第44話 今度こそやってみせる やってやってやりまくるんだ

バイト先の閉店は経験していたが、会社の倒産はまるで違うものだった。


ガランとした職場の床で飲んで笑顔で卒業、というわけにはいかない。


普段温厚な女性社員も声を荒げた。家庭、子ども、家のローン。人にはそれぞれ事情がある。


独立の可能性を探る者たちが徒党を組み始めると、会社の備品や権利関係に至るまで、水面下では様々な奪い合いが始まった。


自分はどう動くべきか、誰についていくべきか、昨日まで共に仕事をしていた者同士が突如として疑心暗鬼となり、秩序はあっさり崩落した。


社会に溶け込んだかに見えた31歳の年。僕は外に引き戻された。このままこの人生を行くのかと、体内に小さく沸き立っていた水泡のような感情は、以外な形で消えることとなった。


現場の人間が一番始めにやることは、関係各社への土下座参りだった。予定されていた一切の支払いができなくなる。うちの支払いがなければ潰れてしまうかもしれない小さな会社もたくさんあった。せめてこの額だけでもと思っても、1円足りとも動かせない。進めていた案件も強制ストップ。全ての決定権は、破産管財人にある。


「そうですか…。大変なことになっちゃいましたね。お金の件は、まだ分からないんですよね?」

「本当に…申し訳ありません」

「…でも、途中まで進めていたあの企画、やりましょうよ」

「すいません、僕もクビになるので、もう関われないんです」

「外部ディレクターとして入ってもらうならいいでしょう。報酬は印税で払うし」


僕は取引先から外部ディレクターとして参画してほしいと言われた。それで食っていけるとは思わなかったが、お世話になった人たちと進めていた案件を形にすることに専念しようと思った。


「もう少し残ってくれない?」


ある日僕は破産管財人から指名を受けた。


2010年4月末で全員解雇となるが、各事業部から一名ずつ延長の残務処理要員が選定された。従業員全員にいてもらう必要はないが、現場のことが分かる人が最小限いてもらわないと、分からないことも多いからとのことだった。フリーのディレクターとして取引先との企画の立て直しに務める以外急務もなかった僕は、引き受けることにした。


残務処理は7月始めまで続いた。みんながいなくなってから約2ヶ月間、崩壊して地面に散らかった瓦礫を片付けるように残った数人と任務に当たった。給料も出るし、形式的な事務処理がほとんどなので仕事は楽だったが、たまにかかってくる怒りの電話が辛かった。


音楽事業部関連のことなら僕が、他事業部のことならそこへ、お金のことなら破産管財人に繋ぐしかない。とにかく平謝りしながら。


残務処理を終え、晴れてフリーランスになると、うちとも組んでほしいという依頼が次々と来始めた。インディーズで20万枚売ったディレクターがフリーになったらしいという噂は狭い音楽業界内で広まり、僕は多くのメーカーと契約していった。


やる仕事は同じだ。これまでのツテを活かして、制作会社やクリエイターと予算を調整しながらCDを作っていく。動けるときは営業や宣伝、印刷会社に発注もする。


でも、きっと長くは続かない。


レンタルビデオ店でのバイト時代から換算して10年以上業界に携わってきたけど、この仕事は直になくなる。今はメジャーからも声がかかるが、CDは今以上に売れなくなる。そうすれば僕の取り分は矮小化し、いずれ食えなくなる。


2009年から始まったAKB48選抜総選挙は、2010年代初頭も盛り上げた。投票券はCDに封入されていて、ついに音楽が付属品になった瞬間だった。ビックリマンチョコやラーメンばあに付いてくるシールと化した。


業界人やロック勢は、アイドルのせいでJ-POPがダメになったと批判したが、彼女たちの存在が日本の音楽産業を延命させたのも事実だった。


2010年、TOP10の売り上げはAKB48と嵐が独占し、2003年以来7年ぶりとなる全作50万枚超えとなった。さらに2011年にはAKB48がミリオンヒットを5枚も輩出。ジャニーズやEXILE、K-POPなども音楽シーンを盛り上げたが、これらがなければ、もっと早くCDショップやレンタル店は潰れていたし、音楽メーカーに使えるお金も生まれなかった。そのお金がなければ、あいみょんのような次世代のミュージシャンに投資することもできない。


スマートフォンが本格的に普及していくにつれ、ニコニコ動画やYouTubeなど動画配信プラットフォームが盛り上がり見せ始めた。次第に、人々の嗜好の違いが顕著となり、“みんなで同じものを見聞きして楽しむ”という文化は、この頃からなくなっていった。


お笑いは、松本人志を中心としたコンテスト形式の番組が増えた。M-1、キングオブコント、IPPONグランプリ、すべらない話。圧倒的カリスマ芸人の座に君臨した松本人志が所属する吉本興業の力は益々強まった。


