37 犯人

 元々温奈は徐々に回復していた夏朦に喜んでいたが、夏おじさんが投げつけてきた問題のせいで、夏朦はまた憂鬱になっている。一時でも暇になれば、その綺麗な眉間にシワを寄せていて、苦慮しているのが見える。


 温奈は夏朦がしっかり考えてから結論を出してほしいけど、この難問は明らかに彼女にとっての毒になっている。罪悪感のように心を蝕むことはないが、同じようにすべての思考と時間を占めている。夏朦を見逃すつもりが全くない。


 この問題には二つの選択肢しかない。ついて行くか行かないか。どっちを選んでも、今後の生活に影響が出る。これは人生の中で一二を争う重大な選択と言っても過言ではない。別に選択したら後戻りができないわけではないが、ただ当事者にとって、その一歩一歩には相当な覚悟がいる。人は皆大人になれば自分の選択と行いに責任を持つことを学ばなければならない。


 温奈と夏朦も例外ではない。


 温奈が死体を見た時にした選択と同じように、温奈は覚悟という言葉の重さ十分わかっている。例え未来に何が起きても後悔はしない。一生この決断を死ぬまで背負い続ける。


 夏朦の目の下にわかりやすいクマができている。それは夜と一晩を共に過ごした証だ。静かな夜は一見無害のように見えるけど、眠れない人の身体に跡を残して、自分の戦利品としてマークする。温奈は親指でそのクマを拭きたくて、彼女の女神に手を出すなと夜に警告したいが、温奈にはそれと対抗する力がない。その繊細な肌にある突出した色を心配そうに見つめるしかできなかった。


 三食の時間と飢えの感覚も悩みに奪われた。夏朦が無気力にじょうろを持って植物の水やりをしているのを見た。夏朦は集中力を欠いているせいで、偶にうっかりやりすぎている。恐らく夏朦は植物の叫びが聞こえてから、自分のミスに気付いたのかもしれない。慌ててじょうろを持ち直し、植物に謝りながらその危うく水没した惨状を挽回していた。


 前回、温奈は色んな方法を試して夏朦に元気付けようとした。そばで共に辛い時間を過ごして、いつでも夏朦の涙を拭いてあげた。しかし、今回の温奈は待つことしかできなくて、歓心を買うような小細工で夏朦の思考の邪魔をしてはいけない。温奈は夏朦に付きそうことができて、美味しい料理を一杯用意することもできる。でも今回は違う。悲しみは付きそうことで癒すことができるが、悩みの場合、温奈の手出しする余地はない。


 温奈は夏朦の代りに選びたかった。強気に夏朦にもう考える必要がないと、そしてこれからは自分のそばにいればいいと直接言いたかった。夏おじさんとその家族を忘れて、夏朦が何か欲しいなら、温奈が何とか用意してあげる。


 だけどそれは駄目だ。温奈にはそれができないし、そうする資格もない。


 温奈には生まれた時から温奈と夏朦を強く繋ぐ血縁関係がないし、二人は甘い約束をした恋人同士でもない。温奈はただの友達だ。例えその友情が四年も、六年も、十年も続いても、二人もあくまで友達だ。何の保証もなく、振り向けば容易く断たれる関係だ。


 今の温奈が握っているチップは「共犯者」という身分しかない。温奈はずるい人になりたかった。その身分を理由に彼女の女神をここに残ってくれと願いたかった。しかし、温奈はそれができない。もし本当にそうしたら、夏朦はきっと断れないとわかっている。でもその後、彼女たちの間に見えない壁ができてしまうのもわかっている。


 温奈はただの卑屈な追従者だ。偶に現実離れした白昼夢を見るが、そのまま心の奥底にある欲望を暴走させるなんてできるわけがない。


 確かに温奈が共犯になった時は味を占めた。夏朦に過剰なまでに温奈を依存させることができると気付いた。彼女たちの間の距離は今までで一番近い距離になっている。互いの秘密を共有し、傷口を舐めあっている。しかし、今の温奈は少しずつ自分の最大の願いがとても純粋なものだと気付き始めた。それが夏朦を守りたいことであって、ただそれだけだ。


 視線を夏朦から外したくない。でも毎朝にやるべきことがある。温奈は携帯を起動してニュースと読もうとした。サイトを開く前に、鳩おじさんが遠くから大急ぎで店に歩いてきたのを見た。店の扉を開くと待ち遠しいように大声で彼女たちに「犯人が捕まったぞ!」と言った。


 心がドキッとして、温奈は俯いてニュースサイトのトップニュースを見た。やはりそこには『十六名の児童を誘拐した犯人が遂に捕まった』というどでかいタイトルが目に入ってきた。


「なんて憎たらしい犯人め!子供たちを全員殺して、豪邸の地下室に埋めた。彼女に子供がないから、他人の子供を拉致って自分の子供のとして育てた。大人しく言うことを聞かないとそのまま殺して、また次のターゲットを探しに行った。心も涙もない女め、それでも人間か?なんてムカつく!これは絶対に死刑だ。人が一度だけしか死ねないのでなければ、十六回も殺してやりたいよ!あの子供たちの未来は全部彼女の手に葬られていたんだ!」


 興奮した鳩おじさんはそう話した後、ようやく止まって息を整えた。夏朦の表情を見てから慌てて夏朦を宥めようとした。「あっ、朦朦、君を驚かせるつもりはなかったのだ。ただ今の社会は本当に恐ろしいんだ。身近に殺人犯が潜んでいてもわからない。幸い政府は警察の警備を強化して、子供を誘拐しようとした犯人を捕まえることができて、十七件目の悲劇の発生を未然に防いだ。誘拐犯は児童心理カウンセラーのようで、子供の心理をよく理解している。どうすれば一人になった子供に近付け、警戒心を緩ませるのかを知っているのだ。なんて恐ろしい!」


