40 検討
その失礼な言葉で空気は冷え切った。温奈は我慢できなくなって、彼女の女神の代りにその冷たい矢を受けるために、夏朦のそばまで行って、自分の声で反撃しようとしたその時、夏おじさんの声が彼女の行動を妨害した。
「朦朦、この前の話について考えたか?ずっと電話をもらえなかったから、もしかして忘れたのではないかと思ってたよ。そんなに難しい話ではないはずだから、ここで返事をもらえないか?」
忘れた?難しい話ではない?
温奈はすでに夏朦のそばまで来ていた。怒りのせいで弁えずにいて、ただ大声で叫びたかった。
夏おじさんは数分前に自分が言っていたことを忘れたのではないか?会いに来た?その眼は節穴か?自分の娘の目の下のクマが見えないのか?自分の娘が前回よりも元気がないことに気付かないのか?そのすべての元凶が自分だと知らないのか?
亡くなった夏おばさんも、目の前にいる夏おじさんも、誰もちゃんと夏朦を見ようとしない。その心の声を聴こうとしない。夏朦が何が欲しいのかを知ろうとしないで、ただ自分たちが良ければそれで良い。
温奈はそのまま隣の席に置いてあるケトルを持っておひやをぶっかけてやりたかった。その透き通ったおひやで彼らを目覚めさせて、どこかに忘れ去った良心を取り戻せるかを見たかった。
夏朦は彼女のことがよくわかっている。温奈が自分のために怒ることも予想していたようで、腕を出して温奈の行動を阻止した。温奈は固まった。その細い腕に怒っている温奈を止められるほどの力はないが、それでも温奈はブレーキを踏んだ。
「父さん、あと数日待ってくれない?そんなに時間をかからず、すぐ返事をするから」夏朦の声はしっかりしていて、その心は頼まれたから、あるいは脅かされたからで心を変えるつもりはないと表している。
夏おじさんはそれを見て、今すぐに返事をもらおうとせず、ただ微笑んでわかったと言った。だがそれは『夏おばさん』の琴線を触れたようだ。彼女は不快な顔で彼女たちを睨んでいた。
「行くか行かないかだけの話でしょ?何がそんなに難しいの?あんたのためにわざわざ来たのよ。父さんの苦労を考えたことないの?」
「いいからいいから、コンサートに行くんでしょ?行こうか」夏おじさんは今にも爆発しそうな火山を宥めて、真っ先に立ち上がって、母親と娘二人の怒りを消そうとした。「ごめんな、朦朦、まだ用事があるから先に行くよ。すぐに引っ越すわけでもないし、まだ時間はある。日を改めてまたあなたたちの料理を食べに来るよ」
母親と娘がやっと離れられるのを見て、墓参りの日と同じように、さようならすら言わずに、見向きもせずに扉へ向かった。強く扉を開いたせいで、ガラスの扉に掛けた看板が扉にぶつかってすごい音がした。
「それじゃ。私の携帯番号を知っているから、いつでもかけてよ」
夏おじさんは申し訳程度に手を振って、小走りで『夏おばさん』と『妹』の後を追った。その背中を見て、温奈はまるで過去を捨てて、機内に向かって歩いて、新しい生活に向かう未来の夏おじさんを見たようだ。
三冊のメニューは開かれることなく、まるで忘れられたかのようにテーブルに残された。今回夏朦は父さん一家の背中を見送ることはなく、逆に俯いてその三冊のメニューを見つめていた。温奈は後ろから彼女の女神を抱いて、さっき何度も怒りが止められて、もはや我慢の限界だ。誰も抱いてくれないその体を懐に抱かないと。
冷たい肌が沁みて温奈はぞっとした。夏朦が泣いているかどうかは温奈には見えない。でももし泣いても泣くななんて言わない。むしろ夏朦に存分に泣くように言うだろう。すべての辛さを涙にして流して、ちゃんと泣いてから、前に進める。
温奈は夏朦に迷わないでと言ってやりたい。行かないで、温奈のそばに残ることを選んでと言ってやりたい。今日のあの三人の態度を見れば、夏朦が彼らについて行っても昔のように、誰にも見えない隅っこで泣くことしかできないと確信した。一番辛いのは、一人海外にいると助けも来なくて、そしてまったく自分を愛さない『家族』の前に笑わないといけないことだ。
結局のところ、皆は他人が自分の考えたようになって欲しくて、自分の幻想を追い求めているだけだ。
あの母親と娘が夏おじさんに夏朦を捨てて、『他人』に邪魔されない幸せな生活を過ごしたいように、夏おじさんも喜んで彼女たちの幻想を叶えるだろう。
「朦……」自分の最愛の人を愛称で呼んだけど、温奈は次に何を言うべきかわからない。
夏朦を抱いているのに、お互いの距離はずっと遠いと感じているのは、多分これが初めてだ。彼女の女神は手が届かないように遠くにいる気がする。遂に追従者の彼女でも追いつけなくなった日が来たのか?
