07 事故
それは水たまりに横になって倒れている子供の姿であり、開いた子供用の傘はそばに転がっていた。その近くにもう一つの小さな黒い影が倒れていた。その全身が濡れていたが、黒い子猫だということが分かった。
重い雨が彼らの体の上に落ちたが、何も反応しなかった。溜まった雨水でその周囲は水に包まれ、彼らは泥の匂いがした『海底』にゆっくりと沈んでいった。一人と一匹は意識を失ったまま、音もせず倒れていた。雨が強くても、視界がぼやけても、何かがおかしいとはわかった。水たまりには泥が混ざっているだけではなく、流れる血で赤くなっていた。
刺激的な赤はすぐに希釈されている。その血が止まることなく流れていなければ、温奈も事態が予想よりも深刻なことに気づかなかっただろう。
温奈は傘の柄を夏朦の手に持たせたいが、夏朦はまるで糸の切れた人形のようにピクリとも動かなかったので、傘をそばに置いた。温奈は子供と子猫を抱きかかえた後、かろうじてあけた片手で夏朦を引っ張って店に戻った。店に入ると子供と子猫を二台のテーブルに乗せて、後で怪我の状況を確認できるようにした。
温奈はずぶ濡れの夏朦にシャワーを浴びせようとしたが、今の彼女は何も反応がなかったので、一旦椅子に座らせて、バスタオル、ブランケット、薬箱を取りに最速で二階に上がった。
小さな子供と最愛の人を見て、一瞬どちらを優先するか迷った。内心は夏朦の体を早く拭いてあげたかったが、子供は怪我をしている上、免疫力も低いので、先にバスタオルでずぶ濡れの子供をくるんだ。
傷口から流れた鮮血は白いテーブルからゆっくりと滴たり落ちた。温奈は髪で覆った傷口を見ようとしたが、子供の容態が良くないことに気づいた。さっき抱きかかえて店に入ったとき、小さな体は布人形のように柔らかく、冷たい雨で濡れていたとはいえ、あまりにも冷たすぎた。
温奈は震えながら手を伸ばして子供の呼吸を確認したが、それを感じられなかった。耳を胸元に近づけてみたが規則正しい心音が聞こえなかった。そばにいる黒い子猫は呼吸が弱々しかった。温奈が助ける方法を考えていると、小さな体は耐えきれず、最後の一息を吐いた。
一体、どうした?
目の前に二つの小さな命が冷たい死体に変わったとき、温奈は全身が濡れていないのに、先ほど子供と黒猫を触った体の部位が冷たくて震え上がり、驚いた心臓もほとんど躍動が止まっていた。
ショックから何とか我に返って、恐ろしい現実を何とか飲み込んだ温奈は、突然何分間か雨の中に佇んでいた夏朦のことを思い出して、慌てて別のバスタオルを手に取り、その震える体をしっかりと包み込んだ。震えが止まらないので、その上にブランケットをもう一枚巻いた。青白い顔についた髪の毛を痛々しくはらったが、夏朦の目はまだ虚ろで、肌はまるで魂を失ったかのように冷たかった。
「夏朦!」温奈は夏朦の名前を呼んで、きつく抱きしめた。きつく抱きしめないと、迷える魂が彼女の体から抜けそうで怖かったのだ。
「奈……?」
蚊のようにか細い声が聞こえた。温奈の耳がずっと待っていた反応を捉えるや否や、彼女は夏朦から少し離れてしゃがみ込んで、ようやく意識を取り戻した夏朦を見つめた。
「私はここにいる、ずっといるよ」温奈は柔らかい声で言うと、自分の体温を伝えようと、夏朦の手に自分の手を重ねた。
夏朦は呆然と彼女を見ていた。目の焦点が少しずつ合ってきた瞬間、恐怖に支配され、涙がすぐに溜まって溢れ出した。
これまでの静かな涙ではなく、嗚咽が華奢な体と共に温奈の胸にもたれかかった。温奈は驚きながらも、反射的に彼女を抱きつき、その手は夏朦の背中を優しく撫でた。彼女が震えるたびに痛みが心の一番柔らかい部分を襲い、痛くて失神しそうになった。
「奈奈……どうしよう…奈奈……」
温奈の耳元でくすぐるように夏朦が彼女の名前を何度も弱々しく呟いた。
「落ち着いて教えて、何があったの?」
温奈の問いに、夏朦は急に激昂して彼女の胸に顔を埋めて、激しく首を振った。