 では土に埋めたあの子は?バレていないよな?夏朦は心配そうに考えている。


 温奈は一番早い速度で夏朦の隣まで行って、震えているその体を腕の中に抱いて、鳩おじさんに申し訳ない表情をして「ごめんなさい、夏朦はこういうことに敏感なんだ。少し待ってくれないか?」と言った。

「ゆっくりしてってくれ、今日は早めに出かけたから、急いでないんだ。ごめんな朦朦、本当にわざと怖がらせるつもりはなかったんだ」


 鳩おじさんはまるで悪いことをしたようにいつもの席に恐る恐ると座った。両手もどこに置けばいいのかわからず、携帯を出したりまた置いたりした。彼女たちを一目見て、また携帯を取って適当に弄っていた。


 来るべきことは結局来ていた。犯人が見つかったということは、警察がその中のある子供は、その犯人に誘拐して殺害したのではないと気付く可能性があることだ。そうなると、きっと全力であの子の行方を捜索する。生死はどうであれ、その家族に説明をしなければならない。


 温奈は牢に入れられることは怖くないし、死刑も恐れていない。大局的に見ると、夏朦が夏おじさん一家と一緒に海外に逃亡するのが一番正しい選択だ。温奈も自首を考えたことがない訳ではない。ただ自首は最初から、彼女たちにとって一番いい選択ではなかった。刑罰も、世論も、別れも、温奈は夏朦に一人背負わせることはできない。すべては事故だったのに、なぜ彼女たちが苦しみを背負わなければならない?


 温奈は片手で夏朦を抱えて、片手で夏朦の部屋の扉を開き、夏朦をベッドに座らせた。脊椎が触れる背中を撫でて、手を伸ばして枕元に置いたティッシュを取り、軽くタッチすることで止まらない涙を吸収させた。


「奈奈……」鼻声で呼ばれた。夏朦が声を出して泣いている訳ではないのに、その声を聴くだけで、温奈の心はまるで刃物に切られたように痛い。

「大丈夫だ。何があってもあなたのそばにいるから」


 温奈は夏朦が自分に向かって何を言いたいのかわからないが、その言葉をちゃんと彼女の女神に伝えなければならない。今の彼女たちは危険な状況下にあるから、用心しないといけない。それに一番大事なのは、どちらかが恐怖に押しつぶされないようにすること。


「私たちはひどいことをしたから、罰を受けるべきじゃないのかな?」

「あなたは間違っていない、間違ってなんかいない。あれは全部ただの事故だ。あなたがいなければ、小艾はこんなに元気にならなかった。こんなに幸せに生きることはなかった」

「でも……」


 夏朦は何か言いたそうにして、涙目で顔を上げて温奈を見つめた。温奈は再び罪悪感がその透き通った目を汚したのを見た。悪魔は再び現れて、刀を研いで彼女の最愛の人を切り刻もうと準備をしている。


「心配しなくていいよ。ちゃんと処理できたから、気付かれることはない。私たちはすでに運命の女神の掌から逃れた。私たちの楽章は自分たちで書き上げる。彼女の言う通りに事が起きないよ」

「でも奈奈、本当にこれでいいの?私は今でも自分の両手が血塗れになっている夢を見る。あの子供とあの酔っ払った人も全身血まみれで、暗闇の中で私を睨んでいる。彼らは私のせいで命を失った。私だけが勝手に幸せになって本当に大丈夫なの?」


 温奈は少し屈んで、同じ高さで視線を夏朦に合わせてから、その芸術品のように白くて繊細な顔を持ち上げた。夏朦はそれを拒まなかった。無力で脆弱な心身は悲しみと罪悪感に包まれて、それらが思考に、血液に、細胞に染み込んでいるから、夏朦はもはや力が出せない。


「彼らのしたことを思い出して。もしあのまま彼らを野放しにして、彼らが罪なき小さな命を傷つけ続けるのなら、今後どれだけの命はその犠牲になる?彼らは悪意を持って、自分の意思で行動していた。子猫と子犬はそのせいで死ぬとわかっていたのに、それを何とも思っていなかった。それらと比べて、どっちの罪が重いのか?」


 温奈の言葉を聞いて、夏朦は迷っている。温奈は夏朦の頬の涙を拭き、部屋で休ませて、一人だけ一階に降りて仕事に戻った。さっき部屋を離れる前に、温奈はこっそり筆立てに入れていたハサミとカッターを持ち出した。夏朦と交わした約束を信じないわけではないが、それでも温奈は怖かった。


 カッターとハサミには手に残っている透明の涙がついた。その涙は物に影響がない。人間である温奈だけが、その涙の中の悲しみを感じ取れる。そして、その透明の悲しみはゆっくりと温奈の皮膚に吸収されていく。その涙が悲しみに満ちているとわかっても、温奈には夏朦がどれぐらい苦しんでいるのかを本当に理解することができない。多分その百分の一すらも感じ取れていない。


 温奈はさっきの会話の内容を思い出した。口にしなかった言葉がある。


 命の価値は同等であるべきだ。種族や貴賤などは関係ない。これが温奈がそれらの小さな命に対する考えである。

 だが同時に、その言葉もあの二人に適用することもできる。でもそれを口にすると、夏朦は再び罪悪感に押しつぶされる。


 温奈は彼女たちのやったことが罪だと受け入れないのではなく、彼女たちは確かに罪を犯した。だがそれがどうした?人間はみんな自己中で、自分のこと及び自分の愛する者のことだけを考えているものだ。温奈はただ人間の本能のままに行動しているだけだ。

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