20 青い海
前回の時、ハンドルを握った手は雨のせいで濡れ切っていたが。今回は両手が汗に包まれていた。雨水との違いは、汗が乾いた時でも、そのべたべたの感覚はそのまま皮膚に残り、毛穴を全部塞いでしまうことだ。温奈はGPSカーナビの指示に従って海岸へと向かっていた。当然彼女が目指すのは浅瀬などではない。彼女は死体を捨てるのに適した崖を見つけたい。その下に鋭い岩礁があるのがベストだ。
もしその海にサメやピラニアなどが生息していればもっと良いと彼女は思っていた。
夏朦に死体遺棄の計画について話していなくて、どこへ向かっているのかも教えていない。夏朦は何も聞かなかった。彼女にすべてを任せた。自分自身のことも含めて、彼女なら上手く対処できると信じている。子犬は夏朦の懐で安らかに眠っている。怪我をしたその目の周りは濡れている。それは恐らく、あの若者の拳で殴られた傷だろう。獣医さんがそれを治せるかしら。
昼が過ぎても太陽の勢いは弱まる気配がなかった。海面をキラキラと照らしていて、少し前まで夏朦の肌に付着した汗水と同じに見えた。温奈は助手席のグローブボックスにサングラス二つ入ってることを思い出して、夏朦に探すように頼んだ。案の定、グローブボックスを開いてすぐに二つのメガネ収納ケースが見えた。その一つを開くと、突然夏朦は軽く笑った。
「これってあなたが大学の時に付けてたやつじゃないの?大学二年生の時、夏休みに海に遊びに行った時に」夏朦は温奈に一つのサングラスを手渡した。
温奈はそれを片手で受け取り、少し笑って頷いた。
「似合ってるって言ったら、その後同じのを買って来て私にくれたのよね。てっきりなくしたかと思ったら、こんなところに置いてるか」夏朦は懐かしそうに話しながら、同じようにサングラスをかけた。
温奈は横に一瞥した。レンズを通して映した世界は、夏朦の姿と一緒に半透明の灰色がかかっていた。それでも彼女がかけているサングラスとその白い肌は対照的である。ほとんど顔の半分を隠したレンズが夏朦の顔をより小さくさせたように見えた。サングラスの部分を見つめるより、温奈はその菱形の顔の下半分を注視するのが好きだ。彼女の目に映ったその弧度と形状は完璧に見えた。
「また覚えてるのか」
「奈奈の記憶力は良いけど、私の記憶力もそう悪くない。奈奈に関する事なら忘れはしないよ」
「おばあちゃんになっても忘れないのか?」
「うん、忘れないよ。奈奈は大切な人だから。例えすべてを忘れ去ろうとも、奈奈のことだけは決して忘れてはいけないと自分に言い聞かせるから」
温奈は一瞬泣きたい気分で言葉が淀んだ。言いたい言葉が全部のどに詰まってて出てこなかった。彼女はそのような泣きたくなるような感動的な言葉が聞けるとは思ってもいなかった。温奈は勝手にその言葉を告白の一種と捉えた。夏朦が自分の事を大切な人だと思ってくれたことは、あの言葉よりも固い約束だ。
彼女はその中にお世辞が混ざってるかどうかを疑いもしなかった。夏朦が彼女の機嫌を取る必要はない。彼女はそんな表面上の『家族』ではない。例え夏朦に酷く扱われ、利用されても、彼女は恨み言の一つも言わないだろう。
その時の思い出が一瞬で湧き出てきた。温奈はまるで写真の中の頃の自分に戻ったようだ。あの麦わら帽子を被ってサングラスをかけていた彼女は、歯を見せてカメラを持っていた夏朦に微笑んだ。レンズに反射した夏朦は膝まで届いた白いワンピースを着ていた。垂れていたスカートは風によってひらひらと揺れていた。彼女は写真を撮ってもらった時にずっとこの人がもし自分の花嫁になれたら、きっと白いウェディングドレスに似合っていると妄想していた。
豪華すぎるものは駄目だ。余計なレースや何層ものベールも要らない。簡単でクラシックなデザインのほうが一番夏朦に似合う。トレーンが長すぎて、トレーンベアラーを必要とするスカートは要らないし、体のラインを強調するようなマーメイドラインも駄目だ。過度の装飾は夏朦の純粋さを損なう。足首の見えるミニドレスも似合うはずだ。夏朦がミルクのように滑らかな布でできたドレスを着ている姿はどんな感じだろう。
もし彼女たちが結婚をするならブーケはいらない。本物の花を使った装飾もいらない。その無理矢理切り取られた花たちは夏朦を泣かせてしまうからだ。彼女たちは多分花が一杯のガーデンを式場として選ぶだろう。海外のガーデンならもっといい。賓客は要らないし、双方の親も要らない。彼女たち二人だけでいいんだ。牧師も要らない、その場にあるすべての植物達は彼女達の見届け人になるから。そして夏朦にはその植物達からの祝福を聞こえるだろう。