握手券入りのCD販売や、コンテスト形式のお笑い番組は、売れるもの、そしてみんなが見るもの、視聴率が取れる最終手段だった。文化が分散し産業が維持できなくなった苦肉の策。そうしてオリコンチャートやテレビは画一的になっていった。


会社が倒産したとき、口々にみんなが言っていたのが、


「再就職がスムーズに行くのは35歳までで、それ以上は難しい」


という、転職の限界35歳説。


近いうち必ずこのフリーランス稼業を断念し、再就職を考えるときが来る。


そのとき、一気に未来が見えた。


おそらく次の会社が最後の就職先になる。どんな会社かは分からないが、そこで死ぬまで卒なく働く自分の未来が、一気に見えた。


ゾッとした。


そして、なぜその未来を恐れるのか考えた。


「あのときこうしていれば」


父が死んだとき思った、あの感情。後悔。


再就職して、5年後10年後、ふいに後悔の芽が顔を出すのではないか。いつかその芽が息吹いても、決して時間は巻き戻せない。


それならば、やりたいことをやり尽くし、もうなにも思い残すことはないというところまで行けばいい。その先で例え後悔の芽が息吹いても、あのときあれだけやってもダメだっただろと自分でその芽を踏み潰せる。


ミュージシャンを諦める直前も同じことを思い、現実から目を背け、逃げ出した。今度こそやってみせる。


僕はフリーランスの仕事をこなしながら、6才児のCDリリースを画策した。


今、様々な音楽メーカーと契約して、予算をもらってCDを制作しているが、僕がメーカーとなってお金を出せば、6才児のCDをリリースできるということでもある。


僕はクマに相談し、6才児を8年ぶりに招集した。そして、メーカー時代に培った人脈と経験を活かし、あのときの楽曲たちをスタジオでレコーディングしていった。6才児のようなバンドを、なるべく安く、可能な限りいい状態で録れるスタジオやエンジニアのツテ、そして、レコーディングしていくノウハウも僕は持っている。そして、個人レーベルからヴィレッジヴァンガード限定で、CDを1,000枚リリースした。CDデザインは、かつて漫画家としてウンナンの番組優勝したベースのナガちゃん。


諸々の制作費欲しさに、宣伝会議賞にも応募した。宣伝会議賞とは、企業が提供する商品やサービスなどの課題に対して、キャッチフレーズを応募する公募型のコンクールで、優勝賞金は100万円。毎年数十万点の応募があるので狭き門だが、100万あればもっといろんなことができる。


こんなのは笑わせる必要のないIPPONグランプリだ。お題に対して面白い一言を投稿すれば良い。僕は1000通以上も応募して、見事32万通の中から51個だけ選ばれる協賛企業賞を受賞したが、賞金は3万円。すぐに制作費に溶けた。


これでいいのか、もっとできるのではないかと考え停滞していた頃の自分を思い出し、思いついたものはどんどん形にし、どこにでも出して行った。ダメだったら次。結果が出なければ次。今度こそやってみせる。やってやってやりまくるんだ。


2年間のフリーター時代に一緒だったシマムラくんが、務めていた映像制作会社を退職することになった。シマムラくんとは、その後も連絡を取り合っていて、いつか二人でなにかを作りたいねとよく話す間柄だった。やるなら今しかない。


そこで僕らはお金を出し合って、彼の映像制作ノウハウを活かし自主制作映画を一本作ることにした。僕らは脚本を書き、役者はネットで募集した。撮影前は毎回渋谷のレンタル機材屋で借り、カメラマンも音声も僕ら二人だけ。完成した1時間程度の作品は、原宿の小さな劇場で上映してもらい、その経営者のツテでニコニコ動画でもウェブ上映してもらった。応募できる限り映画祭にも出品した。裏方、出役、その真ん中、自分の位置付けはどうでも良かった。やりたい方向へ全力で舵を切る。


会社倒産から2年が経った2013年、AKB48がリリースした『恋するフォーチューンクッキー』を佐賀県が町を上げて取り組んだことで「踊ってみた動画」をYouTubeに上げるブームが発生した。


6才児用に作った曲で『そうだ埼玉』という歌があった。メンバーが全員埼玉出身だからと作った歌だったが、この歌をバックに、埼玉県の企業がみんなで踊る動画を作ったらどうかと考えた。


6才児の1stアルバムも返品こそあまりなかったが、その後大きな話題になることはなかった。宣伝会議賞は授賞式のあと打ち上げでいろんな代理店の受賞者連中と飲んで3万円を手にしただけだし、映画祭はどこにもかからなかった。


小さな結果ならいくらでもあったが、大きな結果じゃなきゃダメだ。売れなきゃダメなんだ。


33歳。フリーランスの仕事がどんどん減っていく中で、僕は『そうだ埼玉プロジェクト』を墓場に選んだ。

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