夏朦は温奈の好きなように抱かせて、二人は長い時間立っていた。夜になって、閉店時間がすでに過ぎたことに気付いてから、やっと静かにお互いを離して、店の片付けを始めた。
偶に気が散り、テーブルを拭いている夏朦を覗くと、温奈は開店時二人で一緒に内装や家具を選ぶ場面を思い浮かんだ。食器もすべて二人で決めたものだ。彼女たちの意見が分かれる時はない。夏朦が好きなものを、温奈も好きになるから。食器とキッチンの内装も全部素朴な純白である。夏朦はそれが好きだから、温奈はそれをより好きになった。
この小さい店にも心はあるのだろうか?もしあったら、一人の女主人が離れたことに悲しむのかな?
もし夏朦がここを離れて、そばに自分がいなくなったら、今後誰が夏朦のために絵を描いてくれるの?夏朦がちゃんとご飯食べているのかを誰が見てくれるの?夏朦が泣いている時は誰がそばにいてくれるの?
温奈は少し悩んでいた。もしその人は自分でないのなら、自分は嫉妬を感じるだろう。だがもしそんな人すらいなかったら、夏朦はどうなるだろう?
綺麗に洗ったコップを拭いて、温奈は自分と夏朦のマグカップを見た。彼女たちは毎朝それでコーヒーを飲む、一緒にここでの毎日を過ごした。もし夏朦が離れたら、マグカップも一緒に持っていくのか?そしたら、温奈のマグカップは一人ぼっちになる。温奈はマグカップをちゃんと慰めないといけなくなる。最初は少し悲しいかもしれないけど、数日間泣いていれば、その内きっと慣れる。
温奈は手元の仕事を終わらせると、無意識にその白い姿を探した。すぐに植物エリアの隅っこで彼女の探し者を見つけた。夏朦は荼蘼の前にしゃがんで、両腕で自分の膝を抱えて、眉をひそめて荼蘼の葉っぱを見ていた。もしかして夏朦も海外に引っ越したら、荼蘼の花が咲く姿が見れないのを考えているのか温奈は推測した。
夏朦が夏おじさんに言ったあの言葉は、すでに返事についておおよその考えがあることを意味するのか?
あと数日もすれば……夏おじさんも自分も夏朦の最後の選択を知ることになる。夏朦が誰を選ぶのか、温奈には見当もつかない。
※
夜になると、ベッドに横になっている温奈は前と同じように壁に向いている。手を壁に当て、向こう側の呼吸と心音を感じようとした。あるいは夏朦の夢を覗き見れるかもしれない。彼女の夢の中には最後の選択のヒントがあるのかな。
温奈には隣の部屋が空き部屋になる状態をどうしても想像できない。もし夏朦が離れようとしたら、夏朦に所有物を全部残して、自分を寂しくしないでと歎願したい。そうすれば彼女の女神もいつでも帰ってこられる。
窓辺の植物たち、そしてあのタンポポも、きっと部屋がそのままでいてほしいはずだ。何せそれが彼女たちの馴染んだ環境だから。
タンポポと言えば、思わずあの吹けば散ってゆく、遠くまで飛んで根付く小さい毛玉たちを思い出す。実はタンポポにはもう一つの花言葉がある。その黄色い花は明るさを意味する。そして飛んでゆく小さい毛玉たちは、一つの場所に留められない愛を意味する。
温奈の愛する人は、もうすぐ温奈から離れる。愛を失った温奈は、抜け殻だけになって、自分を見失うことになるのかな?
それでも温奈は夏朦がタンポポのように前に進み続ける勇気を持っていると信じたい。未来に夏朦のそばにいなくても、夏朦は自分でちゃんと生きていけると信じたい。そう、温奈は風が彼女の女神を連れ去ることを止めることができない。でも温奈は祝福を贈ることはできる。あの日に夏朦がしたように、両手を上げて、タンポポを広い青空に飛ばせる。
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