


 温奈は夏朦の無意識な動きはまるで恋人のように親しいことに気付いた。それに加えて、店内からはキッチンに隠れた夏朦が見えないから、彼女たちはまるで先生に隠れてこっそり恋愛している学生のようだ。


 一枚の葉っぱがひらりと落ちて、明鏡止水のような温奈の心に浮かんでいて、幾重のさざ波を起こした。温奈は夏朦の好きにした。夏朦の自分に一口、そして彼女に一口の動きに、温奈はこの得難い甘さを密かに享受していた。


 *


 翌日、タンポポの蕾は順調に咲いた。何層もの黄色い花びらが可愛い円を成して、まるで太陽のように眩しい。夏朦がそれを見るとにっこりして、まるで全身が光っているようで、一挙手一投足にその興奮が見える。朝食を食べに来た鳩おじさんも何かいいことでもあったかって聞いてきた。


 夏朦はタンポポの鉢を一番目立つ場所に置いて、店に入ってきた客の皆がその黄色い花が見えるようにした。可愛くて小さい花が客に褒められると、夏朦も自分が褒められるように喜んだ。


「そんなに嬉しいんだ」温奈は異常に興奮している夏朦を見て、思わず手を伸ばしてその頭を撫でて、笑ってこの珍しい姿をよく見ていた。

「タンポポが嬉しいからだ。タンポポが嬉しいなら私も嬉しい」

「あなたが嬉しいなら、私も嬉しいよ」

「タンポポはすごいんだね。喜びを私に伝えて、そしてあなたに伝えて、それからお客の皆に伝えて、皆嬉しくなるね」


 温奈はその鮮やかな黄色がもう少し長く夏朦の身に止まると思ったが、このタンポポの開花期間は一日だけだった。翌日にその黄色い花は元気なさそうに垂れていて、土の上には枯れて皴になった花びらが落ちている。


 夏朦の気持ちもその影響を受けた。夏朦は声を出さずに涙を流し、落ちた花びらを一枚一枚拾い、空の植木鉢に埋めた。そして、ぶつぶつとタンポポに自分の枯れる姿を見せたくないと言った。


 一日中、夏朦は客のいない時間に悲しそうにタンポポを見つめていて、花びらを拾い、それを土に埋める行動を繰り返した。喋った回数はこの上なく少なくて、ボーッとするその姿を見て、常連客たちも思わず気にかけた。飲み物を作る時も、料理を出す時もミスはなかったが、夏朦の涙は前触れなく落ちていて、声一つ出さずに泣いていた。温奈が振り向いて夏朦を見る度、夏朦はいつも泣いていたようだった。その涙はどんなに拭いても止まらなかった。


 温奈はそれがタンポポが一日だけで枯れたせいで起きた感情の起伏だと思っていたが、その後温奈は夏朦の様子がおかしいと気付いた。その悲しさはいつもより深刻になっている。夏朦は声を出さなかったが、まるで心を引き裂かれたように泣いていた。


 夏朦の虚ろの目に漂っている砕いた絶望が見えて、温奈はやっとわかった。反動が来たのだ。


 枯れた花びらをきっかけに、一時心に潜めた罪悪感を引き出した。その手で命を奪い、命で命を交換した禁断の黒魔法は悪魔となって逆襲し、夏朦の心身を貪っている。その子供を死なせた罪悪感も一緒に、二人の命と救えなかった黒い子猫の命の重さは、一瞬で繊細で脆弱な夏朦の心を押しつぶした。


 確かに夏朦は子犬を救えたが、その満足感と喜びは長く続かなかった。麻薬を使うように、極端な快楽の後に来たのが、極端の苦しみだ。


 温奈はさっき医者からの電話を受けたことを思い出した。医者は子犬の回復は早く、あと数日で退院できると言った。多分夏朦が電話に出られなかったから、緊急連絡先のほうに連絡したのだろう。その時、温奈はひらめいた。夏朦を連れて子犬のお見舞いに行けば、子犬の元気の姿を見た夏朦は元気になれるかもしれない。温奈は夏朦にそう提案し、子犬を引き取ってもいいとも言った。


 しかし、温奈の提案を聞くと、夏朦は激しく首を振って、その声が涙と一緒に出た。「小黄が私たちと一緒にいると幸せにならない。私たちは小黄の家族になっちゃいけない。そうしたら小黄は可哀そうすぎる」


 温奈は慌てて相手を抱きしめてなだめた。抱擁を通して悲痛で止まらない震えを落ち着かせようとした。温奈は優しい声で子犬にいい飼い主を見つけると夏朦と約束した。その人はきっと子犬をすごくすごく愛してくれる飼い主と言ってから、夏朦はやっと少しずつ冷静になった。


 まだ閉店時間にはなっていないが、温奈は先に夏朦を二階の部屋に連れて休ませた。一階に戻って最後の客たちを送ってから、早めにシャッターを下して閉店した。温奈はここまで状況が悪い夏朦を見たことがない。不幸、それは温奈が自分に付けたことのない言葉だ。温奈が両親を失っても、夏朦が自分を愛していない母親を失っても、彼女は自分たちが不幸だと思わなかった。


 毎日夏朦に会えることは温奈を自分が世界で一番幸せな人だと思わせた。温奈はずっと自分が不幸とは程遠いと思っていた。


 温奈が死体を埋めて、共犯になった。人間の倫理と道徳を捨て深海魚になっても、自分が不幸だと思わない。だが別の方向で考えると、彼女たちが犯した罪は依然として露見するリスクを秘めている。飼い主が人殺しで、いつの日に捕まえられる可能性がある人だとしたら、子犬にとってその家はそれほど理想的な家ではないかもしれない。


 温奈はため息をして少し落ち込んだ。その理由は夏朦が泣き続けることではなく、自分が夏朦に十分な安心感を与えられないことだ。温奈は自分の女神から生を受けたが、女神が急速に地獄に落ちていく。自分は女神の両手を強く握っていても、その両手は涙によって色が褪せていき、温奈の手の中から消えそうなぐらい透明になっている。


 夏朦が落ち着いて療養できるために、温奈は暫く店を休むかどうかを真剣に考えた。しかし、突然休店すると疑いを招くかもしれない。昨日もまた児童の失踪事件が起きたわけだし、町をパトロールする警察はさらに増えている。小さな動きでも注意を引きかねない。温奈は夏朦のためにすべての危険を防がなければならない。幸い今のどころ、ネットではあの若い者関連ニュースがなく、漁船が名もない死体を引き上げた話もない。


 タンポポの鉢のそばに歩いて、温奈は落ちた花びらを拾って、夏朦の代わりに空の鉢に埋めた。


 また子供が失踪した。これで何人目なのか。温奈は思わずそれについて考えて、内心はその誘拐犯にムカついた。温奈はその犯人に感謝するべきだが、今の温奈が感じているのは怒りしかない。その誘拐犯は彼女たちと違って、仕方なく犯行を及んだわけではない。奴は犯罪を娯楽として、他人の苦痛を楽しんでいる。あの忌々しい運命の女神と一緒だ。


 もし子供たちはすでに全員死亡していたら、その誘拐犯はどれだけの家庭を壊したのか?その悪意はどれだけの、夏朦が渇望するが、永遠に手に入れない家庭を壊したのか?

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