「わからない……わからないの、子供が子猫をいじめるのを止めようとして……子猫が殺されそうになって……彼は足を滑らせて石にぶつかった」
夏朦は何かを突然思い出したように、温奈の懐から離れた。温奈が夏朦の視界を遮ろうとしたが、遅かった。夏朦はすでにテーブルの上に横たわる子供と子猫に気づいてしまった。
両目の瞳孔を収縮させた夏朦は絶望的に手で顔を覆い、風に吹かれている落ち葉のように頭を振り、断片的な言葉が指先から流れた。
「わざとじゃないの……どうして彼らは……私は子猫を助けたいと思って、その子から枝を取り上取り上げたいだけなのに……なんで……」
温奈は再び押しつぶされそうになった夏朦を抱きしめた。彼女は現在にあったわずかの手がかりから事件の真相を推理し、この悲しい事故がすでにリアルな悲劇になったことが分かった。
たとえ過失致死でも、夏朦の繊細な心が刑罰に耐えられるとは思えなかった。ましてや、自分の手で命を奪ってしまった瞬間から、夏朦は二度と元に戻らないほどの傷を負って、ボロボロになってしまった。
夏朦が心に空いた穴のせいで今まで越えたことのない一線を越えないように、そして、穏やかで健やかで地に足をつけて生きていけるように、温奈は寄り添わなければならなかった。許されざる罪とわかっていても、愛する人のためなら罪人になることも厭わなかった。
温奈はふと、子供たちが次々と行方不明になった事件のことを思い出し、ある考えが頭をよぎった。
彼女は冷静だった。これ以上ないほど冷静だった。
「わざとじゃないことはわかってるよ。心配しないで、私が何とかしてあげるから」温奈はその泣いたせいで赤くなった目を見て、自分がどこにも行かないと言って夏朦を落ち着かせると、夏朦がうなずいて彼女の服を掴んだ手を離した。
素早くスイッチに向かい、シャッターを閉めると、温奈は子供と子猫の死体をバスタオルで包み、運ぶ最中に誤って転がり落ちないようにテープで止めた。
彼女は頭の中で手早く計画を立てた。スコップと軍手を持って裏口を開け、雨の中を走り、それらを車のトランクに載せて、空きスペースをつくってから死体を取りに戻った。
夏朦は温奈の行動を不安そうに眺め、服のすそを掴んで止めた。
「何をするの?まさか……」夏朦の視線は、温奈の懐にある包まれている死体に注がれた。
「大丈夫だよ。こうするしかないんだ。誰にも知られないよ」
「でも……」
「心配しないで、私が全部やるから」
事態は一刻を争い、夏朦を説得する時間はあまりなかった。幸い夏朦はまだ混乱状態にあり、温奈を止める力がなかった。温奈が死体を抱えて再び雨の中に突入していくのをじっと見ていた。
温奈は夏朦の体を温めて風邪をひかないように、彼女を家に置いていこうと思ったが、彼女がすそにしがみついて離れなかったので、「一緒に行くの?」と訊いた。
夏朦が黙ってうなずくのを確認すると、温奈はコートを取って彼女の頭からかぶり、彼女を抱えて車まで走って行った。助手席のドアを手早く開け、彼女を車に乗せた。濡れた服はまだ乾いていないうちに、また水をいっぱい吸収して体にまとわりつき、車のシートやフロアマット濡らしただけでなく、車内に雨の匂いを充満させた。
緊急事態とはいえ、温奈は冷静さを保って、忘れずに裏口の鍵をかけた。事故現場の前を通りかかると車を一旦停めて、小さな傘と大きな傘を手に取り戻した。水たまりに転がっている枝に気づいた彼女は、それがあの子供が子猫をいじめた時に使った武器だったかもしれないと思い、それを拾って小さな傘に入れて、車内に持ち帰ることにした。
濡れた手でそのままハンドルを握った。ワイパーは勢いよく左右に振って、降りしきる雨の中に彼女のために道を案内しようとしたが、雨水を取り除いた後わずか0.01秒もかからず、より激しい土砂降りが視界を塞いだ。温奈は、この雨がまるで無力な彼女たちを中に閉じ込める牢獄であり、本来あるべき明るさを遮り、幸せで平凡な小さな日常を奪ったように感じた。
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