彼女は淡い色のロングヘアの頭にベールを被る姿を想像した。夏朦は目を閉じて彼女のキスを待ち、彼女はゆっくりとその完全無欠な顔に近付く。二人の息が混ざり合って、呼吸と心拍がその瞬間にリズムが一致する。彼女は少し頭傾け、敬虔なる愛を持って、お互いの距離を縮ませる。その唇がどれほど柔らかくて甘いのか、彼女は夢の中で何度も妄想していた。しかし、例え夢であっても、彼女がそれを勝手に味わうことはしなかった。多分自分自身の無意識の中でそんなずるい行いを拒んでいたのだろう。
そこまで妄想して、彼女は瞬時に我に返った。遠くなっていた意識が徐々に高くなり続けた海抜に戻っていた。もっと急がなきゃ。この暑い天気では、死体の腐敗も早まるはずだ。夏朦にその汚らわしい匂いを嗅いでほしくない。そうなるとまるで道路で嫌な副流煙が夏朦の肺を汚染しているようだ。
カーナビの音声はとっくに止まっていて、ハマーは未だに前へと走っている。温奈はまだ理想な場所を見つけていない。道添に崖があるかどうかをチェックしながら、近くの環境を観察していた。元々はこの近くに誰も住んでいないと思っていた。何せ町も、店も、古い家すらないから。しかし、岩壁のほうを見ると、かなり豪華な別荘が見えてきた。ヨーロッパ風の装飾された梁と柱はかなり目立っていて、木々の間に聳え立っている。海沿いの公道から行くには暫くかかりそうだ。
どうしてあんな場所に住みたがる人がいるのだろう?彼女は疑問に思っていた。
こんなところなんて、死体の遺棄ぐらいしか適していないだろう。強いて言うなら、もう一つのことを加えても良いかもしれないが、それは自殺だ。
温奈が映画でよく見た決戦の地のような崖を見かけた瞬間、彼女はまるで宝でも見つけたように目が光っていた。すぐにハンドルを回して、車を道路から離れて、崖の果てに一番近くて、でも墜落する心配のない安全な位置に止めた。少しでも運ぶ距離を減らしたほうが良い。一番重要なのは速やかに一連の死体遺棄の工作を完成させることだが、崖の果てに近づきすぎるのも駄目だ。不測の事態を避けるためだ。
温奈はハンドブレーキを引いて、後部座席に身を乗り出して道中に買った縄を持ってから、ドアを開けて車を降りた。縄を買うためにも一苦労をした。何度も体に血でも付いていないかをチェックしてから、ずさんな恰好に見えないぐらい身なりを整えてから車を降りた。
本当にすべてのリスクを回避したいなら、誰とも接触するべきではない。事件の前後で行った一挙手一投足が犯罪の証拠になりうるから。しかし、死体を上手く海に沈めるために、縄は必須なアイテムだ。
温奈にはもはや外の暑さを考える余裕はなかった。左右を見て車が来てないことを確認して、ぶらついている通行人もいないのを確認してから、トランクを開けて、夏朦と一緒に死体を運び出して台車に乗せた。トランクに大量の血を残したのは免れなかった。彼女も自分の愛車が短い間に二体もの死体に汚されたことを思って、心が痛んだ。申し訳ないと言うほかに、胸の中で愛車の貢献に感謝していた。
温奈は夏朦に近くで何個か石を持ってくるように言って、自分も何個の重い石を運んで、縄で死体に縛り付けた。縛り付く石は一個だけではなかった。万が一死体が岩礁にぶつかってバラバラになっても、他の部位が海の最深部に行けるように保険をかけた。
両手と両足に石を縛り付き、それと服のポケットにも小さい石を詰めた。それでもまだ心許ないから、追加で何個も石をその頭と背中に縛り付いた。死体は石のせいで更に重くなって、二人は台車を押して崖っぷちまで来ていた。温奈は下を見て、やはりそこには彼女を満足させられる岩礁がある。
いくら地面に立っているとは言え、あと数歩踏み込めばそのまま深海に抱かれる不安は、心をざわめかせていた。脳が本能的に崖から離れるように警告していた。
無風で道添の青い海も穏やかで、眺めてるだけで心が落ち着くのに、下の海は崖の影により暗く、凶暴な獣のように見えた。波打つその光景がまるで早く新鮮な血肉を食らいたいと叫んでいるようだった。同じ青い海でも、こうまで極端に変化する。気を付けないと魑魅魍魎が潜む海域に誘われそうだ。
温奈と夏朦が協力して死体を台車から地面に下した。温奈は夏朦に離れるように言った。遠ければ遠いほどが良い。夏朦の心の脆弱な部分がセイレーンの声に魅了されないようにしないと。
ここはこの若者の死に場所であって、彼女たちのではないのだ。
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