第38話 48億の個人的な憂鬱 10
12月に祖母が亡くなり、3月に定年退職した父は、5月に念願の初孫と対面し、6月に死んだ。
僕はなにも見せられなかった。なにも伝えられなかった。
兄は高校教師の仕事はもちろん、結婚もし、ギリギリで孫とも会わせた。
父に心残りがあるとすれば、それはきっと僕の存在だっただろう。
こいつはこの先どうなるのか。
来月。
来年。
いつか。
その「いつか」がもうない。
来月も来年も父はいない。
僕を一生認識しない。
今後僕の人生に奇跡が起きて大成功を収めても、父は知らない。知らせられない。
取り返しのつかないことをしてしまった。そんな罪悪感に襲われた。
夢の終わりも告げられなかった。区切りをつけるのが嫌で、いつだって引き伸ばした。辛いときは逃げ出した。結果を出すことから。自分と向き合うことから。
そうこうしてるうちに父は死んだ。
どうやっても時間は戻らない。戻せない。
今目の前に神様が現れて「お前は悪くない」と僕に言ったとしても受け入れられない。
葬儀の前日、兄は近所のレンタルビデオ店でドリフターズやダウンタウンなどのお笑いビデオを、大量に借りてきた。2階の両親の寝室で、ほとんど使われなくなった古いテレビデオに入れて見ていた。
身内が死に、葬儀までの段取りが決まってしまうと遺族は暇だ。
死を理解したあと散々泣き、苦しみ、そして葬儀でまた嫌というほど父の死を悼むことになるわけで、この宙ぶらりんの時間の、感情の置き場がない。
また父の話をして悲しむのも辛いし、かといって思い出話をする余裕まではない。なにもできない。することがない。だからビデオを借りてきた。なるほど。
兄が実家にいて、葬儀の前日にお笑いを見ているその異様な光景に、不思議と違和感がなかった。
だから僕は、まるでいつもそうしているかのように黙って後ろのベッドに寝っ転がり、一緒に見出した。
現実をそのまま受け止めると、おかしくなってしまうかもしれないという防衛本能も働いていたのかもしれない。
こんなときでもやっぱりお笑いは面白かった。わずかに笑うこともできた。
「社葬のようだ」
参列した人たちが口々に言った。ナカヤマさんも協力して取り仕切ってくれた父の葬儀には、数百人にも及ぶ会社関係者が訪れた。
父の件はニサワら地元の連中にのみ伝え、軍団には言わなかった。
「父が死んだ」と言われたら、葬式に行かなくてはならない責務のようなものを発生させてしまうと思ったからだ。
高校時代の連中は住んでる地域もバラバラだったし、上尾に来てもらうのもと思い、言わなかった。
しかし軍団は現れた。
焼香する軍団を遺族席から見ながら、僕は小さく驚いた。
なんでいるの。というかこいつら焼香とかできるんだ。
クマはこのとき、僕と同じニートだった。
入社しては退社しを繰り返していて、精神的にかなり参っていた。そのため互い傷を舐め合うようにたまに会っていたので、クマにだけは電話で伝えていた。そこから広まったらしかった。
帰りに父の知人に深々と挨拶をしていると、奴らが目に入った。
ほどなくすると近づいてきて、
「なに大人っぽい対応してんだよ」
「いやするだろ普通」
といつも通りの言葉を交わした。ほんの少しだけ日常が戻った気がした。
そこから僕は、家事を手伝いながらCDを仕上げた。
ジャケットも歌詞カードも、盤面に至るまでフォトショップを使ってデザインした。
そのデータを業者に入稿して、100枚のCDを作った。
CDは一方的にあちこち送り、その中からベストだと思う曲をデモテープにダビングし、レコード会社に送れるだけ送った。
ネットでも公開もした。当時はストリーミング再生一つさせるのも大変だったけど、やり方を調べてなんとか公開した。
以前、かけてくれたラジオ番組が、また僕の曲をかけてくれた。
「サギタニマサアキくん。彼は以前、弾き語りの曲を送ってくれてとっても良かったんだけど、今回はCDを送ってくれてね。その中の一曲がとても良かったので紹介します。『リビングルームの像』という変わったタイトルなんだけど……」
これが最後だった。
他にどこからも連絡はなかった。
僕の夢は終わった。
「これでダメだったら諦める」と父と約束したこと。
約束したにも関わらず、怠け、パチンコに逃げ、夢の最後も報告できずじまいで終わった。
犯罪より悪いことをした気分が、その後もずっと続いた。
「自分は選ばれし特別な人間である」
そこから目を醒まさせるために、神様は父の死を持って僕に教えにきたのだ。受け入れざるを得ない現実をもってして。
こんなことならもっと早く醒めて、まっとうに生きている姿を見せれば良かったのかもしれない。
そういじけてみても、父はもういない。
怠けてると、人間はちゃんと不幸になる。
25年間生きてきた昨日までの自分ともお別れだ。
特別な自分よ、さようなら。
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